LOVE TRAP 2
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「…俺達…別れたほうがいいですね」
「……そうだな」
冷たい沈黙が降りる。
言い出した方も、同意した方もお互いに何も語らず、時を刻む時計の音だけが、食卓の上を流れて
行く。
黙して語らぬ二人の前に、食卓に並んだ様々な食事達が発する暖かな湯気も、満腹中枢を刺激する
香りも、食欲を刺激する鮮やかな色彩さえも全くの無力で。ただ冷たく睨み合い、真夏だというのに室内
温度を氷点下に下げまくり、電力会社から省エネCMキャラクターのスカウトが殺到しそうな二人の前で、
ただただ冷たく、冷めて行くしかなかった。
「前々から思っていたことなんですけど…俺と室井さんじゃ、立場も性格も趣味も好みもアッチ…は
別として。とにかく何もかも全く合わないんじゃないかって…」
「……俺もそう思ってた」
そう、何もかもだ。…アッチは別にして。
反目し合う二人に今回始めて意見の一致が生まれる。ちなみにアッチとはどっちなのかと、突っ込んだ
事を聞いてはいけない。アッチはアッチである。主に夜(偶に昼間…しかも職場でやらかすツワモノも
いるらしい)恋人同士が(じゃなくてもできるが)同意の上(同意ではない場合は犯罪)で行う行為の事
である。…これだけ言っても、まだわかんなーい、などと、ほざく輩は放課後体育館の裏にいらしゃい。
作者自らヤキをいれて差上げましょう。
閑話休題。
「とにかく俺はもう我慢できないんです。…もう、室井さんにはついていけない」
「俺も同じだ。お前の我侭には、ほとほと愛想が尽きた」
その室井の言葉に、俯いていた青島が弾かれた様に顔を上げる。
「…我侭?我侭なのは室井さんの方でしょ!!」
「俺の何処が我侭だって言うんだ!?俺は当り前のことを言っただけだぞ?」
青島の反論に、眉間の皺を更に深くして室井が言い返す。
「我侭じゃなかったら横暴です!!俺は…俺はあんたがそんな人間だなんて思わなかった」
「…横暴だと?」
「そうです!!人の嫌がること強要してっ!これの何処が我侭で横暴じゃないって言えるんですか!」
「言うとおりにしないお前の方が我侭なんだっ!!」
「あんなこと、聞けるわけないじゃないかっ!」
「だからお前は我侭だって言うんだ!!良いからいうことを聞けっ!!」
「聞けるかっ!!」
思わず自販機に背中を打ち付ける音が聞こえてきそうな展開ではあるが、幸い(?)にもここは個人の
住宅内。そんな場所も電力も食うような物は置いてない。その代わり、青島がテーブルに打ち付けた手の
横で、鯵の塩焼きと茄子と胡瓜の糠付けが皿の上で跳ねて踊った。
「……ガキ」
「………頑固じじい」
再び降りる沈黙。
窓の外から聞こえてくる、子供達の爽やかな朝の挨拶すら今の二人には虚しく聞こえて。
「誰がじじいだ。…誰が」
「そっちこそ、俺の何処がガキだって言うんですか…?」
半眼で見据える二人。室温が更に5℃下がる。熱かった味噌汁も完全に冷たくなり、テーブルの周り
には薄っすらと霜が降りていた。
「…全部だろう?たったあれだけの事が出来ないなんて、ガキの証拠だ」
青島の目が大きく見開かれる。自分がどうしてもダメだと言う事を無理強いしておいて、挙げ句の果て
にこの言い草。いくら室井とは言えこれ以上は耐えられない。
青島の目に涙が滲む。
「……たったあれだけの事!?よくも…よくもそんな事言いますねっ!!」
「ああ!いくらでも言ってやる!たかが納豆一つ食えないなんてガキの証拠だっ!!」
………。
沈黙。
納豆。
古来より日本人に食べ継がれてきた発酵食品。大豆を蒸し、藁に包んで40℃以上の場所で醗酵させ
た物。醤油と浅葱、それに芥子を少し入れてお食べ下さい。
再び閑話休題。
と、いう訳で。先程からにらみ合う二人の丁度真中にある物は、小鉢に入ったネバネバと見事に
糸引く納豆が一つ。
「大体その年になって、納豆の一つや二つ食べれない方がどうかしている」
「……」
青島は涙目のまま、なにも言わず室井を睨んでいる。
「そもそもお前は好き嫌いが多すぎる。いい機会だからこの際だな…」
「…じゃあ、室井さんは全然好き嫌い無いって言うんですか?」
子供のような拗ねた眼で睨まれたところで、室井には痛くも痒くも無い。
「当たり前だ。好き嫌いなんてあるわけ無いだろう」
さらりと当然の如く言う室井に、先程まで拗ねていた青島の目がきらりと光る。
「……くさや」
「え?」
くさや。
むろあじの干物。長年醗酵しつづけた独特の液に漬ける為、特有の臭みがある。
焼いてそのまま食べても良いが、酒と醤油にほんの少し味醂を入れたタレに付けて食べると更に
美味い。酒が進みます。
更に閑話休題。
一瞬何を言われたのか解からなくて戸惑う室井。そんな室井に構わず更に続ける青島。
「…この前俺が土産で貰ってきた、くさやの干物食べなかったでしょ?」
「あ、あれは…」
「確かこんな物、食べ物じゃないとかなんとか言って…」
青島の目が冷たーく光っている。
室井の頬に汗が一筋流れた。
「だから…あれはだな」
「好き嫌い全然ないってよく言えますよね!あの味が解からない室井さんの方がよっぽどガキじゃない
ですか!」
「なんだと!」
ガキにガキだといわれりゃ誰でもキレる。しかも図星だったりするわけで。
「あんな肥溜めの匂いのする魚、食うほうがどうかしてるんだ!」
「なんだって!?」
「大体俺は肥溜めに対して良い思い出がないんだ!!知ってるか!?肥溜めって言うのはな、田舎の
畑の真中にあって周りに柵も蓋もないんだぞ!おまけに畑の死角になるようなところに作ってあるから、
子供が遊んでてよく落ちるんだ!しかも深いっ!!何とか這い上がって家に帰っても勿論そもままじゃ
入れなくて、親には怒られるわ玄関先で冷たい水で頭から洗われるわ次の日学校で『肥溜め君』なんて
言われるわ…お前にこの辛さは解からないだろう!」
「……いや、その…どちらかと言うと、解かりたくないんですけど…」
同感である。
ちなみに、『肥溜め君』とからかわれた室井少年が、からかった少年達を自分と同じ『肥溜め君』にした
事は、本人の名誉の為、内緒にしておこう…。
「とにかく俺は今後いっさい、くさやは食べないからな!」
「あーっ!人には好き嫌い無くせとか言うくせに、自分はそう言うんですか!大体ね、くさやだって日本の
伝統的な食べ物なんですよ!」
「伝統的でもなんでもあんな腐った物は食えん」
「腐ってるって言うなら、納豆のほうがよっぽど腐ってるじゃないですか!見てください。糸引いてネバ
ネバ!」
そう言って箸でぐりぐりと納豆を掻き交わす青島。
「それは腐ってるんじゃなくて醗酵してるんだ」
「同じでしょ」
すっかり拗ねた様にそっぽを向いてしまう。もう室井の言うことなど、聞く耳は持たないらしい。
「とにかく、言う事を聞いてくれ。俺は何もお前が憎くてこんな事を言っている訳じゃないんだ」
「……」
正面からの説得が無理と悟ったか、斜めからの変化球…ようするに泣き落としに切りかえる。
「所轄の刑事の仕事はハードだ。食事だって満足に取れない時だってある。俺はな…お前の事が心配
なんだ。せめて朝食ぐらい栄養のあるものを食べて欲しい。納豆にはビタミンをはじめとした栄養が
沢山入っている。だからこそ残さずに食べて欲しいんだ…解かるな?」
今までと打って変わった室井の優しい声音に、青島も多少不貞腐れたままではあるが、反論せずに
静かに頷く。
「俺は…お前にいつまでも元気でいて欲しいんだ」
真っ直ぐに青島を見詰める力強い瞳。どうやら勝敗は決したらしい。
「……解かった。ごめんね室井さん、俺が我侭だったんだ。もう好き嫌いは言わない。納豆もピーマンも
人参も残さずに食べるから」
「解かってくれたか!」
漸く言う事を聞いてくれた青島に、室井もほっとする。
「その代わり…」
「なんだ?」
ほっとして相好を崩す室井に上目遣いの青島が映る。
「室井さんも好き嫌い無くしてくださね。…俺だって室井さんのこと心配してんですから」
そんな事ならいくらでも聞いてやる。
自分を心配してくれているという青島に、ますます相好を崩す。
「わかった。これからは何でも食べるようにしよう」
「ホントに?」
「ああ、本当だ」
「ホントにホントで?」
「本当に本当だ!」
「じゃあ、さっそく、これ食べてください!」
「…は?」
にっこり笑顔の青島が差し出した物は。
大皿山盛りのくさやの干物で。
「……あ、あおしま?」
「残さずぜーんぶ、食べてくださいね。そうしたら俺も納豆食べますから」
相変わらず笑顔のままで、小鉢の納豆を掻き回している青島。
その前にそびえる山盛りのくさや。
「…これ全部か」
「そう、これ全部♪」
立ち込める特有の香りの向こうで、青島の笑顔が霞んで見えた。
どうやら今回の勝者は彼のほうだったらしい。
終る!
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馬鹿話第二弾。
今度は「些細な事で揉める二人」
のはずだったんですけど(大汗)
やれやれ…(溜息)
さても。
この世で一番不味い物。
『夫婦喧嘩は犬も食わない』
……御後がよろしい様で。
ちなみに。
私は納豆もくさやも大好きです。