HR                       

                        
                 


RESPECT
   ソウルミュージックと書いてアレサと読む。


 アレサ・フランクリン・・。言わずと知れた「ソウルの女王」であり、ソウルミュージックを語る上で避けては通れない定番シンガーである。
ソウルミュージックを愛しインターネットでソウルを検索してここのページに行き着いたようなみなさんなら当然アレサの魅力など私が語るまでもなくアレサの残した宝石のように輝く名曲の数々から何かを感じ取っているだろうし、アレサの素晴らしさはどんな賞賛の言葉を並べても表現できないものであることは充分承知しているつもりです。なので、ここではアレサの詳しいプロフィールや経歴などは詳しく触れない事にします。レコードガイドなどを読めば解ることはここでは語りません・・・。ただ個人的な思い入れだけを語らせていただきます。
 私にとってアレサのソウルミュージックはオアシスのようなものである。時には険しい山も登らなくてはならないこともある。信頼できる仲間から裏切られることもある。時には波乱が暮らしを襲い打ち負かされる時もある。そんな時に勇気を与えてくれるのがソウルミュージックでありアレサの天を突き抜けるようなシャウトである。どんなカウンセラーに相談するよりもアレサ・フランクリンを聞くほうが困難に立ち向かうパワーをもらえる。理屈では分からない真に心を打つソウルミュージックがアレサ・フランクリンの歌にはあるのです。
ソウルミュージックと書いてアレサ・フランクリンと読む。」これに異論を唱える人はいないであろう。




    NATURAL WOMAN   もし神様がソウルシンガーだったら・・・。


 
私は会社まで車で1時間もドライブして通勤しています。埼玉県の北部の田舎の方に職場があるため窓から見える風景は見渡す限りの田園と秩父連邦の山々ばかしである。空気は美味しいがひたすら退屈なのである。
そのため、通勤のお供に車の中には大量のミュージックテープを持ち込んでいる。もちろんテープに入っているのはSOUL MUSICです。
 そんなある日のことである。会社から帰宅中にいつものようにカーステレオでソウルミュージックを聞きながら家路へと向かっていた。その日は雨であった。雨の日のドライブには何故かグラディス・ナイトとかアレサ・フランクリンがピッタシはまるのである。左右に動くワイパーを眺めながらアレサの「DAY DREAMING」あたりを流すと何とも言えないムードが演出されるのです。
そしてテープが「I SAY LITTLE PRAYER」まで進んだ辺りで異変がおきた。バックのSWEET INSPIRATIONSのコーラスが聞こえてこなくなり演奏もベースとドラムの音しか聞こえなくなってしまった。
ハザードを点滅させて一時停車してテープの様子を調べたりしてみたがさっぱり原因は分からない・・。
カーステレオが使用できなくなってしまう・・・。そうなれば翼をもがれた鳥のようなもの単調な田舎道に面と向かいあわなければならない運命が待っている・・・。そんなの嫌だ!!
どうやら原因は左のスピーカーの故障のようだという事が判明した。つまり右スピーカーの音しか聞こえなくなってしまったということです。
スピーカーは専門家に見て貰うことにして私はあきらめてそのままの状態でアレサを聞き流していた。
その時であった体に電流が走ったのは・・・!?
演奏とコーラスがほとんど聞こえないので右スピーカーから聞こえてくるのはほぼアレサの声のみである。
それが非常にリアルに聞こえるのである。声だけが聞こえているので一瞬助手席にアレサが乗っていて自分に向かって歌っているのでは?というような錯覚に陥るような生々しいリアルさを感じさせる歌声なのです。それは本当に神秘的な体験だった。
私はそれまでアレサをオーティス・レディングやジェームス・ブラウンと同じ偉大なソウルシンガーの一人としか思っていなかったがこの壊れたスピーカーから聞こえてきたアレサの純粋で混じりけのない歌声で完全に生きていく上で一番大切なシンガーへと変わっていった。
また、良くアレサはビートルズなどのロックを歌ってもジャズを歌っても完璧に自分の世界にしてしまう実力がある。というような事が言われていますが私はその言葉に納得できます。彼女の声は人間の声にはない魔法がかけれられているのではと思います。
 レジー・コリンズという音楽ライターはアレサのゴスペルアルバム「AMAZING GRACE」のなかで以下のように述べている。
「もし神が女性ソウルシンガーであったなら、その声はアレサ・フランクリンと同じであろう・・。アレサの声は、まったく天上からの賜物としか言いようがないほどの驚異である。」と。

     

     
        
 MY BEST OF ARETHA FRANKLINa


 ソウルミュージックは楽曲の良さよりもいかに感情や情熱を伝えることができるかという実力が勝負であるというような事をパティ・ラベルが語っているの聞いたことがありますが、私もその意見に同感です。
何故ならパティ・ラベルやアレサによって歌われればどんな曲も光輝き感動的に様変わりするからだ。
 ここでは、私が大好きなアレサ・フランクリンのベスト10をセレクトしようと思っていますがアレサによって歌われた曲なら全てが名曲なので余り意味がないことかもしれません・・・。あくまでも友人や大切な人などにアレサ・フランクリンの歌を聴かせてあげようとテープを製作してプレゼントする時に選曲するナンバーということです。
また、これを読んでいるアレサが大好きなみなさんのベスト10も是非教えて下さい。掲示板かメールでお願いします。



1.AIN'T NO WAY

  
「LADY SOUL」(68)に収録。アレサが実力を見せつけたため息がでるようなバラードナンバー。
 曲の後半で綺麗なハイテナーを聞かせてくれるのはホイットニー・ヒューストンの母親のシシーである。
2.I'M IN LOVE 
  「LET ME IN YOUR LIFE」(74)に収録。ボビー・ウーマックやウィルソン・ピケットでもお馴染みのディープ
 ソウルの名曲をポップな味付けでパワフルに歌い込んでいる圧巻なナンバー。ラスト手前のシャウトでノック
 アウトです。
 
3.ANGEL
  「HEY NOW HEY」(73)に収録。アレサの妹のキャロラインが作った包容力溢れるスローナンバー。
  キャロラインは先の「AIN'T NO WAY」も作曲している。
4.SINCE YOU'VE BEEN GONE(SWEET SWEET BABY)
  「LADY SOUL」(68)に収録。多くの人がアレサに対して抱くイメージとはこうした力強く歌われる
 ジャンプナンバーなのでは?「RESPECT」と2本立てで自立した格好いい女性の姿を感じさせる。
5.ANOTHER NIGHT
  「WHO'S ZOOMIN WHO?」(85)に収録。アトランティック時代のアレサしか思い入れを抱かない人は多いが 
  ロックやポップスなどに作風を広げて更にビッグな存在になった80年代以降のアレサもとてもいいですよ。
6.I SAY LITTLE PRAYER
  「ARETHA NOW」(68)に収録。ディオンヌ・ワーウィックの名曲をアレサ流に料理した極上のナンバー。
 バックのSWEET INSPIRATIONSとのコーラスの掛け合いの素晴らしさはまさにソウルフルである。
7.BABY BABY BABY
 「I NEVER LOVED A MAN THE WAY I LOVE YOU」(67)に収録。この曲でアレサを好きになった人って
 たくさんいるんだろうな・・。この曲もまたキャロライン作である。
8.WHOLY HOLY
 「AMAZING GRACE」(72)に収録。アレサの原点はゴスペルである。マーヴィン・ゲイがオリジナルの
 この曲を教会で実にスピリチュアルに歌い上げている.
9.IF YOU DON'T THINK
 
「LET ME IN YOUR LIFE」(74)に収録。これでもかこれでもかと語尾を伸ばしシャウトして歌い込むアレサ
 が堪能できる。アレサが限界に挑戦したかのような究極のソウルナンバー。
10.(YOU MAKE ME FEEL LIKE)A NATURAL WOMAN
 
「LADY SOUL」(68)に収録。キャロル・キングの作曲したナンバーである。最近ではメアリー・J・ブライジ
 がカヴァーするなどヒップホップ世代のシンガーにも歌い継がれているポップススタンダード。
 ちなみにアレサはローリン・ヒルと共演するなど今のソウルシンガーからも大きな目標となっている。偉大だ!

 



         
     

 
  ここまで付き合ってくれたみなさん。次回、レコードやCDを買いに行くときにはアレサのアルバムを入手して
 みよ
なんて思ってきたのでは?でも、どのアルバムを選べばいいのかな?
 アレサのアルバムならどれでも失敗はあるはずないのですが、数多いアルバムの中から数枚重要な作品を
 セレクトして下手くそな解説を語らせてもらいます!
      
       

 有名なC.L.フランクリン牧師の娘であり幼少の頃から
ゴスペルで鍛え上げた筋金入りの歌唱力を持ちながら
コロンビア在籍時代はジャズとポップスの中間をさまよう
かのような方向性が定まらない路線を歩んでいたアレサ
であった。一時は歌手を止めて主婦としての生活を選び
取ろうと考えていたという。
 そんなアレサの持て余していた才能が発揮されるのが
アトランティックに移籍してからであろう。
サザンソウルの熱波が吹き荒れていた67年。サザン系の
名門であるマッスルショールズのFAMEスタジオで録音され
アレサの代名詞的な
「RESPECT」「BABY BABY BABY」
などの名曲を生み出したアレサの最高傑作と呼べる一枚。
ゴスペルを基盤にした南部的な資質と都会的なポップ感覚
の両方を持っているアレサというシンガーの魅力をジェリー
ウェクスラー見事に引き出してみせた。
 しかし、FAMEスタジオのミュージシャンとアレサ
の夫兼マネ
ージャーであったテッド・ホワイト
との人種的確執からおきたト
ラブルにより「BABY BABY BABY」以外はニューヨークのスタ
ジオでマッスルショールズのリズムセクションを呼び寄せて録音
されている。皮肉にもそれがアレサのソウルシンガーとしての
スタイルを確立するのに一躍買ってしまったのだ。
全曲南部録音であったならディープな重苦しさが強いアルバ
ムとなってしまっていたであろう。
 ともあれアレサを知るのには最適な一枚である。
このアルバムを聞くといつも体が熱くなるし、拳を振り上げた
くなるし包まれるような優しさを感じる。サム・クックやレイ・チ
ャールズのカヴァーも素晴らしい。完璧なソウルミュージック
がここにある。

貴方だけを愛して(67)
I NEVER LOVED A MAN
        THE WAY I LOVE YOU 
AtlanticSD8139




1.RESPECT

2.DROWN IN MY OWN TEARS

3.I NEVER LOVED A MAN

4.SOUL SERENADE

5.DON'T LET ME LOSE THIS DREAM

6.BABY BABY BABY

7.DR.FEELGOOD

8.GOOD TIMES

9.DO RIGHT WOMAN-DO RIGHT MAN

10.SAVE ME

11.A CHANGE IS GONNA COME





      
       

 アレサのアルバムの中からどれか一枚を選べとするなら
迷わずこの一枚を挙げる人は数多いと思います。
タイトルの「LADY SOUL」はアレサの代名詞となっている。
レコーディングはアラバマのマッスルショールズとアメリカン
スタジオ
使い当時の南部のソウルシーンを代表する
ミュージシャンをバックに
つけた鉄壁のサザンソウルを生み
出している。

 ゴスペルで
鍛え上げたアレサの実力と南部のディープで
情熱溢
れるウルミュージックが完璧なまでに融合した60
年代のアレサのスタイルはここで完成するのであった。
 アレサらしいパワフルなジャンプナンバーである「CHAIN
OF FOOLS」「SINCE YOU'VE BEEN GONE」などは聞き手
に勇気を与えてくれる。
 また、キャロル・キング&ジェリー・ゴーフィン作の
「A NATURL
WOMAN」
「AIN'T NO WAY」などアレサの代表曲となりその
後のスタイルとなるソウルバラードの名曲も収録されている。
その歌唱力は言うまでもなく表現力溢れるヴォーカルを
こころ
ゆくまでそれらのバラードナンバーから味わうことができる。
アルバムを最後まで聞き終えると思わずため息と共に「LADY
SOUL!」と呟きたくなる衝動に駆られてしまう。
このアルバムこそソウルの歴史のなかで起きた数少ない奇跡

の一つであろうと
「AIN'T NO WAY」のシシー・ヒューストンのハイ
テナーを聞きながら思いました。

 また、ジェームス・ブラウンのカヴァーである「MONEY WONT
CHANGE
YOU」やインプレッションズの「PEOPLE GET READY」
など他人のカヴァーを見事に自分の世界へと変えて歌いこなし
しまう実力はお見事です
「GOOD TO ME AS I AM TO YOU」では当時クリームに在籍し
ていたエリック・クラプトンが渋いブルースギターを披露している
のも注目である。

 ただ、あえて言わせて貰うと個人的に
「I NEVER LOVED A
MAN THE WAY I LOVE YOU」
のほうがアレサらしい包容力と情
感が籠もった曲が多くアルバムの出来は上だと思います。



 LADY SOUL(68

  Atlntic SD8176


1.CHAIN OF FOOLS

2.MONEY WON'T CHANGE YOU

3.PEOPLE GET READY

4.NIKI HOKI

5.(YOU MAKE ME FEEL)
 A NATURAL WOMAN

6.SINCE YOU'VE BEEN GONE
 (SWEET SWEET BABY)

7.GOOD TO ME AS I AM TO YOU

8.COME BACK BABY

9.GROOVIN'

10.AIN'T NO WAY


















   
       


  お堅いソウルファンからは評価されず、語られる事の少な
80年代以降のアリスタ時代のアレサ・フランクリン。
60年代後半から70年代までの
アトランティツク時代に「ソウル
の女王」の称号をいただきその地位を不動にしたアレサであった
が、さらに芸風を広げて国民的なスーパースターへと飛躍したの
がアリスタ移籍後のアレサと呼べるであろう。
 70年代後半に少し活動が停滞気味であったアレサが80年代
という新しい時代を迎えてシンセサイザーや打ち込みサウンドな
ど進歩したデジタルサウンドの登場の波の中で見事に復活した
のです。
 アレサは新しい時代の感覚を取り入れてロックやポップスなど
様々な音楽を自分のスタイルに取り入れて歌うようになる。この
様な芸風の拡大がソウルファンに留まらない大衆的な人気を得
て再び彼女は全盛期を迎えるのであった。アリスタ時代のアル
バムはどれも良くできていて一枚ずつ紹介したいのですが、ここ
ではこの時期のヒット曲を集めたべスト盤を紹介します。

 
アレサの熱烈なファンであり男性シンガーでありながらアレサを
目標にしていたという
ルーサー・ヴァンドロスが手がけた「JUMP
TO IT」
、20年ぶりに全米1位を記録した「I KNEW YOU WERE W
AITING」
では当時人気絶頂のジョージ・マイケルと共演しています。
また、当時の売れっ子プロデューサー、
ナラダ・マイケル・ウォル
デン
を起用した「FREEWAY OF LOVE」など80年代に活躍した最高
のプロデューサー、アーティストを起用して作られた名曲の数々は
決して
「RESPECT」「BABY  BABY  BABY」の頃のアレサより
劣るとは思えない。
 アレサというシンガーは例えバックのサウンドがデジタル化しよ
うが、ポップになろうが、激しいロックであっても信念を曲げずに歌
いこなせるシンガーだと思います。同時代に復活した
ティナ・ター
ナー
パティ・ラベルにも言える事ですが、どんなスタイルの曲
でもソウルミュージックに仕立て上げて歌いこなす実力のあるシ
ンガーだと思います。いつの時代でもアレサは「ソウルの女王」で
あり根本には教会に根付いたゴスペルが脈づいているのです。
 残念ながら、多くのソウルファンはアリスタ時代のアレサをあえ
て語ろうとしないし執着心を抱く事もなく聞き流してしまう傾向がある

「ソウルの女王」が「スーパースター」へと進化していき多くの人々
に親しまれるようになった瞬間こそソウルファンの誇りではないであ
ろうか?


 







 GREATEST HITS(1980~1994)
  

1.FREEWAY OF LOVE

2.I KNEW YOU WERE WAITING
(With GEORGE MICHAEL)
3.JUMP TO IT

4.WILLING TO FORGIVE

5.DOCTOR'S ORDERS
(With LUTHER VANDROSS)
6.UNITED TOGETHER

7.WHO'S ZOOMIN'WHO

8.A DEEPER LOVE

9.HONEY

10.GET IT RIGHT

11.ANOTHER NIGHT

12.EVER CHANGING TIMES
(With MICHAEL MCDONALD)
13.JIMMY LEE

14.YOU MAKE ME FEEL(LIKE A NATURAL WOMAN)
(With BONNIE RAITT&GLORIA ESTEFAN)
15.I DREAMED A DREAM

16.JUMPIN'JACK FLASH












   

    
 
アレサの姉
ERMA FRANKLIN

    ERMA FRANKLIN「SOUL SISTA」(70)


 有名な牧師C.L.フランクリンの娘として生まれたアレサ・フランクリンにはアーマキャロリンという姉妹がいた。
3姉妹は地元の教会の聖歌隊に入り徹底的にゴスペルの洗礼を受けて育った。
3姉妹の長女のアーマは
クレオ・パトレッツというグループのメンバーとして全米のコンテストで数多くの賞を
総なめにしデトロイトのレーベル
JVBに録音もするようになった。
この間にモータウンの創始者
ベリー・ゴーディーなどと関わりながらゴスペルからソウルシンガーとしての足がか
りを築くのであった。50年代の後半の事であった。
 当時アトランタのクラーク大学の学生であったアーマは大学卒業後デトロイトに戻り父親の薦めで
エピックと契約
してニューヨークへ渡る。アルバム
「HER NAME IS ERMA」を残し契約終了後にロイド・プライスの専属シンガーを務
めるなどの経験を積む。そこでマネージャーの
ハロルド・モーガンがツアー中に殺されるなどのトラブルが重なったり
しました。そしてアーマはシャウトと契約しました。
 
シャウトレーベルとは南部のサザンソウルにも大きな影響を与えた都会のディープソウルを多く生み出したニューヨー
クソウルの仕掛け人
バート・バーンズのレーベルです。モーゼス・ディラード、フレディ・スコット、ドナルド・ハイト等のシ
ンガーがシングルなどを残しているディープソウルファンには避けては通れないレーベルである。
 そのシャウトでアーマは彼女の代名詞とも言うべき曲を67年に録音しているその曲こそ
「PIECE OF MY HEART」だ。
後に
ジャニス・ジョプリンが歌い有名になる曲である。
この時期、アレサが
アトランティックに移籍して大ブレイク。アーマは妹のキャロリンと共にバックコーラスとして
参加してラジオのDJなどから
「フランクリンサウンズ」と呼ばれるようになった。
「A NATURAL WOMAN」「BABY I LOVE YOU」などの曲で「フランクリンサウンズ」を聞く事ができます。
 アーマは「PIECE OF MY HEART」で波に乗り翌年の
グラミー新人賞にノミネートされアルバム製作の準備も進んでいた
が、シャウトの社長バート・バーンズの他界により話しは流れ、アーマは一時シンガーとしての活動をリタイアし
コンピュー
ター会社に就職
しなければならない状況へと追い込まれていった・・。
 夢を捨てきれないアーマはその後
ブランズウィックと契約を取り付けアルバム「SOUL SISITA」を発売し「GOTTA FIND
ME A LOVER」
の小ヒットを生み出す。それ以降はヨーロッパツアーを敢行しながらボーイズヴィルというデトロイトの保育
慈善団体を運営しながらコマーシャルに出演したりなどの活動を行った。
 アーマ・フランクリンは決して「ソウルの女王アレサの姉妹」という肩書きでは語る事ができないシンガーだ。
アーマの60年代のシャウト録音、ブランズウィックのLPを聞けば彼女がアレサに決して劣ることの無い一流のシンガーで
ある事が理解できるであろう。度重なるトラブルと不運が彼女をスターにする道を阻んでしまっただけの話である。
60年代に関していえばアレサよりもアーマという人がいるほどである。
 ソウルの世界では隠れた名シンガーの一人となってしまっているが最近ではブランズウィックのアルバムがCD化される
など入手し易くなっていますので関心がある人は是非聞いてみて欲しい。
また、「PIECE OF MY HEART」などシャウト時代の曲はアメリカの
COLLECTABLLESがCDとして編集しているので輸入盤
を根気良く探して欲しいと思います。

 2002年9月7日アーマ・フランクリンは天国に旅立ってしまいました。享年64歳だったそうです。