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そして次に、平成18年3月、ソファーから転落して慢性硬膜外血腫で脳の手術となりました。転んだ弾みに観葉植物の鉢で頭を打っていたらしいのです。転んだ2ヵ月後に失語症が現れ、右手から物を落す症状がでたため脳を検査して血腫が解かったのです。それでなくとも不自由な生活に更に拍車がかかると、ストレスも深まり、思い切って旅に出ることにしました。旅は前頭葉に刺激を与え癒しの効用があることは知られています。旅好きの私は、若い頃から大病を旅で癒してきました。しかし、それが予想もしない事故にもつながることになりました。
平成19年9月、旅先の宿の座布団に足がすべり背骨を骨折したのです。4ヶ月の間胴体を固定する装具を着けての通院生活となりました。背骨は当然曲げられません。横になってねるのも大変です。
そして平成20年4月、眼底出血は消えましたが、視力、物の歪みの回復がないまま網膜の黄斑変性症と診断され、埼玉の東大宮の眼科専門医まで往復7時間の通院が始まりました。この電車の行き帰りが不自由な体にはとても辛いのです。通院は今でも続いています。
通院以外は床に臥していることが多くなり、ますます体調を崩し、加齢も伴なって、生きていくことの辛さのみを味わう日々になりました。常日頃、氣功で体調を整えてきた私ですが、その氣が全く通らなくなり、リンパの流れも悪くなりました。自分ではっきりそれが分るだけにイライラが募ります。背骨骨折の装具装着による筋肉の硬直もひどく、全身ストレッチもままならず、この苦しみから逃れたいと真から思いました。東大宮への通院が少しでも楽になればと今年7月から折田先生の足もみと全身マッサージを7回受けました。それからお陰で何とか自分でストレッチがかなり出来るようになりました。そして通院が少しずつ楽になってきました。すると薄紙を剥がすように、右肩の痛み、指の麻痺も少しとれてきました。しかし今度は左拇指の狭窄性腱鞘炎により指のギブス固定です。キセノン照射を3ヶ月して今は徐々に快方に向かっています。しかしつくづく思うことは手術を免れただけでも有り難いと思っています。
今できる楽しみはないかと考え、遠くへの旅は無理なので、近場の生田緑地のバラ苑、巾着田の曼珠紗華、高尾山の紅葉狩り、映画「崖の上のポニョ」「ナルニア国物語」の鑑賞、西洋美術館のコロー展などに出かけたりして、だいぶ前向きの気持ちが出てきました。
痛みは人間を消極的に、後ろ向きの人生に変えてしまうものです。痛みが取れるに従ってやる氣が戻ってきます。
昭和7年生まれ76歳の私ですが、今まで老いを受けいれられず無理をすることが多かったことに氣づきました。それを受け入れて無理せず、あせらず、頑張り過ぎない生活も必要であることをこの月日で教えられたような氣がします。病気をしても病人にならず、マイナス指向の病を結果的に全てプラスに変えていく強い精神で生きていこうと思っています。
一日一つ楽しいことを見つけていこう!
一度体のバランスを崩すと、取り戻すことは至難の業になりますので、怪我や病気の小さいうちに充分に効果的な手当てをして大きな病気につながらないように皆さまも氣をつけてください。
『アフリカとヨーロッパに行ってきました』
アフリカとヨーロッパから帰ってきたら、貴方からの手紙が来ていました。今年の9月、アフリカのザンビアで40名のスタッフと一緒にリフレクソロジーのワークショップをしてきました。医師や看護師も同行しましたが、彼らがエイズという病に対して如何にリフレクソロジーが有効かを理解してくれたことを願っています。
ザンビアでは不覚にも風邪をひいてしまいましたが、日程の最後までいろいろと教えることができました。故郷のスイスで数日休養したあとスイス、オーストリア、ドイツで仕事をしました。トータルで400名以上の人にいろいろなコースで教えることができました。ヨーロッパではすでに100名以上の修了生が私の仕事を引き継いで続けています。
感謝にかえて ジョゼフ神父
台北にて 2008.10.29