旅行記
漓江 まさに水墨画の世界!
中国旅行(2002.10.14〜21)

今回は「初めての北京・西安・桂林・蘇州・上海」8日間」というJTBの「旅物語」という主催旅行に参加しました。
夫婦で行く海外旅行は初めてなので、日程的に少しきついかなーという心配もありましたが、添乗員が同行してくれたことと、一行のメンバーがほとんど現役をリタイアーされているかたばかりだったので、かなりまとまりもよく快適な旅行になりました。また自然の美しさばかりでなく、僕たちが学校で習ったなじみの深い歴史上の遺跡も多く、さらに美味しい食事や、天候にも恵まれ、費用も比較的安く、5拍子揃った旅でした。
北 京 (万里の長城、天安門&紫禁城)
西 安 (兵馬俑坑博物館、西安城壁、華清地、興慶宮公園)
桂 林 (漓江下り、)
蘇 州 (寒山寺)
上 海 (外灘、上海雑伎団)
その他雑感 (社会設備、自転車について)
目次
桂林は広西チワン族自治区にあって、チワン、トン、ミャオ、ヤオなどの少数民族が住んでいて服装、生活習慣、娯楽方式など独特の歴史を持っていて、ひとなっつこい人が多い。
また、「桂林の山水は天下に甲なり」といわれるように、山水は山が緑におおわれ、水はどこまでも透き通っていて大変すばらしいところだ。

もともとこの地域は約三億七千年前は海底であったところが隆起し、さらに永い年月をかけて風雨にさらされてこのようなめずらしい景観ができたらしい。
遊覧船で2時間半程かけて有名な漓江下りを楽しんだが、本で読んだ以上の素晴らしい体験であった。川の両岸には奇岩、奇景が迫り、ちょうど雨上がり後であったので、その景色はまさに水墨画の世界そのものであった。感激した!
漓江下り船上にて
少数民族チワン族部落にて
宿泊地:桂林帝苑酒店
社会整備について :今回の旅行は中国の名所の点だけの訪れであり、本当の中国を姿を理解できたとは到底思わないが、少なくとも膨大な歴史的遺産と、飛躍的に発展を遂げる両面をかいま見ることができてなかなか興味深かった。()
旅行地としては距離的にも近く、歴史的にも繋がり深く、産業的にも密接に関係があるのだから
年齢層に関係なく、もっと旅行者が増えてもいいように思う。日本人にもなかなか興味のある場所だと思う。
ただ、今回の我々の宿泊先は5ツ星、4ツ星のホテルであったため旅行中なんの不便もなかったが、一歩外に出ると社会整備の不備(非近代的なトイレ、交差点での信号無視)や日本人にターゲットを絞った千円族(何でも千円で売りにくる)の横行など、安心して旅行するには気になることも多々あった。

自転車について :中国では全国的に通勤手段として、バイクが大変高額なため、バス以外の通勤手段は圧倒的に自転車が多いが、不思議なことにどの自転車にもライトが付属していないことだ。そのため夜でも無灯火で大変危険だと思うのだが、ガイドさんに聞いてみると中国人はみなさん目が良いので夜でもよく見えると言っていたが、自動車の運転手からみたら大変危険だと思うのだが。
中国の伝統的なトイレ。大用にも扉はない。一応水洗だが前のほうから水が流れてくるだけ。
途中で詰まるので紙は捨てては駄目。
但し入れ場所もない?
興慶宮公園のトイレ(大)
西安:交差点風景
早朝西安のホテルからみた風景
中国国内はどこでも同じだが交通マナーに関しては全くなっていない。車も、人も信号に関係なく自分の判断で安全と考えたら平気で無視していくのには驚いた。ガイドさんから自分の安全は自分で守れと何回も言われた。
外灘の夜景
上海雑伎団
上海は今も昔も中国最大の国際都市であり、現在も古い建物を惜しげもなく壊し、近代的なビル建て替え工事の真っ最中であった。今回の旅行の最終地であったが外灘の夜景と上海雑伎団の公演ぐらいしか見られず少し残念であった。近いうちにもう一度ここには来なければならない。
それにしてもよく歩き、よく食した八日間であった。
寒山寺

蘇州というと特に年輩の日本人にはなにかしら郷愁漂うような感じがする人が多い。
渡辺はま子の「蘇州夜曲」という歌を聞くと何となくよき時代のことを思い出すのかも知れない。
勿論僕にはそんな感傷はないが、名前だけはなんとなく親しみを感じる地名である。
ここには除夜の鐘で有名な「寒山寺」があり、学校の漢文の教科書で習った
「月落ち鳥啼いて霜天に満つ/江楓漁火愁眠に対す
           /姑蘇城外寒山寺/夜半の鐘声客船に到る」
と唐の詩人張継が詠んだ有名な「楓橋夜泊」の石碑があった。
また、蘇州はシルク製品が特産で国立の刺繍研究所があり見学したが、あまりにも安かったのと国立ということで信用できそうだったので二人分の掛け布団分を買ってしまった。
帰国後早速縫製し現在使用中。確かに軽くて寝心地最高!
蘇州の運河
興慶宮公園
唐の興慶宮跡に造られた50万平方メートルの巨大な公園。
「天の原ふりされみれば春日なる
       /三笠の山に出でし月かも」
この句は遣唐使・阿倍仲麻呂の望郷の和歌だが、その句の横面には阿倍仲麻呂の遭難の報を聞いた李白が詠んだ追悼詩が刻まれている

でも実際は遭難はしたが助かって安南(インドシナ)に漂着し命が助かり再び長南に戻ったという。
興慶宮公園庭園池にて
仲麻呂の記念碑
華清池はまた1936年の西安事変の舞台として知られ、この海棠湯の近くに事変の時に蒋介石が滞在していた五間庁があり、張学良に捕らえられた裏山には兵諫亭がみえる。
華清池
3000年の歴史がある温泉地。今でも34度の温泉が湧き出ていた。
玄宗は毎冬に楊貴妃とこの温泉地で過ごしていたらしい。
楊貴妃が専用に使った海棠湯が残っている。
楊貴妃専用の湯船
華清池に建つ楊貴妃さん
*楊貴妃はクレオパトラと小野小町で世界三大美人の
一人だと中国人のガイドが説明していた。小野小町?
西安城壁
明の時代に造られた城壁で、東西に長い長方形で
総延長は13kmもあり、この城壁の通路でマラソン大会が毎年開催されるということだった。

東西南北の隅には門が立てられているが、特にこの西門(安定門)の外側にはシルクロードの西の起点を示す彫群があり、東門外の興慶宮公園には玄宗が楊貴妃と牡丹を愛した沈香亭が再建されており、玄宗に重用された留学生の阿倍仲麻呂の記念碑が建っている。
西の城門
兵馬俑坑博物館
1974年、井戸を掘ろうとした農民が偶然地中から陶片を見つけたのがきっかけで、秦の始皇帝陵の陪葬抗である兵馬俑坑は2200年の眠りから醒めることとなった。発掘の結果奥行230m、横幅62mの抗から約6000体の兵士陶俑、さらに実物大の馬や戦車も掘り起こされた。
現在まだ修理中のものや発掘も続いており、修理作業は閉館後の夜に行っているとのことだった。まさに「百聞は一見しかず」でその異様な光景には圧倒される。
写真撮影もOKということであったが、日本では到底考えられない。
兵馬俑坑博物館
兵馬俑坑博物館は1〜3号抗あり、この1号抗が一番広い。発掘現場の跡をそのままドーム状の屋根で覆ってある。周りをぐるっと一週できる。
左は現在復元修理中のもの。すべてむき出しのままである。
西安は中国最大の歴史都市の陝西省の省都ですが、紀元前221年に秦の始皇帝が全中国を統一し、西安東北の咸陽を拠点に国造りをし、咸陽宮や阿房宮を造営し、万里の長城や陵墓を残している。

近年では1936年12月12日に軍閥の張学良等らが、蒋介石を捕まえ、挙国抗日を迫った「西安事変」の舞台であるがその現場は楊貴妃が愛用したお風呂のある温泉地「華清池」に現存している。
現在は中国西北地区の政治、経済、文化の中心ですが、特に興業が盛んでロケットや航空機等の航空宇宙産業は全国のトップ水準にあり、ハイテク工業地区としても大発展している。

兵馬俑抗博物館の開館以降、特に日本人の観光客が多くなったとのことだが、僕たちが訪れたときは晴れだったとのことだが、太陽は見えず上空は黄砂でどんよりとしており、僕を始め喉を痛めた人が多かった。
「万里の長城」はやはり一度は訪れてみたいと思っていました。
今回登った「八達嶺長城」は基礎は花崗岩で、その上にレンガで頑丈に固められており、高さ平均7.8m、通路幅6.5mで5頭の馬が横に並んで走れる程の広さです。
また300〜500mごとに、監視用の射撃孔を備えた二層式の敵楼や、戦台が完備されていました。さらに長城の高台には敵状を知らせるための狼煙台があり、まさに完璧な大要塞であったことがわかります。

歴代の王朝が2500年にもわたって北方異民族の進入を防ぐために増築や改築を繰り返して完成させた城壁は、実に6000qに及ぶといわれています。
これは日本列島の端から端までに匹敵するぐらいですから、驚くほかありません。それよりも山の頂に城壁を造るため動員された当時の人たちの苦労は大変だったと思います。
本当にこんなものが実際にどれだけ役に立ったのか僕にはどうしても理解できません。
万里の長城
八達嶺長城
万里の長城:八達嶺城塞にて
天安門&紫禁城
天安門は現在の中国の国章のデザインにもなっているが、1949年10月1日にこの天安門城楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言したのはあまりにも有名です。
もとは明・新時代の皇居の正門だったそうです。
この前に広がる広場は総面積が44万uもあり10
0万人が一度に集まれるまさに世界一広い広場です。広場の敷石は花崗岩が敷き詰められており、その一枚ごとに番号が付けられていた。
如何に国土面積が広いと言ってもなんでもかんでもばかでかすぎて理解不可能なものが多すぎる中国である。

天安門の後ろには映画「ラストエンペラー」の舞台となった紫禁城があり、そのほかにも時の皇帝、女帝が贅沢の限りを尽くした居城が無数にあり、端から端まで歩くだけでゆうに1時間以上かかったのでかなり疲れてしまった。
またガイドさんの説明によると、最奥部には千人ものお妾さんが一緒に住んでいた場所も残存しており、この宮城全体がどうなっているのか最後にはなにがなんだかわからなくなってきた。
あまり真面目に考えない方が良さそうだ。
天安門の中央には巨大な「毛沢東主席」の肖像画が常に掲げられている
現在は「故宮博物院」となっているが、
「太和殿」の奥の東西にもものすごい数の宮殿がある。
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