<hikkiの森>宇多田ヒカルの世界

* 光  - 1 -


 10枚めのシングル「光」は、宇多田ヒカルが、プロのアーティストとして本格的に自分の力を前面にだして歩み始めた作品として、最も重要なものである。

 シングルCDの発売日は2002年3月20日だが、この作品の制作はかなり早い時期から始まっていた。
 2002年4月29日に行われた、3rdアルバム『DEEP RIVER』のレコーディング完了後のインタビューで、彼女はこのように語っていた。「まるまる新しく作ったのはこの歌(「光」)が最初ですね。それがほんと、ちょうど1年ぐらい前で。」(注1)
 2001年のオフィシャルHPの彼女のメッセージを見ると、6月29日の「先生っ!原稿はまだですか!」と題する書き込みの中に、「今ね、明後日予定されているレコーディングまでになんとか曲を作ろうとしているところなんっすよ。」という言葉が見つかる。6月21日に、「FINAL DISTANCE」の完成報告の書き込みがあったばかりのこの時期に、もう次のレコーディングが用意されていたのである。7月7日の書き込みには、「前回のあんな書き込みの後に数日ブランク空いたから私の身に何が起こったのかって心配しちゃった人いたりして??もしや曲を終わらせなかったことに東芝EMIが激怒してヒカルちゃんにあんなことやこんなことを・・・な〜んてこともなく、ちゃんとデモのレコーディングは予定通りに無事、できました!まだまだ完成は先の話だけどなんだかいい感じの歌になりそうよ☆」と書いていて、この時期にすでにデモ段階のものが完成していたことがわかる。
 宇多田ヒカルのオフィシャルライターを担当している松浦靖恵氏も、「traveling」ができる前に、「実はもう一曲作ってたのがあって・・・」と聞かされていた。そして、「今までにはないくらい早く私の手元に取材資料用の「光」が届いた」(注2)という。

 このようにかなり早い時期に制作にかかっていた背景には、プレステ2用ゲームソフト「キングダムハーツ」とのタイアップの話があったからだろうが、その作業自体は、ゲームの方とは別に、全く独自に行なわれた。
 松浦氏とのインタビューで、宇多田はこう言っている。「なんかね、いつもどおりに、それこそ“曲でも作ろうかなぁ”って感じで、ただただ作っていた曲だったんだよね」。(注3)タイアップがあっても、初めは、テーマもコンセプトも決めずに、ただただ作っていたというところが、実に興味深い。

 この辺の事情について、プロデューサーの三宅彰氏はこう語っている。「実を言いますと『光』はアルバム『Distance』を作ったあと、「次に何をやろうか?」って考えてた時期に作った曲なんです。だから『traveling』の前にできてた曲なんです。その頃は次の音楽の方向性とか、めざしていくスタイルを考えなきゃいけない時期でした。『光』を作ることで彼女自身にも次の展開が見えた。」「『光』以降、レコーディングしてるニューアルバム収録曲も含めて、中心が常にヒカルなんですよ。今は最初から最後まで本人なんです。今までは大人たちがアレンジやサウンド作って、自分は作詞、作曲に専念して一生懸命歌えば成立していたんですが、全体にかかわろうと思い始めてきていますね。」(注4)
 「キングダムハーツ」とのタイアップについても、曲に対する注文を受けてのものではなく、基本的に自由に作らせてもらったという。「ものを作るときにこういうものを意識して書きなさいっていうのじゃなくて、なるべく自分の中に感じてるものを大事にしてほしいと思ってます。外部からのオーダーじゃなく今はオーダーは彼女が自分自身にする形にしてあげたい。」と三宅氏は語る。

 「Wait&See〜リスク〜」の頃から、宇多田本人もアレンジに参加するようになっていたが、セカンドアルバムでは、ボーナストラックとして、彼女自身がリミックスもディレクションも全て手がけた「HAYATOCHI-REMIX」という曲が収録されていて、のちにアレンジから全体にかかわろうとする流れが、その頃から少しずつ出来ていたことがわかる。
 もともと、彼女にとってはアレンジも、アレンジそのものへの興味からというより、曲作りと一体のものであった。「全部自分でアレンジもすべてやりたいっていうのじゃなくて、私の場合は曲作り、メロディ作りの延長で。“デモがないから自分で曲作んなきゃ”って感じで。曲作ったきっかけも、“うたいたいけどうたう歌がない。じゃ自分で作っちゃえ”って感じだったから。」と彼女は言う。(注5)

 オフィシャルHPのメッセージによれば、1人で準備するデモは「リスク」の頃からずっとコルグのTrinity/Tritonというシンセに内蔵のシーケンサーで作っていたらしいが、2001年の暮れごろからは、Digital Performer 3を使うようになっているという。「ほんとすごいんだ、弾いたメロディーを自動的に譜面にしてくれたり波長で表示してくたり、一音一音を無限に近い細かさでいじくれんの」(注6)と、かなり気に入って使っている様子がうかがえる。
 「ものすごく時間と労力がかかるけど、すごく楽しいみたいです。自分の作る曲とサウンドが、密接な関係にあることをめざしてますね。」と、三宅氏は言う。(注4)『うたマガ』編集長として、アレンジャーの河野圭氏に取材した梶望氏もこう語る。「この前、アレンジャーの河野さんに取材したら、データに絶対再現できない音とか入ってるんですって。それをそのまま使ってるんです。「ナイスまぐれ!」って彼女は言ってるそう(笑)。いくつもの音を重ねてますから、その結果生まれた音は再度作れない。独自のデータらしいけど、でもそれが一番その曲に合ってるって河野さんは言ってましたね。」(注4)

 河野氏は、こう言っていた。「すごい良い曲だと思ったんです。あの、難しいことをいえば、本人なんにも気づいてなかったですけれども、サビ中で微妙に転調してたりするんですよ、あれ。そういうのが不思議な感じに聴こえて、私にはすごく良い曲だなぁと。」(注7)
 河野氏によれば、「光」という曲について彼女から提示されたイメージは、「アンデス」なのだそうだ。「いや、山脈じゃないんだって。「じゃあ、山?」って聞いたら、「山じゃない」と。なんかね、色が「アンデス」なんです。」「「アンデス」って言ったって、人によって色々解釈が違うわけですから、俺の思う「アンデス」を何種類か、5種類くらいの「アンデス」っていうのを作って。で、それを摺り寄せていって。だから、僕が出すことによって、ヒカルちゃんが「あ、その手もあるね」って思うこともあるし、そうすると、こう摺りあわせて、こうなったのがたいてい商品になってるっていう次第でございますね。」(注7)

 この話は、今の宇多田ヒカルの創作活動が、多くの人とのコラボレートを通じて完成していってることを改めて確認できて、とても面白い。
 ゲームソフト「キングダムハーツ」と、テーマソング「光」とのコラボレートも、それぞれ独自に作ったものが最終的にピッタリ合ったものに仕上がっていることに、彼女はいたく感心して、こう言っている。「正しいことって言ったら変なんだけど・・・。いろいろあるパラレルワールドの中で、いちばんこう・・・進んでいくべき方向に進んでいるときって、全部がこうやって、うまくきれいに合っていくんだなあって・・・。」(注2)
 最近は、シングル曲のプロモーションビデオの制作や、他のミュージシャンのCD制作にも積極的にコラボ参加するようになっているが、それは、今の彼女自身の中に、「自分」というものが、確実に手応えとしてそこにあることを示していると言えよう。他者とのコラボレートは、他者と渡り合えるだけの「自分」がなければ、不可能だからである。


 注1 : 「WHAT's IN?」2002年6月号
 注2 : 「Gb」2002年5月号
 注3 : 「PATi PATi」2002年5月号
 注4 : 「sabra」2002 28th Mar.
 注5 : 「WHAT's IN?」2001年4月号
 注6 : オフィシャルHPメッセージ、2002年1月30日
 注7 : 「うたマガ」vol.5 2002年2月発行



□ 2002年06月14日
(矢島瞳)