ガーラ湯沢  (95年1月)

  参加者は伊佐治賢、菱川尚、宮本伸一。菱川は正式なOB会員ではないが、サークル創立当初のメンバーである。
  このときはOB会としてというよりは、まあ暇だから行くかという感じで行った。ガーラは非常によかった。
  上越新幹線で東京から1時間くらいで着く。駅の中にフロントやら貸し靴やらショップやらがあるといったといった感じで、
  そこで着替えてゴンドラでゲレンデまで行く。コースの数も種類も日帰りで楽しむぶんには、満足いくものがあった。
  ちなみに3人が行った時には、清水圭がロケをしていた。                       (文中敬称略:文責 宮本)

五竜とおみ (96年2月17日-18日)

  今回はOB会として企画を立てるつもりだったが、伊佐治の学部時代の女友達(大阪の丸紅勤務)3人と滑ることになり、
  伊佐治賢、濱田宏昭、宮本伸一が参加した。五竜とおみは隣のスキー場(名前は忘れた)と連絡しており、共通のリフト券で
  滑ることができる。全体的には初中級者向けである。今回行った時にはモーグルの大会があったが、あまりうまくはなかった。
  同行した女の子に関しては、久しぶりに関西の子を見たせいか妙にケバく感じた。         (文中敬称略:文責 宮本)

志賀高原  (97年2月21日-23日)

  OB会初のスキーツアーとなった。参加者は佐藤毅、庄野修、宮本伸一、伊佐治賢、濱田宏昭。志賀高原は第2回NUVOLA
  スキーツアー以来6年ぶりである。懐かしさも相まって非常に楽しみだったが、おりからの寒波で22日早朝の到着予定が昼近く
  となってしまった(予定どおり到着しても強風によりリフトが動いていなかったので、あまり差がなかったが)。午後になっても悪
  天候はおさまらず、フェースマスクにゴーグルをした状態では、ゴーグルの内側が凍って視界が全くなくなってしまう始末。
  宮本は早々に宿に引き返し、残りの4人も四苦八苦して滑っていた。翌23日は朝から快晴。前日のうっぷんを晴らすつもりで、
  5人とも気合を入れて滑った。特に宮本、伊佐治、濱田は出発の2時までの間に焼額、奥志賀、ダイヤモンド、寺子屋、ジャイアント、
  西舘山を一気にまわった(さすがにこれは無謀だった)。前日の悪天候は悔やまれるが、さすが志賀高原という満足感があった。
                                                             (文中敬称略:文責 宮本)


ハンターマウンテン  (02年3月16日)

  2002年3月16日、Le Cieloスキーツアーを催しました。参加者は
  梁井、伊佐治、富田B、宮本
  の4人でした。深夜に東京を出発し、午前7時に栃木県のハンターマウンテン・スキー場に到着。
  リフトが動き出すと同時に山頂に向かい(このあたりはNUVOLAスキーツアーと同じですね)滑り始め
  ました。スキー場自体はほどほどの規模。朝のうちはアイスバーンで滑りにくかったものの、時間が経つ
  につれてコンディションは良くなりました(夕方にはかなり雪が重くなりましたが)。4人とも眠かった
  ものの昼過ぎからは、何かにとりつかれたように4時まで滑りまくりました。
  帰り道にある簡保の宿で温泉につかったときは、何度このまま泊ろうかと思ったのですが、後ろ髪を
  引かれる思いで東京に戻りました。
  次回は無理をせず、1泊程度の余裕のある予定でツアーを行いたいものです。

  当日の写真を以下に掲載しておきます。                            (文責 宮本)

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草津温泉国際スキー場   (04年2月20日〜22日)

  2004年Le Cielo恒例春スキーツアーは、2/20(金)〜22(日)の日程で行われた。目的地は群馬県
  草津国際スキー場。温泉とスキーを一緒に楽しもうというセコい考え・・・いや、一度に二倍楽しもうという
  グリコのキャラメルのようなおいしいツアーである。その参加者(以下敬称略)は、
   宮本、梁井、伊佐治、矢野、富田B
  のTHEオーバーサーティーズの5名。

  金曜深夜、梁井カーによる各自宅への出迎え(ほんますんません・・)の後、最後の矢野宅へ。
  その道中、練馬区「豊玉(とよたま)」という場所に「オマタ建設」なる会社を発見、一同意味もなくテンション
  上がる。(ま、まあ夜中ですから・・)

  AM5:30に都内を出発、関越道・上信越道を一路軽井沢へ。早朝のため道は比較的空いており、スイスイと
  めだかの兄弟のように進む。軽井沢からは一般道にて草津へ。しばらく行くと浅間山の麓に差し掛かり、その
  近くに「この先、鬼押出し園」の看板が。ここで車内にて大論争が巻き起こる。鬼押出し園ということはつまり・・・
  鬼が押し出したのか?それとも鬼が押し出された?いや鬼に押し出されたかも。鬼と押し出されたやったりして。
  朝っぱらから、そんなことどうでもええっちゅうねんっ!! というツッコミもないまま、草津を目指すのであった。
  (ちなみに浅間山噴火時に、鬼が暴れて岩を押し出したかのようであった、という由来だそうです)

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  AM8:30にはスキー場に到着。快晴の下、早速すべるぞっ!と意気込む。午前中は、明らかにお呼びでない・・
  いや、及び腰の初心者矢野(↓画像 5)のお守りを梁井が引き受け、宮本・伊佐治・富田Bの3名は、ちょくちょく
  上級者コースへと向かう。

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  食事を済ませた後、午前中の練習の成果を見せようと、全員揃ってゲレンデ最高峰の白根山山頂付近にある
  上中級者コースへ。快晴で周りの白い山々が美しく見渡せ、そのあまりの素晴らしさに得意のエッヘンポーズで
  満面の笑みを浮かべる矢野と、やや呆れ顔の男衆たち↓。

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  山頂ではかなりのハイテンションを見せ付けていた矢野。その30分後の哀れな姿・・↓

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  なんでもない斜面を「怖い〜怖い〜」とスキー板を脱いで四つん這いになって登る矢野の様は、
  まさにあの幻の生物、ツチノコであった。結局斜面を登ることを断念し、伊佐治に背負われて斜面を
  降りるも、最終的にはレスキュー出動という最悪の結果に。(ちなみに矢野はNUVOLA時代にも
  レスキューを呼んでいる)

  残りの時間は、男衆のみですべりまくり、PM4:30頃スキー終了。本日の宿「こいけ」へ。
  草津にして一泊8,000円という安さに一抹の不安を感じていたが、結構綺麗な部屋であった。
  全員で酒買い出しのため温泉の中心地「湯畑」でお買い物した後、宿に戻って美味しい食事。
  その後、待望の温泉(こじんまりした宿の風呂)に入る。流石に日本三名湯の一つに名を連ねる
  だけのことはあり、目に入った石鹸をお湯で洗い流すと余計に目が痛いくらいの強烈な硫黄泉で
  あった(あかんがな。) でも次の日にはお肌つるつる、すでにつるつるの吉矢氏にもお薦めである。

  全員風呂から上がった後、宴会が始まる。伊佐治の「嫁が寝た後こっそり隣の部屋から
  遠隔操作で嫁にエッチなことしてる疑惑」や、各自の「過去に見た大きな乳輪話」など、
  梁井・矢野を中心に、話の8割以上が下ネタという・・・予想された展開であった。PM12:00就寝。

  次の日も快晴! にも関わらずだら〜っと過ごす5名は、一部で予定されていた午前スキーを
  あっさりキャンセルし、露天の温泉を満喫することに。矢野は「大滝の湯」、男衆は「西の河原温泉」へ。
  気持ちいい陽の光の下、雪に囲まれた大きな露天風呂にて缶ビールを空け、最高の気分に浸る。

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  温泉を出た後は各自別行動でお土産調達、富田Bは独りで名物「湯もみショー」(↓画像19)へ向かう。
  昼食をとって、多くの人で賑わう草津を後にする。帰り道、白糸の滝(雪崩に巻き込まれそうになる:
  画像21)や軽井沢のアウトレット(矢野、現金足りず集合時間に大遅刻)に立ち寄るなどもした。

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  スキー・温泉・その他諸々、盛り沢山の企画を成功させた梁井さん(運転手としてもね)を
  始め、参加された皆さん、本当にお疲れ様でした。とても楽しいツアーでした。

                                                               (文責 富田β)

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