浮氣のススメ
彼が、そこに居合わせたのは、偶然だった。
所は、所謂歓楽街。何処からでも目立つ事を原則とした原色派手々しい――とはいえ、原色の洪水の中で
原色のネオンが目立つかどうかは、甚だ疑問で話あるが――ネオンで飾り立てられた夜の街。刹那の享楽と
見果てぬ幻を追い求め、日中、仕事に疲れ果てたサラリーマンや、抑圧され鬱積の溜まった公務員や、退屈
な日常に飽き、危険な刺激を求める若者達が日々闊歩し、学校のPTAや教育委員のお偉方が、将来を担う
子供達に、あそこは危険で汚らわしい街だから決して行ってはいけないよと厳しく言いつつも、自分達がそこに
行く時は何でそんなに嬉しそうな顔してんだ全く説得力がないよ、おとーさん。と、純粋な子供達に世の中に対
する疑問を始めて植え付けるきっかけとなったりする、まあ、そんな所である。
その怪しい街の、更に怪しすぎる一角で、彼は彼を見かけてしまった。
「見かけた」彼の名は室井慎次。かっちり固めた髪形と、ぎっちり着込んだスリーピースという見た目を裏切ら
ない、将来を嘱望された優秀な警察官僚。
「見かけられてしまった」彼の名は、青島俊作。皺皺のシャツと着崩したスーツに、春先のタンポポの綿毛のよ
うな、爽やかだが何処か一本抜けた笑顔が印象的な、一応これでも巡査部長。
そして、二人は夫婦…もとい、恋人同士だったのである。
別に二人が恋人同士だからといって、年中一緒に居なければいけないという法律も無ければ、義務も無い。
だから相手と偶然何処かでばったり居合わせる場合だってある。それはそれで構わない。お互いにっこり笑っ
て、偶然だねぇやっぱり僕たちが出会うのは運命だったんだよ、と、傍から聞いている人達が思わずケリを入
れてやろうかと思いたくなるような会話をしながらイチャついていればそれでいいのである。だが、今回の場合
は不味かった。
第一に見かけた場所が悪かった。よりにもよって歓楽街。しかも、ショッキングピンク色のネオンが眩しいホテ
ル街のど真ん中である。
第二に青島が一人じゃないのも不味かった。室井の見知らぬ男と肩を並べて、俯き加減で『御休憩』の看板を
見ている姿は誰がどう考えても怪しく、しかもそのまま一緒に中に入ってしまったから、さあ大変。いくら世情に疎
い室井であっても、その意味するところがなんであるか知らないわけが無い。ここは警視庁の秘密の勉強部屋
で、これから二人で六法全書の勉強をするのだ等とは間違っても思わない。思うはずも無い。
思ったらかなりおかしい。
ということで。偶然見かけた恋人が消えた建物の前で、眉間にこれ以上はないというほどの皺をくっきりと寄せ
た室井氏の姿が多くの人々に目撃される事になったのである。その姿は、あまりにも恐ろしく、今尚、歓楽街の
恐怖話として語り継がれているらしい。
ところで。
室井が何故そんな場所に居たかと言うと。
「仕事だ」
…だ、そうである。
翌日の朝。
全世界的な規模での異常気象が囁かれ、春先だと言うのに真夏日の連続記録更新で気象庁をパニックに陥
れている、そんなよく晴れたある日。
その日、某国警視庁は警視庁始まって以来の最低気温を記録した。
「……何とかしてくださいよ、一倉さん」
「……お前が何とかしろよ、新城」
何処までも広い警視庁の一角で、これまた広すぎる二つのデコを付き合わせている男が二人。共に東京大学
を優秀な成績で卒業し、次代の警察を支配…じゃなくて、背負う予定のキャリア官僚達である。
そしてその二人の前には、同じく警察機構を乗っ取る…じゃなくて改革する予定の優秀な警察官僚が、大きな
デスクに一人座り、睨みを利かせながら周囲の気温をますます低下させていた。
「朝からずっとあの調子なんですよ。おかげで捜査員達が恐がって仕事になりません」
「だろうなぁ。俺も恐い」
と、いいながら、辺りを見回す一倉。広々とした捜査一課は、危険を感じた捜査員達の脱走により、更に閑散と
した雰囲気を漂わせていた。
「残っているのは自分達と、逃げ遅れた者ばかりです。こんな状態じゃ……」
「防衛庁から寒冷地用の野戦セット借りてくるか?」
「……んなもん、かりてどうするんですか」
一倉の言葉に、軽い眩暈を覚えつつ、律儀にツッコミを入れる新城。
「とにかく、このままじゃ事件が起こったときに対処できません!一倉さん、室井さんをなんとかしてください」
「何で俺が何とかしなきゃいけないんだ。室井を何とかするならお前だろ?」
「………友達でしょ?」
「………部下だろう?」
沈黙。
更に気温低下。
二人の傍を通った捜査員が、マグロ漁船の冷凍マグロよりも早く固く凍りついた。
「……ま、まあとにかく、今は室井さんを元に戻す事が先決です。原因に心当たりありませんか?」
この状況から逃れる事ができれば、悪魔に魂を売り渡しても構わないというほど、真剣な表情で新城が向き直
ると、そんなもの売られてもなぁと言った一倉の顔が見えた。
一倉は、暫くの間心底嫌そうな顔で新城を見詰めていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「原因って……室井がああなる原因と言えば、一つしかないだろう……」
一倉の言葉に、新城の脳裏に一人の男と一つの所轄署の姿が浮かんだ。
「………………青島ですか」
判らないと言うより、判りたくないと言った声で重々しく呟く新城に、これまた認めたくないと言ったふうの一倉が
重々しく頷いた。
「とりあえず、青島に聞いてみるしかないだろう」
「そうですね……しかし」
それにはまず青島に会う為、彼が勤務している湾岸署に行かなければならないのだが…。
「湾岸署、か…」
「湾岸署です。……柏木刑事が居ますね」
「……篠原巡査も居るな」
「えっ、え…?」
「……桑野も勝鬨署から出戻っているらしいぞ」
「えっえええええええええ―――っ!!!!」
泣き出す一歩手前の顔で叫ぶ新城。彼にとって『桑野』の名は、360度あらゆる方向に高速回転しながら、
垂直方向に秒速100m以上で落下するフリーホールに乗るのと等しい感覚らしい。……そんなものに乗ったら
普通死にます。
いずれにせよ、はっきりいって湾岸署とは、二人にとって鬼門以外の何ものでもなかったりするわけで。
「俺は忙しいから、新城、お前ちょっといって聞いて来い」
「何を言っているんですか!!一倉さんも行くんですよ!?」
「何で俺まで!!」
「組織捜査に於いて、二人一組は原則です」
「規則は破るためにあるんだ」
「……この前の花見で、コンパの女の子に煽てられてキスしておさわりまでして挙句の果てにお持ち帰りまでしそ
うになったこと、奥さんに言いつけますよ?」
「お供します」
かくして、二人は仲良く湾岸署に行く事に相成った。
「……で、二人揃って湾岸署に雁首並べていると、そういう訳なのね?」
そう言ったのは、湾岸署盗犯係の恩田すみれ刑事で、一見、見た目は美しいが中身は…いえ、中身も最高で
ございます。
「恐い顔をして、どうした?」
「何でもないわ。気にしないで」
「あ、ああ…?」
にっこりと微笑むすみれ。その後ろでは、真下と雪乃が興味津々といった顔で、応接セットに座る二人を見下
ろしていた。ちなみに残っているのはこの三人の他には取調室で事情徴収をしている青島だけ。他の者達は、
何か不穏な空気を感じ取ったのか、沈没寸前の船から逃げ出す鼠の如く、さっさと刑事課から逃げ出していた。
「と、とにかく話を戻そう。こちらとしては、本当に困っているんだ。あのままでは捜査の指揮にも関わる。一刻も
早くもとの室井に戻ってもらわないと…」
「新城さんの気持ちも判らなくは無いけど。でもねぇ…こういうのは、当人同士の問題だし…」
「一度、青島から話を聞かない事にはな。青島は…」
「俺ならここに居ますよ?」
一倉の問いに答えるように聞こえてきた声に振り向けば、応接室の入り口、ドアに凭れ掛るように話題の主が
立っていた。
「事情徴収終わったの?」
「うん。調書とって留置場に放り込んできた」
「ご苦労さま」
「で…俺が、何なになに?」
まるで何か面白いものを見つけた仔犬のように、興味津々と言ったふうに一倉に近づくと、そのまま自然な動
作で隣に座り込む。無邪気な鳶色の眼で覗き込まれ、一瞬慌てた一倉だったが、そこは警視庁随一の策士。鉄
壁の自制心で動揺を押さえ込み、青島に向き直った。
「お前…昨夜、室井と何かあったのか?」
「いいえ?なーんにも」
即答。
「何にもって…」
「だって、昨日は室井さんに会ってませんもん」
「そうなのか…?」
「そうです」
ニコニコと、嘘を吐いてた事の無い子供みたいな顔できっぱりと言い切る青島に、一倉も新城もそれ以上かけ
る言葉をなくしてしまった。だがしかし。子供と言うのは得てして平気で嘘を吐くものである。大人と違うのは、嘘
を吐いていると言う自覚無しに嘘を吐く。故に、大人よりも性質が悪い。今の青島がそうだとは言わないが。
「でも、何でそんな事を聞くんですか?」
「あー…それはだな…」
それが目的で来ているとはいえ、本人に面と向かっては言いにくいものがある。言いよどむ一倉に対して、
200%澄み切った声であっさり言ったのは青島の後ろに立った雪乃だった。
「今朝から室井さんの機嫌が悪いんですって。それで、その原因が青島さんにあるんじゃないかって、わざわざこ
こまで来たみたいです」
「そうなの?」
二人に向き直って首を傾げる青島。
横の一倉も向側に座った新城も神妙な顔で頷く。
「う〜〜〜ん、でも、俺、心当たりないっすねぇ」
「ホントに無いのか?」
「ホントに無いです」
「ホントにホントにか?」
「ホントにホントにありませんってば。さっきも言ったとおり、昨夜は室井さんに会ってないし…」
「その前に喧嘩したとか?」
「してないっすよ。俺たちず―――っとラブラブですから♪」
「あー、はいはい」
青島の語尾にハートマークの付きまくった答えに豪快な溜息交じりで答えたのはすみれ。室井と青島のバカッ
プルの一番の被害者である。勿論それに対する報復はいつも三倍返しで行ってはいるが。すみれ曰く。『目には
目を。歯には刃物と拳銃と回し蹴り』が彼女の信条であるらしい。絶対に敵に回したくない相手である。
「じゃあ、如何してあんなに機嫌が悪いんだ?」
「さあ…。何か悪いものでも食べたんじゃないですか?」
お前じゃあるまいし。と無言で突っ込んだのは、自分が悪いものを食べたような顔で座っている新城。
「じゃあ、一倉さんにいぢめられたとか?」
「最近はいぢめてないぞ?」
「昔は?」
「まあ、ちょこちょこと…」
「えいっ!」
「……痛いじゃないか」
「あ、すみません」
青島に叩き付けられ、頭の上で真っ二つに割れたクリスタルガラスの灰皿を貼り付けたままの一倉。額にうっ
すらと血が滲んでいるのはご愛嬌だろう。
「一倉さんって石頭…」
ぼそりと呟いた真下の言葉を綺麗に無視して話は進む。
「一倉さんじゃないとしたら、新城さん……は、いぢめられる方だし」
「何故決め付ける!?」
「違うんですか?」
「違わないよなぁ?」
「うんうん」
「一倉さんまで――っ!」
二人に遊ばれてすっかりいじけてしまった新城が、革張りのソファーに『の』の字を書き始めた。
「でも、これで原因が完全に判らなくなってしまったなぁ…」
滅多に無い本気で困った顔の一倉。
「室井さんに直接聞けばいいじゃないですか」
「やだよ。恐いもん」
「恐い、ですか?」
「恐いぞー。今の室井向き合うぐらいだったら、機関銃とバズーカと日本刀で完全武装したヒグマに素手で向かう
ほうがよっぽどマシだ」
「え!?そんな熊がいるんですか?それはそれで見てみたいなぁ」
「……見なくてもいい」
どこかずれた青島にがっくりと肩を落とす一倉。他の三人はそんな青島に慣れきっているので、特に反応は無い。
「でも、真面目な話、早く何とかしてもらわないと…。上がそんなんで迷惑こうむるのは結局所轄の私達なんですよ」
「雪乃さんの言うとおりです!早く何とかしてもらわないと…」
「じゃあ、そういう真下君に聞いてもらおうか?」
「えええええええっ!?」
藪を突付いて大蛇を出してしまった真下。真っ青な顔で何かを言おうとするが、言葉にならない。そんな真下に
追い討ちを掛けるように、今度はすみれが口を開いた。
「真下君なら大丈夫よ。ちゃんと室井さんに訳を聴いてくるのよ。骨は拾ってあげるからね♪」
「初めと後で言うことが違うし〜〜〜っ!」
「頑張ってくださいっ!丁度今室井さんも来た事ですし!」
「雪乃さんまでっ!………って、今なんていいました?」
「え?頑張ってくださいっていったんですけど?」
「いえ、その後なんですが……」
「私が、来たと言ったんだが?邪魔だったのかな」
嫌になるほど聞き慣れた声に青島と雪乃を覗く一同が振り向けば。そこにはぞっとするほど爽やかな笑顔を浮
かべた室井の姿。
「ひえええええええええっ!!!!」
鶏が絞め殺されたような悲鳴を上げたのは誰だったのか。応接室の気温が一気に氷点下まで低下した。
「むむむむむむむむ……」
「なんだ、一倉?」
「どどどどどどどどど……」
「如何して…といわれても、近くまで来たので、そのついでに捜査資料を借りようかと…」
「……よく会話が成立しますよね」
「……ほんと」
蛇に睨まれたガマガエルが如く、たらりたらりと脂汗を流す一倉と、以前、壮絶爽やか笑顔のままの室井を横
目に、女二人仲良くコーヒーを啜る。その横では青島がニコニコと笑顔を振り撒いており、真下は…さっさと逃亡
した。
「で、一体俺がなんだって?」
一倉、瞬間冷凍。
「あ、何でも室井さんの機嫌が悪くて困ってるって言ってましたよ?」
一倉、瞬間解凍。
「ああああおしまぁ!余計なことは言わなくていいっ!!」
「でも…」
馬鹿正直に今までの事情を説明する青島を見た室井の顔から、今までの笑顔が消えた。換わりに浮かんだの
は、怒りと困惑とやるせなさを綯い交ぜにしたような顔。
「どうしたんですか?」
「いや…なんでもない」
無邪気な笑顔に耐えられないといったふうに顔をそむけた室井に、青島の顔からも笑顔が消える。
「室井さん…?」
「……」
奇妙な沈黙。
鬱陶しいその雰囲気に真っ先に耐え切れなくなったのは、当然と言えば当然。天下無敵のすみれだった。
「なんでも無いって事は無いでしょ?何かあったからそんな顔してるんでしょ」
「そ、それは…」
「この際はっきりしたら?あなたがそんなんで皆迷惑してるのよ」
「え?すみれさん楽しんでるんじゃなかったんですか?」
「柏木君、柏木君…」
ボケた時にボケたツッコミを入れた雪乃を一倉が止める。慣れたもので、そんな雪乃を無視して話を進める
すみれ。青島は…ちょっとだけ困った顔で二人を見ていた。
「まどろっこしいのは嫌だから、はっきり聞くわ!昨日一体何があったの!?何でそんなに機嫌が悪いの?」
「それは…」
言い澱み、青島の顔を見る。見られた青島は、訳がわからないといったように、困惑の顔で自分自身を指差し
ていた。
「原因は…青島君?」
「え?俺?」
「……しかないだろうが」
と、一倉。室井はまだ黙したまま。
「……室井さん?」
詰問する口調から、一転した穏やかな声が室井を即す。
その言葉に即されて…というより、すみれの手に握られたクリスタルガラス製の灰皿(二号)に恐怖を感じたの
か、室井が重い口を開いた。
「……昨夜」
「昨夜?」
「青島を……見かけた」
そして室井は語り始める。
「……つまり、昨日、仕事帰りに青島君の浮気現場を偶然見かけて、それが気になってずっと、そんな顔をして
いたと?」
「……」
無言。でもそれは肯定の意。
「む、室井さん……ひどいっすよ。俺…浮気なんてしてません!!」
話が進むにつれ、混乱したのは青島だった。
よもやそんな身に覚えの無い理由で、室井が怒っていた等とは思ってもいなかったらしい。
「だが、昨夜のあれはどう見たって、浮気現場のそれだろう!あんな場所で…あんな…っ!」
「室井さんは、俺のことが信じられないんですか!!俺は、いつだって…室井さんだけなのに…」
「あ、青島…俺は…」
怒りと悲しみと憤り。すっかりとお馴染みになった定番の泥沼痴話喧嘩である。
「まぁまぁ…落ち着け二人とも。そうやって言い合ってても何の解決もしないぞ」
事態の収拾を図るべく動いたのは、この中で一番の年長者・一倉。年嵩の余裕を見せながら、お互いを追い
詰めて道を失った二人の前に立つ。
「室井、青島もああ言っている事だし、昨夜はお前の見間違いだったという事は無いのか?」
「ない」
きっぱりはっきり。
例えピーポ君の気ぐるみを着ていたとしても、青島の姿を一発で見分ける室井である。少々暗いからといって
見間違う訳が無い。
「あ――……。じゃ、じゃあ青島、お前本当に浮気なんかしてないんだな?」
「するわけ無いじゃないですか!!……一倉さんまで…ひどいっすよ……」
抗議の声を上げる青島の目に涙が滲む。
「いちくらっ!青島を泣かすな!!」
「お前、どっちの味方だぁっ!?」
「青島に決まってるだろう」
これまたきっぱり。
友情より愛情をとった室井にこっそり涙する一倉。ある意味一番気の毒な人物ではある。
「……お、お前の気持はよくわかった。つまり、お前は青島が誰よりも好きなんだな?」
「……」
またも無言。でもこれも肯定。
「だったら、如何して青島の事を信じてやらない?恋人のいうことを信じてやれないほど狭量な男なのか、お前
は?」
「……」
無言。これは否定。
「だったら信じてやれ。第一あの青島に浮気なんて器用な事ができると思うか?」
一倉の視線を追ってみれば、訳も判らず叱られた仔犬みたいに尻尾と耳をたらした青島がいた。
「青島…」
「室井さん……信じてください。俺…昨日は本当に…」
困惑する二つの意味を持った視線が絡み合ったとき。半開きになっていた応接室のドアから一人の男が飛び
込んできた。
「青島さん!売人の後ろにいた組織がわかりました!……って、皆さん何やってんですか?」
あまりにも場違いな緊迫した声と台詞と共に飛び込んできた男を見た室井の目が大きく開かれた。
「き、君はっ、昨夜の…!」
「は?あ、あの…?」
「室井さん……昨日八木さんと……って、あああっ!!!」
第三者の登場で混乱に拍車がかかり、ますます収拾がつかなくなった湾岸署・応接室。これから一体どうなる
のか。それは作者にしかわからない。というより、仕事しようね皆さん。
訳も判らず椅子に座らされ、長身を縮込ませながら周囲の顔色を伺う八木。生活安全課の刑事として、地道に
真面目に働いてきた彼にとって、まさに青天の霹靂といった感である。
「……だから、誤解なんですってば」
苦い顔をした室井の前に八木を挟む形で座り、少しあきれた顔で説明しているのは青島。室井は腕を組み無
言で話を聞いている。
「昨日、八木さんと二人でホテルに行ったのは事実です。でもそれは、仕事だったんですよ」
「仕事…?」
聞いていた室井の脳裏に、ちょっとここでは言えないような怪しい仕事をしている青島の姿が一瞬浮かんで消
えた。勿論青島が言う仕事がそういうものではない事は流石の室井でも判る。…しかし、一体どんな仕事を想像
したんだ室井さん。
「だから…ね」
青島は語る。
このところ湾岸署管内を賑わせている薬物について。
摘発の為、生活安全課に限らず署内を上げて捜査に当たる事になった事。
その手伝いで、張り込みに借り出された事。
「あのホテルでヤクの売買をやっている男がいるってタレコミがあったんです。だから八木さんと二人で…」
一晩中張り込んでいたのだという。そして先程まで青島が取り調べていた男が、そのとき逮捕したヤクの売人
だったらしい。…って、ここまで読んでくださった方のはたして何人が覚えているのか疑問ではあるが。…別に覚
えて無くてもいいけどね。
「……本当に何にも無かったんだな?」
「はい」
「……」
八木も青褪めた顔で首の関節が壊れるほど必死で頷く。そして頷き過ぎてムチウチ症になった。余談ではある
が、後日彼のムチウチ症は室井の采配により、無事勤務中の怪我―労働災害として認められた。余談である。
次からは、飛ばして読んでくれても構いません。
等と余計なことを書いているうちに、憤りに強張っていた室井の顔から、剣が次第に消えていった。
「これではっきりしたな」
事の次第がはっきりとし、すべては室井の勘違いだったと判り、一倉の顔にも余裕が戻る。
「ようするに、お前の勘違いだったというわけだ」
自然、交す会話も軽いものになっていく。
「昔からそうだったよなぁ。思慮遠謀そうに見えるが、その実、短気でオオボケで。小難しい顔して階段一段踏
み外してよく転んでたよなぁ」
軽いを通り越し、調子に乗りまくって行く。
「大体愛する恋人を信じられないなんて、男としては情けないぞ?青島だって可哀想じゃないか。…いい機会だ
から言っておく。いいか室井!男というものはだな…」
「そういえば…一倉」
「なんだ?」
「この前の日曜日、六本木でお前の奥さんを見かけたんだが…」
「……え?」
「普段見た事も無いような綺麗な服を着て、男の人と腕を組んで、楽しそうに歩いてたなぁ。一緒にホテルに入っ
て…あれは……」
「愛子(仮名)―――――――っ!!」
一倉、速攻で帰宅。後には風しか残らなかった。
「あれは、確か、奥さんの御父上だったと思うのだが…って、もう聞いてないな」
「……鬼」
「勘違いする一倉が悪い」
しれっとした顔で、すっかり覚めた茶を啜る室井。どうやら室井の方が一枚上手だったようである。
「でも、これで一件落着ですね。誤解も解けたし、室井さんの機嫌も直ったし」
「すまなかったな。お前を疑って……」
「気にしてませんって。ちゃんと説明しなかった俺も悪かったんですから」
「そうよね。おかげでこっちまで迷惑掛けられて…」
「でも、すみれさん楽しんでたじゃないですか」
「どんなときでも、明るく愉しくが私のモットーだもん」
何か違うような気もしないではないが、一先ず良しとする。
「では、私も本庁に戻るとしよう。午前中ろくに仕事にならなかったからな。仕事が溜まってるだろうな」
苦笑交じりでそう言うが、実は捜査一課の機能は完全麻痺。苦笑どころではない事態になっているのだが、
まあ、それは関係ないので、取り敢えず放って置こう。
「じゃあ、送りますよ」
「いや、いい。青島は青島の仕事をしてくれ」
甘い言葉ではないが、お互いを気遣う言葉に、胸の奥が熱くなる。ただし傍から見ていたすみれと雪乃にとって
は胸ヤケものであったが。
何はともあれ一件落着。湾岸署にいつもの平和な日常が戻った。
一倉が去り、室井が本庁に帰った後、ささやかではあるが午後の茶会が応接室に残った三人の間で行われ
た。大きな事件も小さな事件も無い平和な午後。茶葉は安くてもその味は格別だった。
「でも、いきなり一倉さんと新城さんが来た時にはびっくりしたわ。一体何事かと思っちゃった」
「本当ですよね。真っ青な顔で『青島はいるか―っ!』ですからね」
「俺も。一倉さんは急に変な事言い出すし、室井さんは一人で怒ってるし」
「でも良かったじゃない。誤解が解けて」
「ホント、一時はどうなるかと思っちゃった」
「あはははは」
「本当に浮気がバレたかと思って焦っちゃった」
「あははははははははは……って…え?」
笑顔の青島につられ、思わず大声を出したすみれの笑いがぴたりと止まる。そんなすみれに気付いているの
かいないのか、何も考えていない脳天気な声と笑顔の青島が、楽しそうにお茶のおかわりを飲んでいた。
「昨日じゃなくて一昨日だったら危なかったなぁ」
一人で納得しながら茶を飲んでいる。
「あ、でも、一晩限りのお遊びなんだよ。だから浮気とはちょっと違うかな?相手もそれは承知の上で…」
「青島君。……それ、室井さんには…」
「あ、勿論ないしょ。何かねぇ時々刺激が欲しくなるって言うか…」
「時々…」
「刺激…」
「うん。これって男の性って奴なのかな?」
全く悪びれた風も無い、実際悪いとは思っていないのだろう。この無邪気な悪ガキは。
湧き上がる頭痛を耐えつつ、青島に向き直る。言うだけ無駄かもしれないが、一応言うことは言っておくことに
する。
「ねぇ、青島君」
「なになに?」
「今の話、絶対に室井さんにバラしちゃ駄目よ?」
絶対に殺されるから…と言い掛けたすみれの言葉がとまった。続いて言葉の代わりに吐き出されたのは大き
な溜息で。
「……って、言うだけ無駄だったみたいだけどね」
大きな諦めの篭ったすみれの言葉に青島が振向くと。
「時々、刺激が何だって?」
「……………………………えっと」
背筋に湧き上がる恐怖と戦慄。
まるで背後霊の様に青島の後ろに立っていたのは、凶悪なまでの、これ以上は無いというほど明るく爽やかで
凍り付くような笑顔を浮べた室井だった。
「あの、室井さん……どうして」
「ちょっと忘れ物をしてな。それより、男の性が如何したって?」
笑顔はそのまま。口調も優しい。
だから余計に怖い。
「あの…ね、だから、その……」
言い訳を募る青島に対し、室井の顔がふっと優しくなった。
「馬鹿だな。そんなに刺激が欲しいんだったら、一言俺に言えば良いじゃないか」
「え…え?」
「俺が、じ――――――っくりと、優しく与えてやったのになぁ」
にっこり笑顔。
凍り付く青島。
「あ、あの……」
「そう言うわけだから、今日はもう連れて帰って良いかな?」
「どうぞどうぞ。明日も有給扱いにして手上げる」
「す、すみれさんッ!?」
「自業自得よ。諦めなさい」
救いの神は、どうやら多忙で青島の前には現れてくれなかったらしい。
そして。
「いや―――っ!ごめんなさ〜〜〜い」
誰も居なくなった刑事課に悲鳴だけを残し、青島の姿は消えた。
「あ〜あ、もうどうしょうもないわね」
「そうですね〜。でもあれはあれで幸せなんだから良いんじゃないですか?」
「そうね」
後に残されたのは、最強最凶コンビの二人だけ。すっかり人気のなくなった刑事課で取っておきのお菓子を摘
みにティータイムの続きを楽しんでいた。
と、その耳に届くかすかな声。
「……どうせ俺は」
ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ。
「…?」
聞こえてきた声にソファの影を覗きこめば、其処にいたのはすっかりいじけてますます小さくなった新城が、
カーペットの上にひたすら『の』の字を書きつづけていた。
「……あー、すっかり忘れてた」
作者も忘れてました。
「新城さん居たんですね―。小さいから判りませんでした」
「……ど、どうせ俺は…俺は…俺は…俺は…俺は…俺は…俺は…俺は…」
そうやら今回一番の被害者は、巻き込まれた挙げ句、忘れらた新城だったのかもしれない。
……合掌。
その夜。
室井宅。
「あ……あの……この手に填まってるのって…」
「手錠だが?」
「外してくれると嬉しいかなぁ…って」
「駄目」
「そっちの机の上にあるものが、ちょっと気になるんですけど…」
「気にするな」
「何だか怪しい液体やら道具が並んでいるような…」
「すぐに判る」
「え…えっと…」
裸に剥かれてベットの上で油汗を流しながら、乾いた笑いを浮かべる青島。
それを見詰める室井には、ちょっと一言では表せないような笑顔が浮んだままで。
「お、俺…どうなっちゃうんでしょう?」
「そうだな……天国と地獄、どっちに行きたい?」
その後、青島が無事に天国に行けたのかどうか。
それは室井だけが知っている。
ちなみに、青島が無事に職場復帰したのはそれから一週間後のことであったと言う。
おひさしぶりの更新が、コピー本の再録…。
ああああああああっ!申し訳ございませ〜〜〜ん;;
内容も相変わらずお馬鹿な面々が、馬鹿騒ぎしているし…。
もう、本当にどうしようもないですねぇ。
…って、一番どうしようもないのは自分ですね(溜息)