鵲(かささぎ)の橋


 昼間あれほど賑やかだったここ―湾岸署も、日が沈み人々が眠りにつく頃には穏やかな静寂

に包まれる。

 本来の部屋の住人たち以外にも様々な人々で溢れていたこの刑事課も、今は当直の刑事達

が数人デスクに着いているだけである。

 いつもであれば事件の大小に拘らず、入ってくる通報も今日はまだ一つも無い。

 頼りない静寂の中、デスクの上の灰皿にタバコの吸殻だけが溜まっていく。

―ここって、こんなに広かったかな?

 また新たなタバコに火を点けながら、ぼんやりと考える。

 吐き出した煙が天井に達するまでに拡散し、消えていくのを目で追いながら課内の様子に耳を

立ててみるが、聞こえてくるものは紙を走るペンの音と、仮眠用のソファーから聞こえる誰かの鼾。

 昼間の騒乱が嘘のような静寂に包まれた刑事課内。

 人は居るのに人の声がしない。誰かが居る気配はあるのに、確かに存在しているはずなのに、

誰も、居ない感じがする。

 とてもよく知っている場所なのに、全く別の場所のようで。

 たった一人、どこか見知らぬ場所に放り込まれたような心細さと寂しさを感じて。

 ふと、指先に熱を感じ見てみると、いつのまにか手の中のタバコはフィルター近くまで火が迫って

おり、タバコの形のままの灰がこぼれ落ちそうになっていた。

―・・・らしくないよな。

 自嘲して、灰皿に吸殻を押し付ける。限界まで押し込められていた吸殻のうちの一本が、吸った

本人に抗議するかのようにデスクの上に踊り出た。

 完全に火の消えたそれを摘み上げ、少し考えた末に再び灰皿に戻す。押し込められた吸殻たち

が、きしきしと抗議の声をあげたのを聞きながら席を立つ。

 そのまま、同じ当直仲間の刑事達に声をかけ部屋の外に出る。

 ほんの数時間前までは、たくさんの人々が行き来していた廊下も今は自分ひとりだけ。普段は

まったく気にならない自分の足音が嫌になるぐらい耳につく。

 奇妙な錯覚。自分の歩調より少しずれて聞こえる足音。

 自分の物なのに、自分の足音ではないみたいに聞こえる。

 誰も居ない廊下。

 誰も居ない階段。

 誰も居ない―屋上。

 重い鉄製のドアを開けたとたん吹き付けてくる梅雨特有の湿った風。そういえば昼間見た天気

予報で大きな嵐が近付いていると言っていたのを思い出す。

 強い南風に顔をしかめながら空を仰ぎ見る。

「星・・・見えないよな」

 地上からの光を反射し、赤く光る灰色の雲。僅かに零れ落ちて来た滴は、年に一度だけ会うことを

許された恋人達の涙かもしれない。

「せっかくの七夕なのにね・・・」

 年にたった一度だけ。それも晴れた夜にただ一夜だけ。

 それなのに。

「神様も意地悪だよなー。こんな日に雨なんて降らせなくてもいいのにさ」

 逢いたいのに逢えない。

 許されない、恋。

 それは、まるで・・・。

「・・・・・・」

 室井が研修の為にロスに行ってから、もう3ヶ月。その間一度も顔を合わせていない。

 一度は自分のせいで出世コースから外れてしまった彼にとっては、これがおそらく最後のチャンス

だろう。現に彼は言っていた。

―この研修で結果を出せれば、俺たちの約束に一歩近づける。だから・・・。

 このチャンスに掛けるのだと。

―なるべく早く帰ってくる。

 室井はそう言って旅立っていった。

 それから一度も帰国していない。その間一度も顔を合わせることも、声を聞くことすら無かった。

 青島が忙しい室井のことを思い連絡を控えているように、おそらく室井も同じ理由で連絡を控えて

いるのだろう。唯一の連絡は時々入ってくるメールのみ。

―元気か?

―あまり無茶するなよ。

 不器用な彼らしく、短く簡潔なメール。それでも室井の精一杯の気遣いが伝わってきて。

―元気ですよ。

―室井さんもあまり無理しないで下さいね。

 返す言葉もほんの僅かで。

 伝えたいことがありすぎて、伝えられないメール。

 書ききれない心の代わりに、精一杯の思いを込めて送るたった数行のメール。

 研修の期間は早くて半年。結果次第で帰国はもっと伸びることになる。一年か、あるいは・・・。

 すべては二人の約束の為。

 だけど。

 本当は今すぐ室井に会いたい。顔が見たい。声が聞きたい。

 その手に触れて、その手で抱きしめてほしい。

 我侭だって言うのは解っているけど。

「・・・会いたいよ・・・室井さん」

 呟きが雨空に解けて消えた。

 

 

 ぱらぱらと零れ落ちてくる雨に濡れながら、いつまでも空を見上げ続ける。

 今日は七夕の夜。年に一度引き裂かれた恋人たちの逢瀬の夜。

 雨は、まだ止まない。

 玄関に飾られた笹につけられた短冊も、この風と雨でボロボロになってしまっているだろう。

 昼間、管内の小学生達と一緒に付けた沢山の願い事。果たして願いは天に届いたのだろうか? 

 もし本当に願いがかなうと言うのなら。

 今すぐこの雨を止ませてほしい。今すぐあの人に逢わせてほしい。でも。

「駄目、だよなぁ・・・」

「何が駄目なんだ?」

「・・・え?」

 雨と風の音に紛れて聞こえてきた声。ここに居るはずの無い人の・・・。

 幻聴かもしれない。

 都合のいい夢かもしれない。

 ゆっくりと、恐る恐る振り向いてみる。

「・・・な・・・んで?」

 振り向いた視線の先に、ずっと焦がれていた人の姿があった。

「一週間だけだが、予定外の休暇が取れてな。急いで帰国してきた」

「なんで?」

「何でって、急に決まって・・・」

「そうじゃなくてっ!!何で教えてくれなかったんですか?!」

 思っても見なかった突然の再会に、嬉しいはずの心がパニックを起こして理不尽な怒りに変わる。

その矛先は当然、室井に向けられて。

「教えようとしたんだが・・・」

「したのに、何っ?!」

「・・・お前携帯の電源切ってたろう?」

「・・・・・・へ?」

 一瞬の沈黙。

 そういえば、ここのところ充電せずに放って置いたような気が・・・。

「署の方に連絡しようとも思ったんだがな、お前が居ない可能性もあったし、それにお前を驚かす

のも悪くないかと思ってな。・・・どうだ?驚いたろう?」

「・・・・・・・・・驚きました」

 本当に驚いた。驚きすぎて、心臓がまだドキドキ言っている。

「・・・青島。・・・ずっと逢いたかった」

 雨とも涙ともつかないもので濡れた頬に触れてくる手。ずっと焦がれていたぬくもり。

「・・・俺だって、ずっと逢いたかったんだ」

 お互いの体に回される腕。ずっとずっと待ち望んでいたお互いのぬくもり。

「もう、離したくないよ・・・」

「俺もだ」

 回された腕に力がこもる。お互いの心臓の音を感じて。お互いの存在だけを感じて。

 どちらともなく体を離し見詰め合う。

 そして。

 そっと・・・しかし、熱く交わされる口付け。

 もう聞き分けのいい大人の振りをしなくても良い。想いのままに、素直に甘えたいだけ甘えれば

良い。

 いつまでも続く二人の口付けを、何時の間にか雨の止んだ雲の切れ間から、満月だけが覗いて

いた。

 

 

「今度はいつ逢えますか?」

 短い休暇はあっという間に過ぎ、再び別れのときが来る。

「さあな。だがなるべく早く戻ってくるつもりだ。・・・もう俺のほうが我慢できそうに無いからな」

「え?今なんて?」

 後半小さく呟かれた言葉は青島の耳には届かなかったらしい。

 首を傾げ、問い尋ねてくる青島の顎に手をやり、掠めるようなキスをする。

「・・・!!」

 言うまでも無いがここは空港。旅立ちや帰国の人々でごった返すロビーの真中である。

 驚いて固まる青島に、追い討ちをかけるように室井が耳元に囁いた。

「なるべく早く帰ってくるからな。いくら寂しいからって、浮気するんじゃないぞ」

「し、しませんよっ!!室井さんのほうこそ絶対浮気は駄目ですからね!!」

 真っ赤になったまま向きになって言い返してくる青島が可笑しいやら可愛いやら。

 からかい半分もう一度、今度は頬にキスをしてやる。

「・・・室井さん、あっちに行ってから、なんか性格変ってません?」

「そうか?俺は前と変わってないと思うがな」

 しれっと言う室井。

「うっそだー!!」

 子供のように頬を膨らませて抗議する声に、室井の笑い声が重なった。

  

 

―なるべく早く帰ってくる。

 有言実行の男、室井慎次。彼がその言葉どおり研修を終え、青島の元に帰ってきたのは、

それから僅か半月後のことであった。

 すべては室井の人間離れした体力と能力の賜物であるが、その行動の動機に少々不純なものが

混ざっていたことを知っているものはごく僅かである。

 ちなみに、彼が帰国早々姿を消した数日間、一体何処で何をしていたのか。

 それは。

 秘密、ということで・・・。

終る!


突発的な七夕ネタ。

それにしても室井さん。

一体いつの間にロス研修が決まったんだ?(笑)

おまけに性格全く別人だし(汗)

…ま、いっか♪

取り敢えず…。

脱走!!<<<<<<