注)私の亡くなった大学時代の友人に関してすごく個人的な理由から残しているページです。
  完全に私的な内容ですのでどうぞお戻り下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



消したくない記録。
ここに移してくることで、何かなる訳でもないけれど。
ただ、このまま消えてしまうのは嫌で。


ピッツァ
きんた 2001/12/23 00:19:12

おいっす。
なかなかかっちょいいホームページやね。
赤いし。
前に聞いた話が、ホームページとかに載っとるのって
なんか変な感じやな。
ピザの話とか。
もっと載せれ。



当時

感じた事をそのままにここに残します
s



*追悼。その後…
暗い、重いと思われるかもしれないけれど、それでも良いという人だけ見て下さい。

唐突だが。

人は死ぬ。
時にゆっくりと、時に突然。
とても悲しいが、それは誰にでもいつかは確実にやってくる。
近い者が亡くなった時程、そんなこと納得いかない。
神という者が運命をつくっているというのなら腹立たしくてしかたがない。
運命のいたずら?ふざけるな。


人はそれまでに出逢った人の「かけら」のようなものが集まって出来ていると思う。
それまで出会った各人の影響を意識、無意識関わらず受けており、今の自分というのはそれらの集合体だと思う。
その人と過ごした時間が大切であればある程、その「かけら」は大きくなっていく。
しかしその大切な人が、この世にいなくなってしまった場合。
その「かけら」は死の一瞬で膨らみ、そして硬直してそれ以上は大きくならなくなってしまう。
それはとても悲しくて。悲しいという言葉一つでは片付けられない程、
悲しい、悔しい、運命へ恨み、怒り、脱力感、不安、困惑…。
マイナスの感情が津波のように押し寄せる。やり場がなく自分のなかで反芻する。
死の一瞬で膨らんだ「かけら」があまりにも大きすぎて動けなくなる時がある。
その人との思い出がそれ以上増えない、声も届かないという事実に愕然とする。

しかし、時間が経つといつか
忘れるのではなく、他の生きている人の「かけら」が増えたり、大きくなったりすることで
その死の痛みを乗り越えることがいつかできるのだろう。
大事に思う家族、友人等がいれば、笑うこともできる。
笑うことができれば生きることができる。
言葉で言う程簡単じゃないにせよ。
そんな風にできている。


どうせ死ぬのだからといった考え方をしてしまうと、
世の中の全てが空しくなってしまうという考え方もあるかもしれない。
しかし、人は死ぬ為に生きてる訳では絶対ない。 絶対ない。
人はいつか死ぬ。だからこそ
死ぬまで生きる。
生きる為に生きている。
夢に生きるのもよし、現実に生きるのもよし、誰かの為に生きるのも、流れのなかで生きるのもまたいいかもしれない。
様は、カッコ良いと言われようが、悪いと言われようが
自分のなかで大切にしているもの、人を獲得していくこと。守ること。暖めること。
それが生きることだと思う。

あなたにとって大事なものは何ですか?
ありきたりな言葉だけれど、
本当に大切なものは無くなってから気付くことも多い。多かった。
立ち止まっていると、手の中の砂のようにこぼれ落ちていくから。
歩いてでも、走ってでも、回り道してでも前に進もうと思う。

そして、
理想は散々述べたから
だけれど自分の弱さも知ってるから。
死ぬまで生きる為に
生きる為に「力」が欲しい。


はっはっは、かっこつけすぎやね。
明日もまたがんばろ。