I ask you to be…

 

 

 久方ぶりの逢瀬に言葉は要らない。

 誘うとも誘われるともなく二人の手が互いを求める。

 常夜灯の微かな明かりの下で、互いの体温を未だ着たままの服ごしに感じあう。

 交わされる口付け。

 そっと触れるだけ。啄ばむ様に。そして、貪欲に。

 青島の肩に触れる室井の手がそっと彼を押し倒し、室井の背に回された青島の手が誘う様に彼を

抱き込む。

 重なり合ってベッドに横たわる二人。

 白いシーツの上で褐色の肌に唇を落とした時、微かに伝わってくる青島の震え。

 唇から漏れる甘い吐息。すがり付いてくるような手。

 その全てが愛しくて。

 この世のどんな物よりも大切な存在。何にかえても守りたい物。

 今、自分はそんな大切な存在を傷つけようとしている。

 はじめての夜に半ばその場の勢いで決まった役割。以後、青島はなにも言わず、微笑さえ浮べて

その役を受け入れた。

 だが、青島も男である。本来受け入れる側ではない体にこの行為は辛いものがあるはずだ。

 いや、体だけではない。

 存外にプライドの高い彼のこと。同じ男に抱かれるというこの行為に心すら傷付けているのかもしれ

ない。

 しかし青島はなにも言わずに室井を受け入れる。室井が求めれば求めるだけ、己の全てを差し出

してくる。…微笑んで。

 自分はそんな青島に甘えているのだと思う。男としてのプライドも自分の心さえ捨てて自分に尽くし

てくれている青島に。

 だが、同時に不安にもなる。

 自分は彼に愛されているのだろうか? 

 彼は何も言わない。

 仕事においてあれほど己を貫き通す彼が、プライベートにおいて何一つ我侭を言わない。

 ―室井さんの都合の良い時に。

 ―こっちは大丈夫です。

 ―何時がいいですか?何がいいですか?どれがいいですか?

 ―それで、いいですか?

 彼は何も要求しない。いや、要求しなくなった。自分が降格された時から。

 だから不安になる。

 ―もしかしたら、青島の心には自分に対する負い目しかないのかもしれない。

「…っ!」

 その瞬間、青島の顔に苦痛の色が浮ぶ。

 何度体を重ねようとも慣れる事のない瞬間。そのあとに確実に快楽が訪れるとわかっていても、

どうしても体が強張ってしまう。 

 そんな青島を抱きしめながら、室井はいつも無意識の内に同じ台詞を口にする。 

「…済まない」

「……」

 囁かれた言葉に青島の顔に先程とは別の表情が浮ぶ。だが今の室井にそれを読み取る余裕は

なかった。

 青島の熱を感じ追い詰める。青島もまた、室井の熱を受け止め追い詰められる。

 互いの熱に融かされる境界線。正義も道徳も常識すら融かされ消えて行く。

 残ったものは、熱に融かされひとつになった二つの…。

 

 

 行為の後の気だるさに微睡みながら、柔らかな青島の髪を梳いてやる。

 猫の様に胸に頭を摺り寄せてくる彼を抱きしめる。

 穏やかな二人だけの時間。

 自分の胸に頭を乗せ眠っている青島。まるで幼い子供の様に無防備なその寝顔。

 そんな彼を見ているうちに、堪らない愛しさがこみ上げてくる。

 背を撫でる手が消えない傷跡に触れる。

 何時も傷付けてばかりだと思う。体だけではなく心も。

 もう一度彼を抱きしめる。

 彼を守りたい。彼に答えたい。彼の望みをかなえてやりたい…。

 それで少しでも彼が癒されるなら。

「…お前は何を望んでる?お前が望むなら俺はどんな事をしてもその願いをかなえてやる…」

「…どんな事でも?」

 一人ごちた室井に答える声。

「…!起きてたのか」

「半分起きて、半分寝てました。…それよりさっきの事、ホント?」

「さっきの事って…」

「俺の願い、どんな事でも叶えてやるって」

「…ああ。俺に出来る事だったらなんでも、な」

 その言葉にしばらく室井の胸に頭を預けたままだった青島が、僅かに体を起こし、室井の胸の上に

完全に上半身を預ける形をとる。

「ホントに何でも?」

 丁度心臓の上で両手を重ね、その上に顎を乗せて覗きこんでくる琥珀の瞳。その妖しい輝きに気

圧されつつ掠れた声で返事をする。

「…ああ!……もちろん本当だ。おまえが願うなら俺の命だってくれてやる」

「……」

 室井を見つめる琥珀の瞳がかすかに揺れたような気がした。

「あおしま?」

 室井の問いに一度伏せられた瞳は、再び開かれた時今までとは全く違う光を宿していた。

 まるで、悪戯をしかける子供のような無邪気な瞳。 

「何でもいいなら…。あのね俺、たまには上の方がやりたいな」

「…は?」

 一瞬言われた事が理解できなくて、間抜な返事をしてしまう。

「いつも俺下ばかりじゃないですか。だからたまには…ね?」

 にっこりと笑いながら擦り寄ってくる悪戯っ子。誘っているような姿に室井の中に再び火がともってく

る。

「…そう、だな。いつも前からと後ろからしかしたことなかったな。…うん、たまには気分を変えて騎乗

位というのもいいかも…。よし!さっそく…」

「……そーじゃなくて」

 変に乗り気な室井を据わった目で見据えて、今度は完全に上半身を起こす。

 室井の肩に両手を添え、僅かに体重をかけ押さえつける。

「あ、あおしま?」

「だからね。いつも俺がやられるばっかじゃないですか。たまには俺にもやらせてください。いいで

しょ?」

 押さえつけたまま、首をかしげて強請ってくる青島。

 今度こそ言っている意味をはっきり悟り焦る室井。

「ちょ、ちょっとまて!それは…!」

「…さっき、俺の望み何でも叶えてくれるって言ってくれたじゃないですか」

「た、確かに言ったが…」

 言った言葉に嘘は無い。叶えてやれるならどんな事でも叶えてやりたいと思った。

 しかし、まさかこんな望みが飛び出してくるとは想像すらしていなかった。

「ねぇ駄目?」

 そのまま硬直してしまった室井に追い討ちをかける様に、さらに強請ってくる。

 まるで玩具を強請る子供の様に、大きな瞳をきらきらと輝かせ小首を傾げている青島。完全無欠の

お強請りポーズ。

 そんなめちゃくちゃ可愛い顔で「させてくれ」などといわれても、説得力が無いと言うか納得がいかな

いと言うか…。

「そ、それは…」

「ね、いいでしょ?俺だって健康な男ですもん、たまにはやるほうが良いし。…それにほら、最近ちょっ

とマンネリ気味だったから気分を変えるついでに立場も変えるのもいいと思いません?だから…」

 そういいながら片手を外し、室井の胸の上で悪戯をはじめる。

 先程の行為の名残か、微かに上気した頬。欲望の艶を漂わせている琥珀の瞳。

「い、いや!やはり駄目だ!こればかりは譲れんっ!」

 そんな、いかにも襲ってくれと言わんばかりの姿で、一体何を言い出すのか。

 願いを叶えてやりたいと言う気持ちは強いが、室井の本能(特に下半身)がそれを拒否する。

「なんでですか?!さっきは何でもお願い聞いてくれるって言ったじゃないですか!」

「言った!しかしこればかりは駄目だ!第一お前には無理だっ!」

「無理ってことは無いでしょっ!大丈夫です。俺、室井さんと違って満足させる自信ありますから!!」

「……おい、ちょっと待て。今聞き捨てならないことを言ったな?」

「…あ」

 売り言葉に買い言葉。その場の勢いでつい、言ってしまったとは言え一度発せられた言葉を取り消

す事は出来ない。

「俺と違って…?満足させる…?」

「え、えっとぉ…。その…」

 後悔先に立たず。覆水盆に帰らず。サルも木から落ちる。…これは違う。

 肩を押さえつけている両手を力尽くで外し、ゆっくりと身を起こしてくる室井を見ながら、昔覚えた 

諺を意味なく思い出す。

「そう言えば、さっきマンネリ気味だとか如何とか言ってたな」

 完全に目が座っている室井。先程までの立場は完全に逆転し、今度は青島が押される側になる。

が、青島もここで引くわけには行かない。負けず嫌いの性格がむくむくと頭をもたげてくる。

「だ、だってそうじゃないですか!室井さんってば、いつも自分だけさっさとイっちゃうじゃないです

かっ!」

「なんだとっ!!」

「俺のことほったらかしにして自分だけ!」

「人の気も知らないでよく言ったな!!お前だって俺がどんなに努力してるか知らないだろうが!!」

「努力ってなんっすか、努力って!!」

「大体最近おまえ、スカスカになったんじゃないかっ?!」

「な、な、なっんだってぇぇっ!!それはあんたが小さくなったほうでしょうっ!!」

「なにぃぃぃぃっ!!」

 こうなってしまえばもう後には引けない。

 明治より連綿と続く警察組織をたった二人で替えていこうとする者同士。

 何事にも負けに強い意思と精神力を備えた者同士。

 はっきり言って、こうと決めたら梃子でも動かない石頭の頑固者二人。

 そんな二人がぶつかり合えば…。

 まぁ、こうなる訳で。

「……室井さんの×××」

「………青島の×××」

「…×××の○△□のくせに!」

「だったらお前こそ■◎#の☆▲♂だろうがっ!」

「あ――っ!そういうこといいますかっ!!●∞×♪なのはそっちでしょっ!!」

 TVで放送されれば苦情の嵐。本になれば発禁処分間違いなし。という非常に低レベルかつ、深刻

な痴話げんかは約一時間に渡って繰り広げられた。

 そして。

「……わかりました」

 一体何がわかったと言うのか。完全に据わった目で室井を見据え一言。

「…浮気してやる」

「…な?!」

「……室井さんの、ばかぁぁぁぁぁっ!!!」

「うわぁぁっ!」

 目に涙を溜めながら、渾身の力で室井をベッドの下に蹴り落とし、ついでにそのまま部屋の外まで

転がして寝室から完全に締め出してやる。

「お、おい!こら鍵開けろって!!」

「室井さんなんて、しらないっ!」

「こら!あおしまっ!!」 

「ふんっ!!」

「おーい!」

 いくらノックしても返事は無し。閉め出しくらった哀れな室井は、結局一晩リビングのソファーの上で

過ごす羽目になった。

 

 

 翌朝。

「…っくしょいっ!!」

 肌寒さを感じ目を覚ます。壁に掛けられた時計の針は9時過ぎを差していた。

 慌てて身を起こすが、今日は休みをとっていたことを思い出す。本当ならば青島と二人何処かに出

かけるつもりでいたのだが、彼の都合がつかず計画倒になってしまったのだ。

『…済みません。せっかく室井さんが休み取ってくれたのに…』

 休みが取れなかったといったときの青島が脳裏に浮ぶ。

 彼が悪いわけではないのに、まるで自分が罪を犯したかのようにひたすら室井に謝っていた。

「…青島」

 溜息を一つ吐いて起き上がる。床に落ちた毛布を片付けようとした手が止まった。

「……!」

 落ちた毛布は二枚。昨夜室井が自分で出した毛布は一枚。ならばこの毛布は…。

 慌てて寝室に駆け込んでみるが、青島の姿はすでに無かった。もうすでに出勤してしまったあとで

ある。

 脱力して崩れる様にベッドに腰掛ける。もちろんそこに彼の温もりは残っていない。

 俯いて、膝の上で組んだ両手を額に押しつける。

 罪悪感で一杯になる。

 あんなケンカをしたばかりだというのに、自分のことを気遣ってくれる青島。 

 逆に我侭一つ言わない彼の、たった一つの願いすら叶えてやれない自分。

 それどころか、彼に向かって小さいだの、スカスカだの、×××だの、♂▲◎だの…。

 ……。 

 とにかく酷い事を言ってしまった。

 愛想をつかされても文句は言えない。

『…浮気してやる!』

 昨夜そう言った彼の瞳を思い出す。

「……まさか、な」

 だんだんと不安が募ってくる。昨夜はそのまま聞き流してしまったが。

「…冗談だよな?」

 もちろんその問いに答える者は、いない。

 

 さて、一方こちらは湾岸署。

「……30回目」

「え?」

 突然掛けられた声に驚いて振り向くと、デスクで報告書を書いていたすみれが呆れたようにこちら

を見ていた。

「今日朝からついた青島君の溜息の数!さっきで丁度30回目!!」

「さ、30回目って」

 自覚が無いままに30回も溜息をつく自分も自分だが、それをいちいち数えていたすみれもすみれ

である。

「…数えてたの?」

「暇だから」

 そう言う問題ではないような気もするが、ひとまず納得する。確かに今日は暇だった。

 相変わらず人の出入りは激しいがそれはいつもの事だったし、今日は通報らしい通報は1件も

入っていない。あったといえば旦那の浮気が原因の夫婦喧嘩が1件のみ。これも魚住の仲裁であっ

さり片付いた。他には何も無い。見事に無い。

 おかげで青島もすみれも溜まっていた書類書きにいそしむ羽目になったのだった。

 再び溜息がこぼれる。

「31回目。…ねぇ、なんかあったの?」

「なにって…」

「ケンカでもした?…これと」

 眉間に皺を寄せ人差し指で指差す。

「なんで室井さんが出てくるんだよ」

「違うの?」

「……違わないけど」

 完全にこちらを向いて覗き込んでくる、すみれ。

「やっぱりね。…で、原因は?」

「……別に大した事じゃないって」

「ふーん。どうせ青島君がなにか我侭言ったんでしょう?」

「違うよ!室井さんがっ…!」

「室井さんが?」

 まっすぐなすみれの瞳が青島を捕らえている。

 その好奇心いっぱいの瞳の中に、本気の心配が覗えて。

「……何でも無いっ!ホントたいした事じゃないからね」

「…ならいいけどね」

「そ、そう!別に何でも無いから!…あ、俺ちょっと休憩してくるから。あとよろしく!」

 返事も待たずに席を立つ。入り口付近で情報提供者だろうか、よれよれのトレンチコートにくたびれ

た帽子をかぶった怪しげな男性とぶつかり、ひたすら謝りつつ刑事課を飛び出して行った。

「やれやれ」

 その様子を見て呆れたように肩をすくめる。ケンカの原因をつきとめるのは簡単だがもう少し様子

を見たほうがいいだろう。

「全く手が掛かる二人だこと!ねぇ?」

 そう言って傍に立っていたトレンチコートの男に同意を求める。

「あ、わた…いや俺にはなんの事だかさっぱり」

「あ、ヘンな事聞いて御免ね」

 帽子を目深にかぶり風邪でも引いているのかマスクまでしているその男ににっこりと笑いかける

すみれ。

「あ、いや別に…。は、ははははは」

 男は引き攣った笑い声を上げながら外へと出ていった。

 

 

 人気のない喫煙室のソファに腰掛け、ぼんやりと煙草を吸う。

 思い出すのは昨夜の事ばかりで。

 我ながら酷い事をいったと思う。その場の勢いとはいえ、あんな事やこんな事、挙句の果てに×××

だの◎△◇だの…。

 本日32回目の溜息が漏れる。

 最初は冗談のつもりだった。ホンのちょっとからかうつもりで言った事だった。その後で自分の本当

の願いを告げるつもりだったのだが。

 気がつけば放送禁止用語のオンパレード。全く自分の負けず嫌いの性格が恨めしくなってくる。

 でも。

『…済まない』

『…お前が願うなら俺の命だってくれてやる』

 再び昨夜の言葉を思い出し、胸に痛みが走る。

 何時も優しい室井さん。

 俺の事ばかり気にかけて、自分の事は二の次で。

 あの時からずっと。自分が刺された時からずっと。

 自分のせいで降格されたというのに、逆に自分の怪我の事ばかり気にしてた。

『俺の責任だ』

 そう言って。

 きっと室井が優しいのは、自分に負い目を感じている為だろう。

 責任感の人一倍強い彼の事だから…。

 だから、せめて自分に出来る事なら何でもやろうと思った。彼が望むなら体だって差し出した。

 退院後初めて傷跡を室井に見せた夜、あまりにも辛そうな彼の姿に少しでも癒しになるならば、

と望まれるままに体を差し出した。

 愛しているから。誰よりも室井の事を愛しているから。

 室井の心の中にあるものが自分に対する負い目であってもかまわなかった。

 心を置き去りにされた行為は辛いけど、それが室井の望みならかまわないと思った。

 だけど何時までたっても室井の心から自分に対する負い目が消える事は無かった。

『…済まない』

 謝らないで。

『…お前が願うなら』

 優しくしないで。

『俺の命だってくれてやる』

 そんなもの入らない。ホントに欲しいのは別のもの。

 たった一言の言葉だけ。

 たとえ偽りでもかまわないから。

 

 

「先輩っ!」

 頭上からの呼び声に思考の淵から戻ってみると、少し怒った真下の顔が見えた。

「もう!探したんですからね。報告書今日中に本店に持って行く事になってるんですから、さっさと書い

てもらわないと…。って、どうしたんですか?」

 一気に捲くし立てた後、青島の様子がいつもと違う事に気がついたのか心配げに覗き込んでくる。

「なんだか変ですよ?あ!もしかして室井さんとケンカしたとか?!」

 すみれといい、真下といい何故すぐそう思うのか。他の理由は考え付かないのだろうか。

 もっとも、図星なので反論できないが。

「…別にいいだろ」

 なんとなく面白くなくてそっぽを向く。

「なに拗ねてんですか?しょーがないなぁ。コーヒー奢ってあげますからそれで機嫌直してくださいよ、

ね?」

「あのね、コーヒー1本で機嫌直るほど子供じゃないよ、俺は!」

「まぁ、いいからいいから。…あれ?」

 一体何がいいのか。青島の言う事をさらりと聞き逃しながら自販機に向かった真下の手が止まる。

「…今度はなんだよ」

「いや、この自販機電源が入ってないみたいで。…それにこんな自販機いままであったかなぁ?」

「はぁ?」

 不思議そうな真下の声に見てみれば、確かにそこには今まで見た事がない自動販売機が、見慣れ

た物達とともに並んでいた。

「署長か警務の誰かが新しく設置したんじゃないの?」

「そっかなぁ?」

「そうだよ」

「…そう、ですね!いやぁ、あの署長も結構気が効くじゃないですか!」

 二人で勝手に結論付けて新しい自販機をバシンと叩く。瞬間、大きく揺れる自販機。そして。

「……先輩、いまなにか聞こえませんでした?」

「なんにも。どうした?」

「いえ!なんでもないです。きっと気のせいです」

 そうだ、気のせいだ。まさか自販機が叩かれて『痛い!』なんて言うわけないもんな。

 そう一人で納得し、改めて横の自販機からコーヒーを一本買って青島に渡す。ついでに自分の分も

買って新しい自販機に凭れ掛かる。

 コーヒーを飲みながらもう一度青島の横顔を観察してみる。やはりいつもとは違うその姿。

 何処か寂しそうな横顔。昨夜室井となにかあったのは間違いないだろう。

「…これはもしかして、先輩を振り向かせるチャンスかも!」

 普段は剃刀の刃すら入る隙間のない二人だが、逆に一度亀裂が入るとその修復にはかなりの時

間がかかる。それは以前の放火事件の時に実証済みだ。

 このチャンスを利用しない手はない。あの時は失敗したが、今度こそ先輩を…!

「どした?腹でも痛いのか?」

 眉間に皺を寄せ黙り込んでしまった真下に怪訝そうに声をかける。

「いえ、大丈夫っス!それより今晩二人で飲みに行きませんか?もちろん僕の奢りで。…なにがあっ

たかは知りませんけど、パーっと憂さ晴らししましょうよ!!」

「…いいかもな。どうせ今夜はうちに帰りたくない気分だったし。よし!二人でパーっと飲み明かす

か!!」

 と、その瞬間、背後の自販機が大きく揺れた。

「…地震かな?」

「さぁ?」

「さてと!そろそろ仕事に戻ろっかな」 

 真下の誘いに元気が出たのかぱっと椅子から立ち上がり大きく伸びをする。

「じゃあ、また後でな!あ、これ貰って行くから」

「どうぞどうぞ」

 缶コーヒーを片手に笑顔を浮かべ刑事課に戻って行く青島。

 その後姿を見送りつつ、真下の溶けた脳味噌は怪しげな妄想に浸っていた。

「ふっふっふ。室井さんとのケンカで落ち込んでいる先輩を優しく慰めながら酔い潰し、そのまま僕の

部屋に連れ込んで優しく解放しつつ一気に押し倒す!『先輩、僕前から先輩の事好きだったんで

す!』『俺もホントはずっと真下のこと…』『先輩!!』『…真下…!』……なんてな。あはははは!」

 訳のわからん妄想に取り付かれている真下の背後で立ち上る殺気。それと同時に頭上からなにや

ら影が落ちてくる。

「…?」

 不思議に思い振り向いた真下が見た物は。

「…え?」

 表面に怒りマークを浮べながらゆっくりとこちらに倒れてくる自販機で。

「なんでぇぇぇぇぇぇっ?!」

 

 

「あれ?なんだかずいぶん騒がしいじゃない」

「ああ、ついさっきそこの喫煙室で誰かが倒れてきた自販機の下敷きになったって話よ」

「えー?!ホント?俺もついさっきまでそこに居たんだよ!」

「あら、そうなの?」

「危ないなぁ。俺も今度から気をつけなきゃ」

「おーい、恩田君に青島君!無駄口聞いてる暇があったらさっさと報告書書いてよね。…ところで誰

か真下君知らない?」

「…さぁ?」

 …合掌。

 

 

 そんなこんなで日も暮れて。

「はい!丁度100回目!」

「…まだ数えてたんだ」

「暇だったんだもん」

 あのあと事件らしい事件も起こらないまま1日は終った。おかげで溜まっていた書類の殆どを片付

ける事ができ、袴田課長は久しぶりにご機嫌で帰宅していった。

「青島君も早く帰ったら?もうすること無いんでしょ」

「いいじゃない。そう言うすみれさんは帰んないの?」

「わたしは当直」

「あ、そ…」

 後に続く言葉も思いつかず黙り込む。刑事課に久方ぶりの沈黙が訪れる。

 結局、真下と飲みに行く約束は真下の負傷(全治1週間)によりキャンセルとなり、かといって素直

に帰る気にもなれずそのままぐずぐずと居残っているわけなのだが。

「…あ〜あ、なにか事件でも起こらないかな」

「こらこら。ケーサツカンの台詞じゃないわよ、それ」 

「だって…」

 子供みたいに机の上で拗ねている青島。散らかったままの机の上には無意味な落書きが散乱して

いた。

「だってじゃ無いの!いいから早く帰りなさいって。…でさっさと室井さんに謝っちゃいなさいよ」

「…なんでそこで室井さんが出てくるの」

「隠したって駄目」

 それまで後ろで書類の整理をしていたすみれが、不意に立ち上がり机の上に散らばっている落書

きを一枚取り上げた。

「あ…!」

「気にしてるくせに」

 すみれが取り上げたのは一枚の書き損じた報告書。その裏に書いてあったのは。

『室井さん』

「…ケンカの原因がなにかなんてもう聞かないけど、後になればなるほど仲直りしにくくなるわよ」

「……」

 青島は答えず、傍にあった人の背丈ほどのある巨大な観葉植物の葉を弄くっている。

「は〜あ、しょうがないわね。…夫婦喧嘩の仲裁なんてしたくないけど、愚痴ぐらいなら聞いてあげる

わよ。さ、おね―さんに何でも話してみなさいね」

「…すみれさん、俺のほうが年上」

「精神年齢はわたしの方が上!」

 笑顔でキッパリといわれ反論できなくなる。それに、確かに自分が子供っぽいという自覚はあるのも

事実だ。

 青島は101回目の溜息をついた後、すみれの言葉に甘えさせてもらう事にした。

 もしかすると自分は初めから誰かに心の中を聞いてもらいたかったのかもしれない。

「…室井さんがね…謝るんだ」

「…なによそれ」

 そうして今までずっと不安に思っていた事を話す。

 室井の自分に対する優しさ。そして自分に対する気持ち。

 すみれは何も言わず聞いてくれた。

「きっと室井さんの中には俺に対する負い目で一杯なんだと思う。だからあんな事まで言ったんだと

思う」

「あんなこと?」

「『俺の命をくれてやる』って…。でも俺そんなもの要らないんだよね。ホントは別のものが欲しかった

んだ。…『愛してる』って言って欲しかった。それがたとえ嘘でも言いから…」

 空調の風が当たったのか、観葉植物がざわざわと葉を揺らす。

「…青島君。青島君の気持ちはどうなの?室井さんのこと好き?」

「好きだよ!」

「愛してる?」

「愛してるよ!でなきゃ…あんな事……させやしないよ。俺、室井さんだから…」

 最後は小声で呟く様に言った後、耳まで真っ赤になって俯いてしまった。

 傍らの観葉植物が再び大きく葉を揺らす。青島に触れようとするかのように。

「それ、室井さんに言った?」

「…え?」

 意外な事を聞いたというように驚いて顔を上げる青島。それを見たすみれの顔に苦笑が浮ぶ。

「多分ね、室井さんも同じ気持ちだと思うわよ」

「な、んで…?」

「私は室井さんと青島君がどんな付き合いかたしてるのかよく知らないけど、それでも最近の青島君

見てて思うもの」 

「最近の、俺?」

「青島君、室井さん対して我侭言わなくなった。ううん、我侭だけじゃない。自分の意見も言わなく

なった」 

「そ、そんなこと…無い、よ」

 自分が室井に対して何も言わなくなった?そんな事無い。昨日だって久しぶりに大喧嘩して…。

 久しぶりに?…そういえば、ずいぶんケンカらしいケンカしていなかった。確かになかなか会えない

二人だけど、以前はもっとぶつかり合っていたような気がする。でも最近はそんなことは無くなった。

それは御互いの立場を理解した結果だと思っていたけど…。

「青島君が室井さんに愛されてないって思っているように、室井さんも青島君は自分に対する負い目

しかないって思ってるんじゃない?」

「……」

「誰かの為に尽くすって素敵なことだけど、その為にホントの自分を殺すって言うのはちょっと違うと

思う」

「ホントの自分?」

「そ。室井さんが愛したホントの青島君。何時もまっすぐで自分の意思を貫き通してきた青島君」

 すみれの瞳に困惑している自分の顔が映っている。まるで迷子の子供のような顔。

 自分は何時からこんな顔をしていたんだろう。

「室井さんに『愛してる』って言って欲しかったら、まず自分から『愛してる』って言わなきゃあの朴念仁

には通じないわよ。何時までも受身ばっかり取ってちゃ駄目。たまには攻めることも大切よ!」

「攻めるって…」

「…言っとくけど、『そっち』の意味じゃないからね。恋愛は何時も真剣勝負だってこと!」

 腰に手を当て拳を握り締め仁王立ちになっているすみれ。たくましいその姿に思わず見惚れてしま

う。

「すみれさん、カッコイイねぇ」

「まかしてよ!だてに経験積んでないわ!」

「経験だけはね」

「余計な御世話よ!」

 青島の軽口に怒りながらも、普段の彼に戻ったことにほっとする。

「さ、わかったなら早く行く!!考えるよりまず行動。それが青島君でしょ!」

「はい、了解しました!!」

 ぱっと立ち上がりすみれに向かって敬礼する。

 それからコートと鞄を手に外に向かって走り出す。

「あ、そうだ青島君…」

「今度奢るからね!!すみれさん!」

「…わかってんじゃない」

 走り去る背中を見送りながら微笑む。

「あ〜あ。まっっったく、手の掛かる二人だこと!ねっ!」

 そう言って傍らの巨大観葉植物に向かって同意を求める。

 その際、巨大観葉植物が微かに動揺したように見えたのは、気にせいだろう。…多分。

 

 

 乱れる呼吸を無理矢理整えチャイムを鳴らす。

 室井に会ったら最初になんて言おう。まず一番初めに昨日のことを謝ってそれから、自分の気持ち

を正直に伝えよう。それから…。

「青島!」

 聞こえてきたのはてっきり室内に居るとばかり思っていた室井の声。驚いて振り向くと何処かに出

かけていたのか、私服姿の室井の姿があった。

「む、むろいさん?」

 突然のことに対処しきれていない青島に対し、更に追い討ちをかけるかのように彼を強く抱きしめ

る。

「むむむむむろいさん?!」

「済まなかった」

「…え?」

「俺は何時も大切な事を見落としてお前を傷付けてばかりいる。昨夜だって…」

 言いかける室井を制し、ゆっくりと体を離す。そして正面に立ちまっすぐに室井を見据える。

「それは俺も同じっす。昨日は言いすぎました、ごめんなさい。それから…」

「青島、俺はお前を愛している」

「…!」

 自分を見つめ返してくる力強い漆黒の瞳。

「…昨夜お前に『浮気する』って言われてたまらなく不安になった。お前が他の奴と一緒に居る所を想

像して腹が立った。全く自分がこんなに独占欲が強い男だとは思っていなかった」

「室井さん…」

「お前が居なくなった事を想像して、怖くなった。…それで自分がどれだけお前の事を愛しているか

改めて気付かされた」

「……」

「愛してる。俺にはお前だけだ。お前が傍に居ないと駄目なんだ。…守られていたのは俺のほうだっ

たんだ」

 聞いている青島の瞳から涙がこぼれる。

「あおしま…?」

「…先越されちゃいましたね。俺のほうから告白しようと思ってたのに。…あーなんだか悔しいや。

やっぱ室井さんには敵わないのかな」

 そう言った青島は泣きながら笑っていた。それは今まで室井が見た中でも最高の笑顔だった。

「そんな事ないぞ。俺のほうが何時もお前に負けてばかりいる」

「えー!そんな事ないっすよ!!」

 驚く青島に苦笑し、もう一度抱き寄せる。今度は先程とは違いそっと包み込む様に。

「返事聞かせてくれるか?」

「…はい。俺も室井さんの事愛してます」

「ありがとう」

 どちらとも無く体を離し見詰め合う。

 そっと微笑みあった後交わされる口付け。

 それは今まで幾度となく交わされたどんな口付けより甘く切ないものだった。

 

 

 そのころ。

「な、なんだこれは?!」 

 同じ官舎に住んでいる新城賢太郎氏は、自宅前に放置されていた物体に頭を悩ませていた。

 よれよれのトレンチコートにくたびれた帽子。

 使えない自販機に巨大な観葉植物。

 誰がなんの目的で放置したのか?

「これは、警視庁捜査一課管理官たるこの新城に対する挑戦と見た!!よし必ず犯人を上げて

やる!!」

 意気込みも高く犯人逮捕を決意する新城氏。

 が、その後の捜査にかかわらず真相はいまだ闇の中である。

 

 全ての真相を知る人物は。

 もう一人の真相を知る人物に今日も豪華な夕食を奢らされている、らしい…。

 

秋月様の666Get リク「受か攻で揉める二人」でした♪

これさえ押さえてもらえば後は自由にとの事でしたので、自由にさせて頂きましたが。

青島君は子供レベルだし室井さんは…。

マジだかギャグだかよくわからないお話になりました(汗)

え〜こんなもんで如何でしょう?

それにしても、これ表に載せても良かったのかな?

反応次第で地下室行きだわ(大汗)