丹後100qマラソン奮戦記

日時      2002年9月15日(日)
場所      
京都府 網野町、久御山町、弥栄町、丹後町
距離      
100km
天候   

タイム    10時間16分58秒
順位      
一般男子      76位/594名
           
男子総合      79位/668名


参加したきっかけ

ウルトラマラソンなんて全く別の世界のものと思っていた。
24時間テレビで誰それが走りぬいたとか、ランニングクラブの方が12時間で完走したとか聞くけど、それはまさしく他人事。100kmも走っていたら途中で絶対トイレに行きたくなるやろし、お腹もすいてくる。(当たり前か!)けど、食べながら走るとお腹が痛くなるし、何よりも足が痛くなってくる。当時マラソン大会の参加暦が1年半の私にとっては、「人間のすることではない!」と殆ど無関心であった。
そんな私がなぜウルトラマラソンに参加する気になったのか。

マラソン大会というのは1人で現場まで行き、走り終わったら一人で帰ると言うのが当たり前やったなか、2001年10月より走快ねっとランニングクラブに所属することにした。
大勢のメンバーでマラソンや駅伝に参加し、レースが終わったら打ち上げということでみんなの健闘を誉めあうというのが結構楽しく、いつのまにか月に1度はどこかのレースや練習会でワイワイするようになり、マラソン自体が人生そのものになってしまっていた。

そんなある5月の練習会。
寝屋川市駅から星のブランコ経由で生駒山麓公園まで走る20kmマラニック(マラソンピクニック)に参加した際、ゴールしたあとの昼ご飯のときに、9月開催の丹後100kmウルトラマラソンの話題となった。

関西では鯖街道やゆりかもめ等、有名なウルトラマラソンがあるが、丹後100kmも2001年から開催され、とてもタフなレースであるというのは耳にしていた。
第1回の去年は、関西からは京都のだいぼう@花子さんが参加しただけやったのが、今年はほかに何人か参加されるみたいやし、今回の練習会で一緒やった京都のとっちゃんも参加を考えているとのこと。
私も誘われたが、開催日が9月15日と、EKIDENカーニバル大阪大会と同じ日であったし、まだまだウルトラは早いと思っていたので、なかなかすぐには決めかねていた。

しかし周りの話やランナーズの記事等を見ていたら、ハーフやフルマラソンでは味わえない楽しさがあるというのを知り、その楽しさというのはどんなものか、自分は100km走り抜くことができるかを無償に知ってみたくなった。
誘われてから2週間もたたないうちに申し込みの手続きをしてしまっていた。

「制限時間は14時間もあるんやし、6分/kmで走ったら10時間でつくやん!ゆっくり走ったらどうってことないやろう・・」ほんまに安易な気持ちでレースを迎えようとしていた。

レース前日まで

いくらゆっくり走ったらいいといってもやはり100km。
今までフルマラソンを4回走ったことがあっても、それ以上の距離は練習でもない。おまけに時期的にもまだまだ暑いと思われるし、晴天になった場合は炎天下の中で完走はできるのだろうか・・?
時期が近づくにつれて、不安もますます大きくなってきていた。

とりあえず練習しかない!ということで休日は30km走や、出張先でもシューズを持ち込んでの20km走。8月はこの時期には珍しく300km以上走った。
9月1日(日)は本番を見越しての練習ということで朝は5時に起きて50km走を試みたが、この時期には異例の最高気温が35度を超える猛暑となり、32kmくらい走ったところでダウン。フルマラソンでも途中棄権をしたことなかったのに、このとき初めて屈辱を味わうことになってしまった。悔しい思いを胸にもち、「本番では絶対完走するぞ!」と固く誓うのであった。

レース1週間前から直前までずっと出張やったけど、朝に強くなるように、5時半に起きての練習を繰り返していた。晩は大概酔っ払っていたけど・・

前日下見

レースの受付が前日の14日(土)しかしないということで、参加者の殆どは何らかの形で宿泊しないといけない。
車の中で朝を迎える方。ツアーに参加して旅館に泊まった方。親に送り迎えをしてもらい、家族で泊まった方などいろいろいたが、私は自分の車を移動手段に使い、レース会場から10kmくらい離れた峰山町のビジネスホテルに泊まることにした。
レースで走るのは網野町、久美浜町、弥栄町、丹後町だけで、峰山町は含まれていない。それが穴場でレース直前でも空き室があり、シングルルームでゆったりとすることができた。ただ、ご飯はついていないので、前夜祭の歓迎会で食いだめしないといけなかったけど・・

ほんまは早く現地に行ってコースの下見をしたかったけど、午前中は車内の片付け等で時間をかけてしまい、(1週間前はキャンプに行っており、荷物が積みっぱなしやった)出発が遅くなってしまう。そのくせガソリンスタンドでは給油のほかに洗車までやっているし、気がつきゃ既に12時前。
急いで名神茨木から高速に乗り、中国自動車道から舞鶴自動車道にはいって福知山で降りる。それから現地までひたすら下道を走っていたが、あまりにも一気に走りすぎたので、コンビニを目にするまで昼ご飯を食べていないことを忘れていた。
途中のローソンでパンを買うことにしたが、いきなりトラブルが発生。
急いでいた為に入口での減速をしなかったのが大失敗!!歩道がエアロ部分が「ガツンッ!」と大接触!大きなひびがいってしまった・・(T_T)

悲しい出来事をこらえながらも15時くらいに網野町のスタート地点に到着。
レースは翌日ということでまだ準備中やったけど、嵐の前の静けさというか、独特な雰囲気を感じてしまった。

スタート地点、スタートしてからすぐの海岸線。2kmくらい走ったあたりの七竜峠などデジカメで写し、実際のコースを少しだけ下見する。それまで全くコースを知らなかったので、この海岸線の登り坂を2往復もし、おまけにもっときつい坂が先に待っていると思っただけで恐ろしくなり、身震いがしていた。

前夜祭

午後の4時からコースの説明会があるということで急いで会場である『あじわいの郷』に向かう。入り口付近でだいぼう@花子さんに会うが、これから宿に戻るとのこと。
会場ではさぼちゃんとわかちゃんに出会い、歓迎会までずっと一緒やった。
説明会では3人でずっと話し込んで説明会の話を聞いてへんし、スポンサーの宣伝(シューズやプロテイン)も30分くらいの話もそれほどたいしたことを喋ってなかったような気がする。
そんなんやったら慌てて説明会に来るほどでもなかったかなあ。。?

歓迎会は5時半からやったけど、5時から入り口付近で陣取っていたために開門と同時にビールと食材のGETに成功!でも、係の人から「まだ食べ物は取らないでください!」という声が響き渡り、ちょっと恥ずかしかった。
ただ、ビールの本数は限られていたし、あれだけは先にとっといてよかったと思う。乾杯するころにはもう既になくなってしまっていたけど・・
会場ではまみりんや浜ちゃん、とっちゃん、納豆太郎さんにも会うことができ、みんなでワイワイと盛り上がる。
6時半にはお開きとなったので、お互いの明日の検討を祈り、それぞれの宿舎に引き上げた。

スタートまで

ホテルのアラームは午前3時にセットするものの、2時59分には目が覚めてしまった。ほんと、気合を入れて「明日は○時に起きる!」と決めて寝たら、大概は目覚ましなしでも起きられるから不思議や。
昨日のうちに買っておいた牛乳にプロテインを入れて飲み、パンをかじって3時半に出発。すると、フロントにはホテルのサービスでお茶とおにぎりを2つ置いてくれていた。
当初そういった情報は全くなかったし、前もって分かっていたら、わざわざパンも買わんかったのに!

4時にスタート地点の駐車場に到着。昨夜の雨でかなり肌寒いなか網野北小学校まで歩いていたら、みぞさんから携帯で応援メール。こんな朝早くからの応援に感動!!
着替えをしていたらわかちゃんやみやけんさんが登場。ほかに花子さんや納豆太郎さん、大阪の浜ちゃん、まみりんさん等、今回参加するメンバーが続々現れた。一緒に写真を撮ったりしてワイワイしてたけど、心のどこかでやっぱりこれからの長丁場に緊張はしている。
それぞれの目標を胸に秘め、いよいよスタート地点についた。

スタート〜5km     31分32秒
5km〜10km            24分54秒 (56分26秒)

午前5時ジャストにいよいよスタート。
スタート地点には西村知美が昨日の歓迎会と同様応援に来ていたし、周りにまぎれて西村知美の手を触ってからスタートした。1番左にいたさぼちゃんは、西村知美握手攻撃で「誰かに頭をたたかれた!」とプンプン!!

先は長いし、のんびり行こう!ということで集団の後のほうからさぼちゃんらと一緒に走っていたけど、私にとっては少しペースが遅すぎた。一応の目標は10時間以内完走で、最低でも6分/kmで走らなあかんのに、ここではそれ以下のペースで進んでいる。2.5km過ぎた地点で16分以上かかっていることに焦りを感じてしまい、この地点から七竜峠の上り坂になるけど、一気にペースアップの5分/kmくらいのペースで走ることにした。
フルマラソンでは4.5分/kmで走っているし、それに比べたらゆっくりペース。でもこれから走る距離を考えたら・・

7km地点が七竜峠の頂上あたり。そこに第1のエイドがあったので、迷わず給水をする。普段のレースでは10kmを過ぎるまで一切給水をせずに一気に行くけど、そこはやっぱりウルトラマラソン。エイドがあるところでは必ずしっかり給水することにした。
リアス式の海岸の景色もよかったけど、あまりしっかり見ている余裕はなし。でも、沿道で声援するおばちゃんらは早朝であるのにも関わらず、しっかり応援してくれる。すごくありがたかった!

10km〜15km      24分19秒
15km〜20km      25分58秒 (1時間46分43秒)
    暫定 104位

とりあえず第一の難関であった七竜峠も過ぎ、だいたい5分/kmのええペースで走っていく。久御山温泉の宿泊客(60kmの部で走る人かな?) や、地元の方の声援がありがたい。どんどん周りのランナーを抜いていた。

久美浜の梨園付近にさしかかったとき、抜かしたランナーから声がかかる。納豆太郎さんやった。
納豆太郎さんはもっと前のほうで走っていると思っていたので、こんなとこで出会ってビックリ。今までお互い顔を知っていてもなかなか話す機会のない二人やったけど、ここで出会えたのも何かの縁。ここからは伴走するような形で私を引っ張って走ってもらった。

16.5kmにある久美浜のエイドではレストステーションであり、豊富な果物の他にうどんもあったが、最初は全く食べる気はなかった。というのも、7月の24時間リレーマラソンでは食べながら走ったことで腹痛に悩まされた経験があり、ここで同じようなことになったら辛かいと思ったからや。
でも納豆太郎さんは結構しっかり食べているので、私も少しだけ食べることにした。
幸いこのあと腹痛に悩まされることはなかったけど、後にも先にも食べ物を口にしたのはここだけやったなあ・・

20km〜25km      26分12秒
25km〜30km      26分19秒 (2時間39分14秒)

納豆太郎さんに引っ張ってもらう形で久美浜湾を1周する。
時計を見たら7時となっており、「まだみんな寝てるやろなあ・・」と家族のことを考えてしまった。まだ足の痛み等は殆どなく、快適に走る。
25km付近のエイドでは納豆太郎さんがトイレに行ったので一人旅となったが、30km付近のエイドでは私がトイレに行ったのでまたまた合流。一緒に走る。
コース図ではほぼ平坦な道やけど、それなりにアップダウンがあり、結構しんどい。おまけに幹線道路から急に中のほうに入ったり、「誰がこんなコース考えたんやろう・・」と二人で話しながら走っていた。

30km〜35km      24分47秒
35km〜40km      28分19秒 (3時間32分20秒)
     暫定 67位

30kmを過ぎたあたりから、二人のペースがなんとなく速くなってきたような気がした。
フルマラソンではこの辺からかなり脚の痛みを感じるけど、今回はそれほどでもない。それでも私がばててきたのか、納豆太郎さんがのってきたのか、いずれにせよ後をついて走るのがいっぱいいっぱいになってきていた。
会話もだんだん少なくなってきて、とにかくついていくだけを考えながら35km地点。そこに戻りの七竜峠に突入でもうあかんかった。

長い長い登り坂にはとうとう納豆太郎さんについて行くことができず、少しずつ離されていく。
七竜峠では最も厳しいところに差し掛かり、中には歩いてしまうランナーもいたけど、一応最後まで走りとおす。でも頂上のエイドに到着したときはしばし休憩。。。
頂上のエイドでは納豆太郎さんに追いつくものの、向こうは休憩が終わっての出発やし、もう一緒に走ることができない。下りでも姿は見えているものの、追いつくほどのペースで走ることはできなくなっていた。

40km〜45km      31分09秒
45km〜50km      28分03秒 (4時間31分31秒)     
       

納豆太郎さんを遠くに見ながら七竜峠のアップダウンを走っていく。海岸線の景色もそれこそまともに見ている余裕はない。。
だんだん内もものやふくらはぎの張りも感じてきてるし、走るのが精一杯になってきていた。そこに44.6kmの浅茂川漁港のエイド。
「もう納豆太郎さんには追いつくことは不可能やし、あとは自分のペースで行かんとしょうがないかなあ・・」
そう思うとドカッとおしりを床に置き、右足の指に異変を感じたのでシューズを脱いでみることにした。
見ると人差し指の先が水ぶくれになって爪までブヨブヨなっている。これはレース2週間前の32km練習のときにもなってしまったけど、まさにそのときの再現状態。とりあえずばんそこを持って走っていたので、指の先端に貼り付けて走り続けることにした。

今回のシューズはレ−スで履いたのは初めてやったけど、これは7月の毎時ま24時間リレーマラソンのときに買ったもの。そのとき限定特価で思わず買ってしまったけど、あとから考えたらシューズのサイズを0.5p間違えてしまい大ショック。それでも他にレース用シューズはなかったし、強行突破でそのまま走ってみることにした。
足の先端に水ぶくれっちゅうことはやっぱりサイズは合ってなかったのかなあ・・

一番声援が多かった網野町の町並みも過ぎ、丹後の山の中へ。
沿道の声援も減ってきたし、だんだん走っている人もバラけてきた。普段は前に走ってる人を目標にしていたけど、それも難しくなってきた。
「フルマラソンやったらもう終わってるのになあ。。家でビデオの予約はしてくれてるかなあ。。」そんなことばっかり考えながらもくもくと走る。50kmの看板が見えても、「まだ半分もあるんかあ。。。ふぇ〜!」と感じるだけ。

50km〜55km      29分33秒
55km〜60km
      46分52秒 (5時間47分56秒)
     暫定 107位

50km地点を過ぎると『あじわいの郷』1周コースへ。
緩やかなのぼり坂やけど、50kmを過ぎてのこの坂は結構こたえた・・
ちょうど『あじわいの郷』の入口にさしかかったとき、入れ違いで納豆太郎さんが出てきた。
お互いの健闘をたたえながら別れたが、「結構離されたなあ・・」と少しやるせない気持ちであじわいの郷を走る。

すると、聞いたことのない黄色い声で「澤田さ〜ん!」という固有名詞での応援が!?
見ると、その方はマラソンのパンフレットを持っていた。おそらく誰か選手の応援でパンフレットを手に入れ、ゼッケンで名前を探してくれたんやろ。固有名詞での応援は経験がないだけに、思わず笑ってしまった!!
ここでのエイドでも名前を呼んでいただけたし、なんか個人的にも応援してくれているみたいで、少しうれしくなった。

人生でもっとも長い距離の走行を更新中であったが、ここまで来ると、さすがに走るのも嫌になってきた。
脚も大概痛くなってきたし、息も上がってきた。とりあえずの目標は55.9km地点の弥栄町役場レストステーション。

ここは着替えや食料、エアサロンパス等介護用品を袋に入れて運んでいただけるところ。
当初着替えなんか必要ないかなあと思っていたが、せっかく預けてもらえるんやし、どうせ汗もいっぱいかくと思う。とりあえずは運んでもらうことにした。
ただ、ウルトラマラソン自体初めての参加やったし、途中で着替えるなんていまいちぴんと来ない。結果的には気分をリフレッシュさせる為にも、着替えは持っていって正解やった。

レストステーションに到着したら、やはり納豆太郎さんが出てきたところ。6分休憩したと言っていたので、この時点で私とは6分の差があったということやな。
私の休憩もそれくらいかなあと思っていたけど、実際着替えるために役場の中に入ったら、それどころの騒ぎでなくなってしまった。

預けていた荷物を受け取るまで少しは元気やったけど、椅子に座った途端に息づかいが荒くなり、意識までももうろうとしてきた。とても5分そこそこで立てるような状態ではない。
「ひょっとしたら10時間は無理かもしれない・・」前半をいいペースで走っていたけど、やはりかなり無理がたかったのか、しばらく動けそうにない。
辺りを見回すとみんなかなり疲れた様子やし、中には横になって寝ている人もいる。私も息づかいが治まるまでジーとしていたら、一瞬だけ夢を見てしまった・・

レストステーションには15分くらいいたかな?脚以外はすっかり元気になったので、これから待ち構えている最大の難関。碇高原の牧場に向かう約13kmの登り坂に向けて出発した。
時計を見たら11時前。もう6時間近く走ってるんやなあと思いながらも、同じ日にEKIDENカーニバルに参加しているみぞさんとこに携帯電話でメッセージを入れておいた。携帯といえば、GT−MAILに申し込んでいたので40q地点までのタイムや順位が分かるはず。でもなかなか見ているような余裕はなかったなあ。。

いくら元気に出発といっても、とても5分/kmで走るようなパワーは残っていなかった。これから先まだまだ長いし、単独走行は気分的にも参ってしまう。そう考えて周りで同じようなペースの人たちがいたので、その方に付いていくことにした。

60km〜65km      33分31秒
65km〜70km      34分11秒 (6時間55分38秒)

いよいよ碇高原の登り坂に突入。走っても走ってもいつまでも続くのぼり坂は、一人で走っていたら絶対にめげてしまいそう。とにかく近くにいるランナーで同じペースで走っている人を見つけ、その人に引っ張ってもらう感じで走ることにした。

前半は納豆太郎さんに引っ張ってもらったように、見知らぬ人についていきながら1歩ずつ前に進む。このままノンストップで6分/kmで走れれば10時間以内も不可能ではないけど、弥栄町役場のレストステーションで休みすぎたし、たぶん次のレストステーションでも休むことを考えたら10時間以内は無理やろう。。
こうなったら目標は完走のみ!ということで頭を切り替え、あせらずにゆっくり走ることにした。これが逆によかったのか、長い登り坂もめげずに前に進むことができたと思う。

碇高原の登り坂に突入して約3km。標高差200mあたりから一旦下りに入ることで気分的に楽になるが、それもつかの間。ここから延々10km近くの上り坂(標高差420m)はとにかく前に進むしかなかった。沿道の声援はもちろんなかったけど、その分エイドでの暖かい励ましはほんまにうれしかった。

70km〜75km      46分10秒
75km〜80km      29分13秒 (8時間11分01秒)
     暫定 86位

坂道が10km以上も続いたら、精神的にも体力的にもかなりめげてしまう。
走ろうとする足の筋肉が限界に近づいてきたとき、走会ねっとのみよぴょんさんが私のページの掲示板で書いたことを思い出した。
「のぼり坂はきつくなりから頑張らない。下り坂は足に来るから頑張らない。。」
この坂を登りきっても、ゴールまではまだ25q以上ある。そう考えたらここで無理して頑張ることはないと感じ、思い切って歩いて登ることにした。今までレースで真剣に歩いたことはなかったけど、さすがに13qの坂を走って登りきる体力はなかったみたい。。。

長い長い坂を登りきるとようやく頂上。そしてしばらくすると、73.3q地点の碇高原総合牧場のレストステーション。
ここには着替え等の用意は何もしてなかったので、中には入らずスポーツドリンクでのどを潤していた。
脚のマッサージをしてもらい、疲れを癒していると、リタイヤされた人を乗せた自家用車が入ってきた。中に乗っている人を見てびっくり!以前明石練習会で一緒やった、うららさんが乗ってた。なんで・・??

うららさんは私よりずっとずっと早いランナーで、多くのマラソンで上位に入っている人。話を聞くと、やはり碇高原の登り坂で足を痛めてしまい、痙攣でもう走れないとのこと。一緒に完走を誓い合った中やっただけにすごく残念な気がした。

レストステーションでは休憩所で少し横になって休むことにした。弥栄町役場のときほど息は上がらんかったけど、それでも疲れはピークに達している。横になっていたら真剣に寝てしまい、危うく時間を過ぎるのも忘れてしまいそうやったわ。
これにはちょっとびっくり!あわてて出発した。

少し仮眠したおかげですっかり元気になったものの、脚は相変わらず痛い。それでもこれからは下りやからということで前には進むけど、勢いよく下るほどの脚にパワーは残っていなかった。
6分/qでひざを痛めないように走るのが精一杯。あとは気力で前に進むだけ・・

80km〜85km      33分27秒
85km〜90km      32分15秒 (9時間16分43秒)

碇高原を下っていくと、日本海の美しい景色が復活した。ここまできたら後は海岸沿いの平坦の道を走るだけやなあと思っていたのに、最後のきつい峠。
此代という、海岸沿いから左に曲がり、山道を走る標高180mのコースである。事前にコース図は見ていたけど、碇高原の峠がえげつなすぎて此代の旧道は完全にノーマーク。周りに走っていたみんながそうやったみたいで、「何でこんなところにこんなのぼり坂があるんや!」と言う声が飛び交っていた。

痛い!とにかく脚がむちゃくちゃ痛い!
おまけに最後の峠は全くのノーマークやっただけに、ほんまに辛かった
下り坂ももう脚の力は限界まで来ているし、体力的にも一番辛いところ。登り以上に太ももに負担がかかり、しゃがんで屈伸運動もできない。
それでもあと10km以上の距離を走らなあかん。体力でも持久力でもない。あとは気力だけでゴールを目指していた。

丹後町の街の中に入っていくと、沿道の声援も増え、最後の関門である87.9km地点の丹後町役場では、すごい多くの方が迎えてくれた。
ここまで走りきり、もう少しでゴールする選手一人一人に大きな声援と拍手を送ってくれる。こうやって最後の1人が関門を通るまで声援していただけるボランティアは本当にうれしい。この人たちの熱い声援がなかったら、途中で挫折をしていたかも??
時計を見たら既にお昼の2時となり、さすがに栄養ゼリーだけではお腹もすいてくる。久しぶりに梨をいただき、栄養補給。

「さああと10km少し!」同じペースで走っているランナーと声を掛け合いながら、最後の力を振り絞る。

90km〜95km      32分27秒
95km〜100km     27分38秒 (10時間16分58秒)
     79位/667名

残すところあと10km。もう坂はないやろと思っていたのに、緩やかなアップダウンが最後まで続く。
「もう勘弁してくれえ!!」心の中で叫んでいるけど、沿道の声援を聞くとつい笑顔で手を上げてしまう。
考えたら、沿道の声援にはほとんどの方に手を上げて挨拶したような気がする。京都シティハーフマラソンや、福知山マラソンでも声援はすごいけど、後半ではいっぱいいっぱいになって、とても声援にこたえている余裕はなかった。
でも既に90kmを超えて走っているのに、笑顔で声援に答えられるのはなんでやったんやろ・・?

95kmを過ぎると、距離表示が1km置きに変わった。でも下見を殆どしていなかったので、あと4km、3kmと言われても、スタートで見たような景色の面影を感じないから全然ピンとこなかった。

99kmを過ぎてラスト1km。ようやくスタートと同じ海岸線の景色が見え、「ああ、俺は帰ってきたんだなあ・・」と実感が湧いてきた。
ゴール前のそれこそたくさんの声援。前日の説明会から前夜祭、当日のスタートとずっと司会をされていたタレントの高瀬みどりさんが帰ってきたランナーの1人1人にマイク越しで声援を送る。
そして俺のときも、「802番澤田さん、お帰りなさ−い!」
マラソンの個人レースでゴールをし、涙を流したことは1度もなかったけど、このときばかりは、さすがにこみ上げてくるものがあった。

ゴールのテープを切った瞬間、最高の笑顔とガッツポーズ。ボランティアのお姉さんから完走のメダルを首にかけてもらったときは、ほんまに、ほんまにうれしかった。(^O^)/

ゴールして

ゴール地点では、75km地点でリタイアしてしまったうららさんがおられ、ゴール直後の写真を撮ってもらう。
うららさんは今回残念やったけど、リベンジとして来年は一緒に頑張ってくれるやろ。

写真を撮ってもらったあと、すかさず走会ねっとのみぞさんに報告電話。
EKIDENカーニバルに参加メンバーはレースも無事に終わり、3時過ぎやというのに既に宴会モード。もう帰ってきたと言ったらみんなすごく驚かれ、祝福のことばをたくさんいただいた。その場にいたみぞさん、MAKOTOさん、きっしゃん、コージさん。本当にありがとうございました。

走っているときは何一つ楽しいこともなく、ただただしんどいだけやったのに、こうしてゴールすると本当に気持ちがよかった。
あれだけ走っているときは、「ゴールしたらその場で倒れるかも・・」って考えていたけど、足を引きずりながらも周りをうろうろし、お腹も減ったということでカレーライスを食べに行ったりしてた。

ただ、当初10時間以内で走ると言っていたけど、それができなくて正直残念。雑誌なんかにも書いてあったけど、ほんま100kmを10時間以内で走りきることがこんなに難しいかったとは・・。