Boys,be ambitious――少年よ、大志を抱け

     偉大なる先人、ウィリアム・S・クラーク博士はこう言った。

     

     ……じゃあ博士、

     大人になった、その後は―?

     

      Men,be ambitious!

 

     

     足音も高く廊下を歩く。その乱暴な歩みに古びたリノリウムの床が抗議を上げるが、歩く男の耳には届かない。その瞳に剣呑な光を湛え、まっすぐに前だけを見てひたすら歩く。

     彼の後ろからは、数人の男達がなにか話ながらついて来るが、その言葉すら届いていない。

     いや、届いてはいるが、無視をしていると言うのが正しい。彼等の媚び諂った言葉は、今の彼にとって煩わしい以外の何物でもないから。

     彼等の言葉をひたすら無視して外に出る。

     外では彼の部下が迎えの車を用意して待っていたが、それには乗らず歩いて帰る。とにかく今は何もかもが煩わしくて仕方がない。

     途中一度だけ降り返ると、今まで彼がいた所轄署が、夜の闇の中に浮んで見えた。

     周りを小さな住宅に囲まれた中で、自分の古びた容姿をこれ見よがしにさらしたその姿に、今の警察機構を垣間見た気がして、思わず舌打ちをする。

     ―君も官僚なら解かるだろう?

     ―これが政治というものだよ。

     ―なに、君にとって不利な事出じゃない。いや、むしろ有利な事なんだ。

     …吐き気がする! 

     いつまでこんな事をするつもりなのか。どんなに世論が訴えようとも一向に無くならない、醜い身内の庇い合い。 

     時代が移り変わって行く中で「前例」という言葉を盾に、警察という狭い世界の権力に必死にしがみ付く幹部達。いつまでも変わらず、変えようともせずに、己の「今」を守ろうとするだけ…。

     「…くそっ!」

     短くはき捨てた言葉に、すれ違った何人かが振り向いたが、なにも言わずに其のまま立ち去って行く。彼等は知らない。今また、小さな事件がもみ消されようとしていることを。

     

     事件そのものは、確かに小さなものだった。オートバイと自動車との接触事故。幸いにもオートバイに乗っていた主婦が腕に全治1週間の傷を負っただけで済んだ。本来なら新聞にも載らない事故のはずだった。しかし、関わっていた人物が問題だった。

     自動車を運転していたのは、国会議員。大臣クラスの政治家を父に持った、いわゆる二世議員というやつであり、しかも酒気帯び運転だった。

     このままでは、息子の、なにより自分の経歴に傷がつくことを恐れた父親が、なじみの警察幹部に泣きついてきたのだ。「何とかしてくれ」と。

     自分も管理官という仕事上、その「何とか」がどういう事なのかよく解かっていたつもりだったし実際、彼の同期の中にも、似たような事にかかわった事がある者が何人かいた。

     だが、これほど惨めなものだとは思わなかった。

     「出世」という飴をちらつかせながら、事故の揉み消しを強要する上司と、尊大な態度でそれを当たり前にように聞いている事故の加害者とその父親。

     彼もキャリアである限り、出世を望んでいない訳はない。その為には綺麗事だけでは済まないという事もよく知っていた。だから、今度の事も仕事の一つだと自分自身に納得させた。

     しかし、事故を担当した若い巡査のあの目が、今も脳裏に焼き付いて離れない。あの目を見たときに湧き上がってきた惨めさを、どうしても消す事が出来ないでいた。

     自分に媚び諂う署長達の横で、まっすぐに自分を睨みつけていた。理不尽な申し出に、怒りを感じていたのだろう。強く握ったその手がかすかに震えていた。

     結局逃げ出したのは自分のほうだった。これ以上あの目の前のいるのが耐えられなくて、一方的に通達してその場から逃げた。

     惨めだった。吐き気がした。

     古臭い権力を振るう幹部達に。そして、それに従う自分自身にも。

     

     やがて住宅街を抜けたころ、彼の目の前に今までとは違った空間が現れた。フェンスに囲まれた広い土地、その向こう側にあるいくつかの遊具と、四角い建物。

    「…小学校?」

     暗闇の中に立つ3階建ての建物は確かに校舎に間違いないが、彼が目指していた場所ではないし、その途中にもあった覚えはない。…ということは?  

     どうやら、勢いに任せて歩いている内に、道に迷ったらしい。

    「何をやっているんだ…!」

     腹立ち紛れにフェンスを殴ってみても、何が変わるわけでもない。虚しさだけが募っていくだけだ。

    「…本当に何をやってるんだ、俺はっ…!」

     そのままフェンスに力なく凭れ掛かる。夜の学校は静けさの中に佇み、彼に答えるものはない。

     ふと、何かを感じて顔を上げる。暗闇の中でなにかが動く気配がしたのだ。

     目を凝らして校庭を見渡してみると…いた!

     鉄棒の上に座る小さな影。この小学校に通う子供だろうか。顔ははっきりと見えないが、小柄な、おそらくは男の子。一体何をしているのだろう。少なくとも今は、子どもが学校にいるような時間ではない。

    「おい、そんな所で何をしている」

     少年は、彼の声に一瞬驚いた様に振り返り、次の瞬間には校舎に向かって走り出していた。

    「お、おい。こらまてっ!」

     待てと言われても待てないのが追われる者の性ならば、逃げる物を見てつい追いかけてしまうのが、刑事の性なのかもしれない。

     脱兎のごとく逃げ出した少年を見たとたん、考えるより先にフェンスを乗り越えていた。

     普段の彼を知るものがいたら、目を剥いて驚いただろう。

    ―まったく、今日の俺はどうかしている。

     走りながら自嘲する。

     なんだか、どこか歯車が狂ってしまったような気がする。

     

     日頃の運動不足が崇り息が上がり始めた頃、三方を校舎に囲まれた中庭に出た。

     こちらに逃げてきたのは間違いはない。携帯していたペンライトで辺りを照らしてみると、右側の校舎の隅に開いている窓が見えた。

     近づいてみると鍵が壊れている。どうやら前から壊れたままだったらしい。窓枠を見ると泥がついている。ここから中に入ったのは間違いないだろう。

     足音を立てない様に中に入る。暗闇に沈んだ教室は、遠い日のノスタルジックな思いよりも、得体の知れない恐怖を感じさせてくれる。

     そのまま教室内を歩いていると、足元に当たるものがあった。ライトで照らして見れば、バケツや箒などの掃除道具が散らかっていた。

     教室の隅には立派な掃除道具入れが設置してある。

    「なるほどな」

     入るべき所に入っているはずの物がここにあるということは。

    「ここか!」

    「うわっ!!」

     勢いよく開かれた道具入れの中から少年が転がり出てくる。そのまま暴れる少年の後ろ襟を押さえて持ち上げた。

    「離せよ!!」

     まるで仔猫の様にぶら下げられたまま、暴れる少年。しかし、子供の力で大人に敵う訳もなく、やがておとなしくなっていった。

    「おい、名前は?こんな所で何をしていた」

    「…小学生が小学校にいて何が悪い!そう言うおっさんこそなんなんだよ」

     生意気にも、噛み付く様に口答えをしてくる。

    「お、おっさんだと?!おい!!誰がおっさんだ、誰が!!」

    「おっさんに決まってんだろ!他に誰がいる!!」

    「私はまだ30代だっ!!」

    「…俺、平成産まれ」

    「…っ!」 

     それがどうした!と言ってしまえばそれまでなのだが、「平成産まれ」という妙に説得力のある言葉に思わず絶句してしまった。

    「ほら、おっさんだろ?」

     動揺する彼の手から器用に逃れ、机の上に座る少年。もう逃げるつもりはないらしい。

    「…それでもおっさんはやめろ。おっさんは」

     どこか傷ついたような彼の顔を見て、さすがに気の毒に思ったのか他の呼び方を考える。

    「じゃあ、『おっさん兄ちゃん』!」

    「……『おじさん』でいい」

     少年のよくわからない感性に疲れを感じ、彼もまた机に腰掛ける。

    「で、おじさんは一体なんなの?あ!まさか近頃はやりの学校荒らしとか!」

    「ちがう!私は警察官だ」

    「え、嘘?!」

     疑う少年に警察手帳を開いて見せる。そこには確かに彼の顔写真。

    「ホントだ…。おれてっきり、区役所かどっかの役人だとばっかり思ってた」

     意外に鋭い。確かに今の仕事はどちらかと言えば「刑事」と言うより「役人」に近い。

    「そっちこそ、こんな時間に何やっている?親はどうした。心配しているのではないか?」

    「……」

    「どうした?もしかして、家出、か?」

    「…!」

    「図星、か」

     そのまま黙って俯いてしまう。先程からの様子では、このまま素直に帰りそうもない。とにかく理由だけでも聞こうと試みる。

    「で、家出の理由は?喧嘩でもしたか」

     俯いたまま、しばらく黙っていたが小さな声で喋り始めた。

    「……なぁ、おじさん『立派な大人』ってなんだと思う?」

    「え?」

     思ってもいなかった意外な質問に言葉を失う。

    「母ちゃんが言うんだ。勉強して良い学校に行かないと『立派な大人』になれないって。」

    「それは…」 

    「じゃあ、勉強して良い学校出た奴は皆『立派な大人』なのか?学校出てないと『立派』じゃないのか?」

    「……」

     答える事が出来なかった。

     彼も、彼の上司達も一流の大学を卒業し、キャリアと呼ばれるエリートだ。だが、そのエリート達が今日やろうとした事は…。

    「俺んちさ、小さな町工場やってんだ。下請ってやつ?大きな会社から注文貰ってネジ作ってんだ」

    「ネジ?」

    「うん、それも特別なやつ。俺の父ちゃんしか作れないんだ!どんな大きな機械だって、父ちゃんのネジがなけりゃ動かないんだぜ!」

     製作工程に特別な技術を要するのだろう。大量生産できない完全オーダーメイドのネジ。誇らしげに父親の技術を自慢する少年。

    「俺、父ちゃんの事尊敬してるんだ!大きくなったら父ちゃんみたいになりたいって思ってたんだけど…」

    「どうした?」

    「…母ちゃんが、父ちゃんみたいになっちゃだめだって。父ちゃんみたいに苦労したくなかったら、きちんと勉強していい大学でなきゃだめだっていうんだ…」

     泣きそうな声でそう呟く。この不況の御時世、たとえ特別な技術を持っていたとしても、受注そのものがなければ意味がない。少年の母親としては、

    景気に明日を左右される中小企業よりも、堅実な公務員か何かにと望むのは当然の事なのかもしれない。

    「俺わかんないよ。そりゃ父ちゃんは中学しか出てないけど、俺にとっては『立派な大人』なんだ。でもやっぱり良い学校出てないと駄目なのか?おじさん、教えてよ『立派な大人』って何?大人だったらわかるだろ?」

     嫌味でもなんでもない純粋な子供の質問。それ故に、今の彼に答える事は出来なかった。

    「…判らないな」

    「わからない?大人なのに?」

    「ああ、大人にだって判らない事はある。確かに私も良い大学を出て、警察官と言う仕事をしている。しかし、君の言うような『立派な大人』ではない。それどころか、今日の私は『最低の大人』だ」

     少年は何も言わずに聞いている。

    「上からの言いなりになって、間違っている事に気がついていながらそれを実行した」

    「ふうん…」

    「こんな私に比べたら、お前の父親は遥かに立派な人だと思う。たとえ学歴がなくても、自分の信念をもって働いている…」

     そこまで言ってふと気がつく。何故あの若い巡査の目にあそこまで動揺したのか。

     あれは「彼等」と同じ目だったのだ。

     純粋で、まっすぐに自分たちの信念を貫いて行く二人の男。

     自分にはないその強さに惹かれて、それを認めたくなくて、いろいろな嫌がらせをしたりもした。無理矢理その仲を引き裂こうとした事もあった。

     だが、本当は羨ましかった。本当は彼等の様になりたかった。それに気がついたとき自分の中で何かが変わったのかもしれない。

     歯車は狂ったのではない。正常にもどったのだ。

    「おじさん?」

    「なんでもない。…なぁ、本当は『立派な大人』なんていないのかもしれないぞ」

    「え、なんで?」

    「大人だって、皆、成長の途中だってことだ」

    「?なんだかよくわかんないや」

    「ははは。俺にも良く判らん」

    「なんだよそれ!」

     ふて腐れる少年の頭をくしゃくしゃに撫で回す。

    「大人も子供も同じだ。いつも迷って悩んで苦しんで。そうやって一生成長して行くんだと思う」

     子供は大人に。大人はさらにその上の『立派な大人』に。

    「う〜ん。…よくわかんないけど、まぁいいや。大人にもいろいろあるって事だな!」

     そう言って机の上から飛び降りて歩き始める。

    「帰るのか?」

    「うん。なんだか話聞いてもらったらすっきりした」

    「それは良かった」

     そして二人で外に出る。

    「送って行こう」

    「いいよ、一人で帰れるって」

    「遠慮するな。ガキは素直に甘えていればいいんだ」

    「わかったよ。お・じ・さ・ん!!」

     小生意気な少年の頭に鉄拳を食らわせる。頭を押さえた少年が抗議の目で見上げていたが鼻で笑ってやる。

     それから一つ思いついたことを口にする。

    「おい、一つ競争しないか?」

    「競争?」

    「ああ、どっちが早く『立派な大人』になるか」

     彼の申し出に一瞬驚いた顔をするが、次の瞬間には子どもとは思えないほど不敵な笑顔を浮べて言った。

    「わかった!男と男の勝負だな!!」

    そのまま二人で並んで歩くいていく。夜の闇に、二つの足音がいつまでも響いていた。

     

     

     その後、ある国会議員の飲酒事故が新聞を賑わせ、やがてそれは、議員の父親の汚職事件にまで発展して行く事となる―。 

     

     

    END


    ありゃりゃ?これは一体誰なんでしょう?なんだかすっかり別人になってますね,新城さん。

    う〜ん,さわやか(大笑)

    最近TVのバラエティ番組で活躍する筧さんのイメージが強くて、嫌味な新城さんが書けない私。

    もっかいビデオ見て勉強してこよう(爆)