御 由 緒 |
櫻木神社は、人皇第百三代後土御門天皇の御宇文明年間
(1469〜87)、太田特資入道道灌が江戸築城の際、菅公の神
霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたもので、後二代
将軍徳川秀忠の時代に湯島の台坂上なる旧櫻の馬場の地を
相して神祠を建立遷座して、その近傍の守護神と仰がれたが、
第百十三代東山天皇の御宇元禄三年(1690年)、五代将軍徳
川綱吉が同所に湯島聖堂を中心とする昌平坂学問所を設立す
るにあたり、翌年(1691年)、現在地である本郷の富元山真光
寺境内に遷座し現在に至る。
<社号の由来>
御祭神である菅原道真公が太宰権帥として九州に赴く際、自
ら櫻の木を刻み形見としたと云われる菅公の御像を御神体とし
て祀られているとする説と、最初の遷座地である櫻の馬場の地
名に因るものとの二つの説が言い伝えられている。
櫻の馬場は現在の東京医科歯科大学およびその病院のある
地をいう。すなわち、そこは湯島聖堂の西隣にあった御茶ノ水
橋の線を延ばした西の方をいったものであろうと思われる。馬
場の左右には櫻樹・楓樹が植えられ、花の時や紅葉の時には
見物人も大勢あったということで、自然にこの地を櫻の馬場と
呼ぶようになったという。
この櫻の馬場は、神田明神と近いためもあって、その祭礼に
おいては、幕末の頃は氏子の山車が三十余体もこの所に勢ぞ
ろいして町に練りだし、神田や丸の内方面を渡御したといわれ
ている。 |