夫婦水入らずの旅も乙なものですが、今回は塩水や泥水も混ぜて弥次喜多×3道中で外っ国の「から」へ足を伸ばしました。
| 1. 如月17日(金曜日=星期五(シンチウ)) (1)梅田から関空へ 12:20発のバスに乗るべく待ち合わせをしていたら、定刻寸前に新阪急ホテル前のターミナルに駆け付けてくるのは I 翁。 キタの地理ぐらい頭に入れて欲しいものです。前途多難が予想されます。 関空で先行組みのS青年・H姫と合流し、総員6名がチエック・インや出国審査を済ませ、いざ出立です。 (2)関空から上海へ 関空を16:15に発ったNH153は全日空(all days’vacant )ではなく、かなり満員です。 コントローラーと悪戦苦闘してテレビで落語を楽しんでいるOガイと I 翁。 約2時間半のフライトで17:50に上海浦東(プートン)に着きました。日本と1時間の時差があり、すっかり夜の闇に包まれています。かっての虹橋空港と異なり、浦東空港は威風堂々としたハブ空港になっています。 (3)上海から蘇州へ 空港で出迎えてくれたのはキョウさんと馮(ホウ)さんです。30才のキョウさんは元阪神タイガースの矢野捕手に似た風貌の持主です。恋人募集中で中国四大ガイドのトップを目指していると自己紹介をしていました。 馮さんは助手役の娘さんで日本語も上手に話していました。 上海から蘇州に向かう中亜旅汽のバスで、私の正妻妃の傍にちゃっかり坐り込んだのは I 翁です。「旅のこと故まあいいか」と暫時貸し出すことにしました。 上海から蘇州まで135qの高速道路は片道4車線でバス(汽車)は快適に走ります。因みに当地ではバスは汽車(チーチョ)と言い、日本語の汽車は火車(フォチョー)と言います。 蘇州(スウヂョウ)の金澄錦江国際酒店(Jinchen Jinjang Hotel)に入った呑ん兵衛4名は近くのスーパー「万家超市」に買い出しに出かけます。 「三得利 SUNTORY」のラベルの貼ってあるビールやソーセージを買い求めます。「これやこれや」と500ml の「紅星」白酒(8.8元≒¥115)を棚で見出しご満悦の I 翁です。 55度の白酒の味と香に心を奪われ議論風発の四人組に、東洋のベニスと称される蘇州の夜は静かに更けてゆきます。 U 如月18日(土曜日=星期六(シンチリウ)) [A]蘇州(Suzou スウジョウ) BC514 呉王闔閭(こうりょ)が蘇州城を築いたことに始まり2500年の歴史を持つ蘇州は運河に囲まれた市街で、絹・庭園・鐘を3大名物とし魚米の郷とも云われます(蘇の字の草冠の下に魚と稲があるのが証しです)。 元代1280にマルコポーロも訪れています。 (4)寒山寺(Hanshansi ハンシャンスー)
![]() 六朝時代 6世紀初頭に創建された臨済宗の寒山寺は、唐代に高僧であり詩人であった寒山と拾得が住んだのでこの寺名になったようです。 唐代の詩人張継の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の七言絶句が寺内の壁や石碑で見受けられます。 拾得が寒山を思った虎児に由来する詩だそうです。姑蘇が蘇州と改称されたのが随代(589年)だと知った高校生の昔を想い出していました。 1回播くと10年若返るとの言い伝えがある鐘は撞木とて無く、夜半の鐘声も聞かれそうにありません。 大雄宝殿の釈迦牟尼仏像は金色に輝きけばけばしくさえあります。 鐘楼の正面にある聴く鐘石を囲んで記念撮影をして、高さ42mの五重塔・普明宝塔を後に寒山寺を辞しました。 (5)胥門(しょもん) 春秋時代の楚の名族伍子胥(ごししょ 呉子)が作ったとされる胥門に来ると「夜来香」の歌声がスピーカーを通して流れてきます。 小型の観光船に乗って運河遊覧です。 巨大な金歌(カラオケ)劇場や寺院を左岸・右岸に眺め石橋を渡り抜け、船中で30元で購った絵葉書を眺めるうちに七里山塘景区に着きます。 (6)山塘街(さんとうがい Shantangjie シャンタンシェ) 虎丘 Tiger hill(春秋時代の呉王・闔閭(こうりょ)の陵墓)と蘇州城を結ぶ水陸路に沿ったのが山塘街です。 白居易(白楽天)が長官時代に開削りしたのでかっては白公提と呼ばれていたそうです (7)留園(りゅうえん Liuyuan リウユエン)
中国四大名園の一つ留園は世界遺産に登録されています。 明代(1527年)に造園された東園が清代(1875ー1909年)に改修され、現在は東園、西園、中園、北園から構成されています。 園内は池と竹山と楼閣とから成り、各所に太湖から掘り出した石灰岩のいわゆる太湖石が配されています。 中でも高さ6.5mの冠雲峰は中国三大太湖石の一つだそうで、カメラに向かって「チーズ」しました。 歴代書家の石刻も並んでいますが、浅学菲才の身にはちんぷんかんぷんです。 (8)蘭莉園刺綉研究所 蘇州を代表する特産品シルク刺繍の工程見学と展示販売に連行されました。 花鳥風月の作品もさることながら、クリトムの「接吻」の刺繍には食指が動きましたが、ぐっとこらえました。見学後は別館で中華料理の昼食を済ませ、更に西の無錫へ向かいます。 [B] 無錫(むしゃく Wuxi ウーシィー) 周代に掘り始めた錫が漢時代に採掘され尽くしたため「無錫」と呼ばれるこの地は、今では人口500万、GNPの伸び18%で、北に長江、南に太湖があります。 (9) 太湖(たいこ Taihu タイフー) 太湖は中国五大淡水湖の第四で面積2200Kuは琵琶湖(680Ku)り3倍です。無錫外事族遊船公司の遊覧船で湖を一週します。 すっぽんの頭のように岬が湖に突き出した公園や毛沢東の別荘も船内からでは遠く眺めるだけです。尾形大作の「無錫旅情」の石碑や郭沫若の漢詩「太湖佳絶」の石碑もあるそうです。 太湖の名物は白魚・太湖石・真珠の三つだそうです。船内ではガイドのキョウさんのケイタイから「無錫旅情」メロディーが流されていました。 (10)鹿頂山 遊覧船の船着場の前にそびえるのが「無錫旅情」の歌詞の中に出てくる鹿頂山でした。 (11)王泉珠寶
「太湖名物の一つである真珠がガラス貝から採れ、一つの見から複数の真珠、「多ければ30個も採れる」「色は白・黒・紫などがあります」なとと説明を受けていると、話は次第に真珠の装飾品から真珠クリームへと移ってゆきます。「昼に塗るとしみがとれます。 夜に塗るとしわがとれます」。何のことはない、又もや強制販売に連行されました。 何やらご購入なされた姫君の見違えるような美貌に近々お目にかかれそうです。西施もこれを会いようしていたのでしょうか。 (12)無錫から上海へ 無錫を後に、今度は江蘇省を東へバス(汽車 チーチョー)は上海へ向かいます。F妃は I 翁にまだ貸し出し中です。 [C]上海 東進したバス(汽車 チーチョー)が楊山を過ぎると高層建築が並び始めます。上海が近付いてきました。 車内でミニ月餅(8個入り70元)、蓮の実(3袋 70元)、干しホタテ(100g 100元)などの土産物の申込みをし、先ずは「湘粤山荘」で夕食をすませ、夜の観光です。 上海の「ハイ」は海苔の「ノ」と8才の頃、覚えたことを思い出していました。 (13)黄浦江ナイトクルーズ オプショナルツアー代金¥3,000を払ってクルーズに参加しました。 外灘に立ち並ぶ旧租界の建物と対岸の浦東新区の新建築物の対比が出来ます。 高さ468mのテレビ塔の東方明玖珠塔がどこでも見えます。 船上のデッキで寒さに耐えたり、船室で風景を眺めたりしていました。ガイドのさんに文化大革命や天安門事件の話を持ちかけましたが、何も語ってもらえませんでした。ノーベル平和賞の話題にも口をつぐんだままです。
(14)インターコンチネンタル上海Expo(上海世博洲阮大酒店) 2010年上海万博に合わせて建築された五つ星ホテルだけに立派です。 浴槽の壁にテレビが映り、56チャンネルでNHK写るので早朝、同泊者を起こすことなくニュースを見ることができました。 V 如月19日(日曜日=星期天(シンチテン)) (15)Bund Tea Campany(上海茶源有限公司) その中の旧ギブリビングストン商会の建物が歴史建築として残され、ブアール茶・ジャスミン茶などを実演販売しています。若くかわいい売り子さんの笑顔に財布の紐が緩みます。 (16)外灘(Waiton ワイタン)
黄浦河西岸沿いに租界時代の建造物が並ぶのが外灘です。 散歩道、浜江大道(ひんこうだいどう ビンジャンダーダオ)を歩くと目に入るのは赤と白のレンガ造りの和平飯店北楼は旧パレス.ホテルですし、通りを隔てて、てっぺんの青い三角錐が目立つ和平飯店北楼は旧サンストーン・ハウス(不動産王サンスーン財閥の建物)です。 中国銀行上海市分行の隣に在る中国工商銀行 ICBCハ旧横浜正金銀行と金融機関が続きます。 (17)豫園(よえん ユイーユエン) 明代の1559年に18年の年月をかけて造られた江南式庭園です。入口を入ってすぐの三穂堂(サンスイタン)は豊作を祈念して作られたと言われ、その前には「海上名園」の石碑があります。 龍が壁の上を泳いでいる龍壁(ロンピー)は四川省の役人、藩允端の私邸として作られたので、本来皇帝の象徴である龍は使えないのだが、爪の数を本来の5本から4本に減らして言い逃れたと伝えられています。和煕堂(ホーシータン)にはガジュマルで作られた机や椅子が並べられています。 豫園を出てしゃんはん老街(シャンハイラオジェー)や豫園商場はすっ飛ばします。ましてや商場の中の九曲橋を歩くなんてのはツァー客には望めません。 「阿大名厨」で昼食をとって次へと急ぎます。 (18)上海博物館
100万点近くの所蔵品のうち重要文化財が13万点に及ぶ上海博物館は4階建です。 1階 青銅器 彫刻 2階 陶磁器 3階 書画 印章 4階 玉器 象牙 家具 貨幣 予備知識も乏しいし、時間も少ないので駆足見学をしました。 中国五千年の歴史にどれだけ触れたかは定かではありません。 (19)上海芸術館 水晶が云々、瑠璃・琥珀がどうのこうの・・・」と玉石文化の紹介かと思いきや、ひすいの白玉観音のあたりからトーンが変わり、結局は土産物の押し売りとわかりました。時間のロスですがパック・ツアーの宿命でしょうか。 租界時代に建てられた「石庫門」と呼ばれるレンガ造りの建物を2001年に改造してオープンした街並み、新天地で自由時間を与えられました。 5元ショップや10元ショップがあるわけでなし、面(うどん)や饅頭を食べさせる店があるわけでなし、モダンなのはいいのですが、味気のない処です。 おまけに一同うろうろするうちに道がわからなくなり、ビルのガードマンに道を探ねても英語は通じず、最後はデジカメの画面を示してやっと元へ戻れたハプニングもありました。 冬のこととて、オープンカフェでふるえながら35元のコーヒーを啜って時を潰してしまいました。トホホ。 (21)虹橋路838号
上海蟹が供される夕食だし、今回の旅の最後の晩餐だということで、紹興酒と白酒のボトルを注文しました。 ビニールの手袋で蟹の身をとり出すのは仲々骨の折れる作業で6人組みすっかり無口になっていました。 (22)上海雑伎団 「百聞は一見に如かず」と言われますが、上海雑伎団の演技は近代性と芸術性を増し、かってのサーカス団のイメージをすっかり変えています。 小学校の低学年らしい少年、少女も混じっておりました。OPですが¥3900の値打ちはありました。 4列目の席で男性4人組は若い娘さんの艶技にかぶりついていました。 今回の旅の成功を祝ってホテルのラウンジでささやかなパーティを開きました。F妃もH姫も特製ケーキにご満足です。 男衆がこの後、恒例の酒盛りにうつつを抜かしたのは言うまでもありません。 IV 如月20日(月曜日=星期一 シンチイ) 帰国の朝ですから早目に朝食をとりました。 バイキング形式ですから各々好みの品を皿にとってきます。 コーヒーに粗目の塩を入れて「何かおかしいぞ」と宣うのはS青年です。 スターフルーツの輪切りを口にして「味が薄い」と文句をつけているのは誰でしょうか。 バスに乗り込んだら、今朝は I 翁がやっと我が本妻F妃を返してくれました。クーリングオフ期日内なので受け取りました。ガイドのキョウさんが「あれ!どうなっているの?と怪訝な顔をしていました。 (24)万博中国館 上海万博終了後、ほとんどのテーマ館は解体されましたが、人気の高かった中国館は残されています。 連日多数の客が集まったであろう跡地を車窓から眺めました。つわもの共の夢の跡でしょうか。 (25)上海宏聖寝具 Latexのベッド・枕などの寝具店に連行されること約1時間。「くだらん」と思っても逃げ出すわけにはゆきません。 (26)リニアモーターカー(磁浮車) 2002年12月に地下鉄龍陽路駅ー浦東空港間30kmを430km/hrでつなぐリニアモーターカーが開通しました。 これに乗りましたがあっという間の7分20秒でした。片道40元だそうです。 (27)上海浦東空港から関空へ 浦東空港で買物をすませ、NH156で上海12:30発関空15:25着と先ずは予定通りです。機中で I 翁は赤ワイン2本、白ワイン1本を飲んで上機嫌でした。飲兵衛ですね。かくて一行は梅田で解散です。お疲れさまでした。 (2012.02.20) |
流れている曲は「上海ブルース」です