雪見酒

     

     

    「…ただいま積雪によるポイント凍結の為、運転を見合わせております。復旧まで、今しばらくお待ち下さい。繰り返します…」

     

    車内に響くアナウンスを聞きながら、腕にはめた時計を見る。自分の乗った急行列車がこの小さな無人駅に止まってから、既に一時間近くたっていた。

     日付こそ変わっていないものの、すでに深夜と言ってもいい時間となっている。勿論予定到着時刻はとうの昔に過ぎていた。交通アクセスなどいろいろ検討した結果、一番短時間で到着するこの急行を選んだのだが、これでは意味がなくなってしまった。…もっともこの豪雪では、他の交通機関も似たり寄ったりであろうが。

     溜息を一つついて、シートに身を沈める。

     予定では、すでに出張先の宿舎に入り、明日の会議の為の資料に目を通しているはずだった。今ここで書類に目を通そうにも、節電の為か照明を落とした車内ではそれも難しい。

     焦ったところでどうしようもない事は、よくわかっているが、予想外の足止めで時間を無駄にしてしまった事に対しての苛立ちがつのる。

     座って待つ以外にする事もなく、手持ち無沙汰に窓の外を見る。照明を落とされた車内から見る外の景色は、夜とは思えないほど、明るくはっきりと見えた。

     雪は相変わらず降り続いている。

     小さな無人駅の、短いプラットホームに据えられた小さなベンチは、そのほとんどを雪に埋め、ベンチを照らす外灯も、降り続く雪に光をさえぎられ、まるで朧月のように霞んで見える。

     師走とはいえ、帰省シーズンから外れている為か、ほとんど乗客のいない車内は不思議なほど静かで、聞こえてくるのは列車のディーゼルエンジンの音と、車外で復旧作業をしている作業員の声。

     そして、窓を叩く雪の音だけ…。

     さらさらと微かな音を立て降り積もる雪。さらさらと…まるで砂時計の砂の様に降り積もっていく。

     溶けることなく、すべてを覆い尽くしていく、白い砂。

     もしこのまま止まなければ、自分を含め、すべてはこの清冽な白い砂の下に埋もれてしまうのだろうか―。ふと、そんな考えが浮んで苦笑した。

     雪は相変わらず降り続いている。

     ―あの頃と同じように。

     

     幼いころ、雪が降る頃になると、なぜか心が騒いだ。雪が降り始めるとわくわくして、落ち着かなかった。

     秋田県の豪雪地帯にあった実家では、一晩で子供だった自分の背丈ほど降り積もる事も珍しくなく、朝一番に飛び起きて、まだ足跡の付いていない新雪に半分埋もれながら自分の足跡を付けるのが好きだった。

     朝早くから、雪にまみれて庭で遊ぶ孫を見た祖母が、笑いながら「うちの庭に雪ん子がいるぞ」と、よく言っていた。

     その日もいつものように雪の中で遊んでいると、休日の為家にいた父が、珍しくかまくらを作ってくれた。

     不器用だった父が作ってくれたかまくらは、不恰好で、決して立派なものではなかったが、中に入ると不思議と暖かく、まるで父の腕の中にいるようだった。

     二人でかまくらに入り、母の作ってくれた甘酒を飲んだ。何かを話すわけでもなく、ただ二人で静かに降り積もる雪を見上げていただけであったが、なんだかとても楽しかった。

     おそらくこれが、父と一緒に酒を飲んだ最初の記憶だと思う。

     二度目は、二十歳の誕生日を数日後に控えた、年末のある日の事だった。世間が年の瀬の慌ただしさに包まれている中で、父は静かに雪の見える縁側で一人、酒を飲んでいた。

     半年ほど前から体を壊し、酒やタバコを控えていたはずの父に、大丈夫なのかと声を掛けると、黙ってコップを差し出してきた。未成年の息子に酒を勧める父に呆れつつ、隣に座って一緒に酒を飲んだ。

     そうしてしばらく黙って酒を飲んでいたが、一升瓶がほぼ空になった頃、思いきって、以前から考えていた自分の夢を父に告げた。「―警察官になりたい」と。

     最初は黙っていた父は、やがて小さな声で「そうか」と一言呟いた。

     てっきり反対するものだとばかり思っていた父の、意外な言葉に驚いていると、静かに笑って「自分で考えて決めた事なら…」と言い、逆に励ましてくれた。

     それから二人で、雪を見ながらいろいろな話をして酒を飲んだ。昔二人でかまくらを作ったこと。これからの自分達の事。話はいつまでも尽きる事はなかった。

     その後、二度と二人で酒を飲む事はなかった。

     あれからしばらくして、父はこの世を去った。―癌だった。

     

     

     雪は相変わらず降り続いている。

     時間が過ぎて、人も社会も変わって行くが、降り積もる雪はあの頃のまま変わらない。

     きっとこれからも変わることはないのだろう。移りゆく時代の上に雪はただ、降り積もるだけだ。

     車内に再びアナウンスが流れる。先程と、ほぼ同じ内容。復旧には、まだまだ時間がかかりそうだ。

     窓の外から再び視線を戻し、シートに座り直して目を閉じる。

     と、再び静けさを取り戻した車内に、今まで聞かれなかった音がした。なんとなく気になって、音源を捜してみると、自分の席の通路をはさんだ反対側に、一人の初老の紳士が座っている。

     手にはよくある日本酒のワンカップ。どうやら先程の音は、彼がワンカップのふたを開けた音だったらしい。

     きちんとした身なりの老紳士と、その手にある日本酒とのギャップになんとなく視線をはずせなくて、しばらく見つめていると、その視線を感じたのか、紳士が自分のほうを振り向いた。

     結果、思わず見詰め合ってしまい、ばつが悪い思いをしていると、紳士はにっこり笑って手にしていた酒を差し出してきた。

    「飲みさらんか?」

    「あ、すみません。…いただきます」

     断りの言葉を口にしようとしたが、彼の笑顔につられて酒を受け取る。

     整えられた髪に白い口髭。その笑顔はどこか懐かしく、解く知った誰かを思い起こさせた。

    「まぁこうなったら、当分動かぁやがないけぇ。のんびり酒でも飲みましょうや。こういう場所で雪見酒、ちゅうのもなかなかええもんですでぇ」

    「…そうですね」

     通路をはさんで二人、乾杯のまねをする。

     この地方の方言か。それともこの老紳士のくせなのだろうか。語尾が少し間延びしたのんびりとした口調が、苛立っていた心を少しづづ軽くしてくれる。

    「地元の方ですか?」

    「はぁ。ちょうどこの先ですわ」

     自分でも意外な事に、自然と彼に話しかけていた。普段なら、仕事以外で、見ず知らずの人間に話しかけることはなかった。生来の話べたである自分は、人に対してどうしても身構えてしまうところがある。こんな風にはじめてあった人と会話を楽しむなど、今までなかったことだ。

     これも「彼」の影響の一つだろうか。誰とでも自然にわけ隔てなく付き合える「彼」の。

    「息子の結婚式がありましてなぁ。その帰りですわ。明日急ぎの仕事がはいっとったけぇ、私だけ帰ってきたですけど、これじゃあ、あっちに泊まっとった方が良かったかもしれんですなぁ」

    「ははは。私も同じです。一番早く着く方法を選んだつもりだったんですが、もうこんな時間になってしまいました」

    「ありゃあ、そりゃあ気の毒なこったなぁ。えっと、どっから来んさったですか」

    「東京です」

    「東京!?また、そりゃえらい遠くから。じゃあ、この雪にはびっくりされたこってしょう」

    「ええ。でも実家が秋田のほうですから、かえって懐かしくて…」

    「ほお。秋田!前に一度行ったことがあったけど、あそこはええとこですなぁ」

     そうして秋田の思い出話を聞かせてくれる老紳士を見ながら、自分が何故この紳士と自然に話しているのかを理解した。

     似ているのだ。その顔立ちは違えど、昔縁側で一緒に酒を飲んだあの時の父の笑顔と。 

    「どうしたぁですか?」

     急に押し黙ってしまった自分を不審に思ったのか、心配そうに見つめている。

    「あ、いえ。その…実家の事を思い出したものですから」

    「御実家の?」

    「ええ…。昔、父と一緒に酒を飲んだことを思い出しました」

     再び窓の外に目をやる。気のせいだろうか。雪は小降りになっているようだ。

    「不思議ですね。秋田を出てから、もうずいぶん経ちますけど、こんな風に思い出した事はなかったのですが。…この雪のせいでしょうか」

     上京してからひたすら前だけを見てきた。夢をかなえる為に、上へ上り詰める為に。

     時には目標を見失いながら、ただ、前だけを見つめていた。

     大切な思い出すら忘れてしまうほどに。

    「そうですかぁ。じゃあ、この臨時停車は良い息抜になっただらぁかな?」

    「ええ、そうですね。久しぶりに良い息抜きをさせていただきました」

     少しからかうような老紳士の言葉に、ちょっとおどけて答えを返す。

     それから二人で笑い会う。先ほどまでの焦りが嘘のように消えていた。もう苛立ちは感じない。

    「…まぁ、ぼつぼつ行きなんせぇ。慌てていても、のんびりしてても経つ時間は皆おんなじだけぇな」 

     穏やかに微笑む老紳士。

     あの日、自分を励ましてくれた父の顔と同じ、柔らかな笑顔だった。

    「ありゃ、雪が変わりましたなぁ。うん、明日はええ天気になりさぁだ」

     少し気温が上がったのだろう。先ほどまでの粉雪は、羽毛のようなボタン雪に変わっていた。

     と、今まで感じていた微かな振動とは違う、体を揺さぶるような強い振動を感じる。

     続いて聞こえる客車の連結機の音。

     窓の景色がゆっくりと動き始めていた。

    「お、動きましたな」

     ようやく動き出した列車の動きにつられ、雪が舞う。

     明日は晴れるだろうか?朝久しぶりに雪の上を歩いてみようか。

     子供のころのように。

     

    「…大変長らくお待たせ致しました。本日雪の為、当列車は約4時間遅れで運行しております。お忙し

    いところ御迷惑をお掛けして申し訳ございません。…えー、次の停車駅は……」  

     

    END

     

    室井さんの思い出話編です。

    いや、なんか子供の頃の室井さんが書きたかっただけなんですけど…。

    実はこの話、私の実体験に基づいて書いてます。(列車内のところとかね)

    作中の方言については、私の住んでいる地方の言葉です。

    読みにくかったらすみません;;(ホントは秋田県の方言が書きたかった…)

    ちなみに『ぼつぼつ行きなんせぇ』と言うのは『ゆっくり焦らず行きなさい』と言う意味。

    一応通訳しておこう(爆)