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| <hikkiの森>宇多田ヒカルの世界 * traveling この曲の存在が初めて人々の前に公表されたのは、2001年10月9日の「生きてます!!!」と題されたオフシャルHPのメッセージによってであった。アメリカの同時多発テロ事件を受けて、米英によるアフガンへの報復の空爆が行われた翌日のことである。 テロ攻撃も報復攻撃も、どちらも全人類に対する攻撃にしか思えない、子供たちが、全人類が、21世紀が泣いている・・・という鮮烈な印象のメッセージにつづいて、今取り組んでいる新しい音楽についての強い意気込みを語ったものであった。 「今ね、私の中の音楽がすごいの。一曲一曲がすごく懸命。」と書き、「みんなで一緒に、私もまだ見ぬ、もっといい、素敵な世界へ辿り着ける、と願って、ただいまtraveling駅へ向かっております!」と、新曲「traveling」につづくニューアルバム完成までの確かな手ごたえを伝えてくれていた。 「traveling」の作品づくりの基本としては、「わかりやすさ」と「スピード」ということが重要な要素であったようである。 雑誌(注1)掲載のインタビューで、彼女はこう語っていた。 「なんかね、作り始める前から、わかりやすくて、楽しい、明るい曲を作りたいって思ってて」「元気になりたかったのね。私って自分の作ったのが歌詞にせよ、曲調にせよ、なんか実現しちゃうって言うか・・・」「冬が好きだしウキウキしちゃって。すごく冬っぽいのね。スキーをしてるスピードっていうのが頭の中にイメージとしてずっとあった」 作り始めはすごく複雑なコード展開になっていて、自分のビジョンとずれたものだったが、丸々1セクションをボツにして、コードをもっと簡単にしたら、「要素が多すぎて肥満気味だった歌が余分な脂肪分を捨て、コレステロールも血流から流し出され、すっきりスマートに」なったという。 このわかりやすさとスピードを生かした曲づくりが、この曲の、「何度聴いても聴き飽きない」安定感をもたらしている、と考えることはできよう。 「traveling」という曲は、制作段階で、「日本」というかなりくっきりしたテーマをもっていたようである。2002年7月3日に行われた鹿野淳氏とのロングインタビュー(注2)では、このように語っていた。 「特に“traveling”辺りでピークったあたしの目標っていうのが『最高の邦楽を作りたい!』っていう。『どうやっても良い邦楽っていう気持ちでみんな作っていこうよ!』て言ってたの。」 「日本」「和」ということをこの年のテーマにしたい、ということは、この年の年初めのメッセージ(注3)でも「今年は和を愛しむ年にするということで、ね!」と語っていた。 そのことは、「traveling」においては、祭囃子にも聴こえるリズムや、作中に「平家物語」の一節が引用されていることに、まず顕著に表れていると言えよう。 「登り」「隣り」「クラリ」というように韻を踏むと同時に、「風にまたぎ〜夢のごとし」と「波とはしゃぎ〜塵に同じ」の部分で見られるように、「平家物語」の文体の特徴である対句もまた取り入れているところも、なかなか凝っている。 「生きてます!!!」のメッセージと同じ日のスタッフダイアリー(注4)では、父親の宇多田照實氏が「traveling」のリミックス作業のためにパリに滞在していることを伝える文章が掲載されていた。長期のプロジェクトでパリに滞在しているエンジニアのGOH HOTODA氏をたずねて、少しでも早く新曲を完成させるため、米英の報復攻撃が始まる中、危険を押してのパリ出張だった。 「早く世界中の異なる文化・主義・主張を育みながら生きている民族が、お互いの生き方を尊重し合って争いの無い共存ができるようになることを心から願いながら、この情勢を注目しています。人類が良い進化を遂げるためにも。」という照實氏の言葉は、そのときの世界情勢にじかに向き合った人の実感として、深いものを感じさせる。 ただ、このときのリミックス作業は、結局ボツになったようである。 「うたマガ」でのインタビュー(注5)で、GOH HOTODA氏は、そのへんの事情を次のように語っていた。 「最初はミックスをパリでやってみようかってことになったんだけれども、テロになっちゃって、本人もパリに行けなくなっちゃって、そして三宅さんまでもテロで来れなくなっちゃって・・・。それでもやってみたんだけれども、本人の「邦楽をやりたい」って言う、そのメッセージだけが伝わって無くて、上手くいかなかったんですよ。それでグルリとテープが回って、東京で急遽ね、もう一度やり直すって言う事になって。でもその時には、パリでやってきたミックスはもうどうでもいいんですよ。これはなぜかって言うと、一番大事なメッセージって言うのが、「邦楽である」って言う事。彼女はこの曲を日本の中で作って、日本の皆に聴いてもらおうって思っていること。別にかっこ良くヨーロッパのサウンドって言うか、ヨーロッパの考え方を別にここに持ってくる必要は無いと。」 このGOH氏の言葉は、作品制作において、宇多田ヒカル本人の意向がどれだけ重要視されていたかを示すものである。 制作順では、「traveling」は、「光」のすぐあとに作られた作品で、「光」以降は、すべての曲が、常に彼女を中心にして作られている。アレンジャーの河野圭氏の話(注6)によれば、最初に彼女が作った「traveling」のデモテープでは、「とにかくキックが4発入っていた。「♪ドッドッドッドッ」というようなイメージがヒカルちゃんにはあったんですよ。で、『これハウスにしましょう』って話になって、ああいうふうになっていった」という。 アレンジやサウンド面だけでなく、全体的なテーマのようなものが、宇多田ヒカルの中からまず出てきて、それをスタッフ全体とのコラボレートの形で完成させる、という形態が徹底してできあがっており、そのことは、作品の制作過程の面でも「宇多田ヒカルソースどっぷり」のサードアルバムのパーソナルな作品づくりに大いに貢献したことは間違いない。 基本的なテーマが存在していることは、PV作品の制作にもそれが大きく関わっていることを、想像させる。それぞれがそれぞれのセクションで自分のベストを尽くして仕上げたものが、最終的に宇多田ヒカルという存在の元にかちっとまとまり、そこから、観る人の深いところにアピールするものに仕上がっていくのは、見事としか言いようがない。 のちに夫となるPVの監督の紀里谷和明氏の話(注7)によれば、「traveling」のPVは、当初はもっとファッショナブルなものになる予定だったという。それが、テロ事件以降、何が重要なのかを再認識させられながら作っていくことになったという。「子供にもわかるものを」という考えから、動物や植物の可愛らしいキャラクターが登場するわけだが、それがまた「ピンポンパン」や「銀河鉄道」や「アニメ」という別の側面の「日本」のイメージにもつながっていってて面白い。 作品のイメージは人それぞれであり、作品から直接受け取るべきものである。それを断ったうえで、私の感じたイメージをここに書いておくと、「traveling」の世界が伝えるものは、古来の日本の伝統や、現在の日本のアニメのイメージだけでなく、異質なものがともに共存して生きることができる未来の新しい世界をひらいてくれるものであるようにも思えた。PVに登場する赤い髪の少女は、その「楽園」へのガイド役であり、黒い髪の「裸のイブ」は、新しい世界を創造する女神を描いた絵画のようでもある。不時着した星に落とされた生命の種は、一瞬にしてその地にひろがり、美しい花々を開かせた。それは、「調和」に満ちた新世界である。 私は、そういう「調和」のイメージに、多種多様なものの共存を認めうる「日本人」の感性というものを強く感じた。 この曲の魅力は、そういったことを、まったく理屈抜きに、祭囃子に心躍らされる自然さで、胸に飛び込ませてくれるところであろう。 注1 : 「WHAT's IN?」2001年12月号 注2 : 2002年7月15日付けでオフィシャルHP「Hikki's WEB SITE」のNEWS のページに掲載(現在はGalleryのページのバックナンバーにある) 注3 : オフィシャルHPの2002年1月1日付けのメッセージ 注4 : オフィシャルHPの2002年10月9日付けStaff Diary 注5 : 「うたマガ」vol.3に掲載 注6 : 「うたマガ」vol.5に掲載 注7 : 「うたマガ」vol.4に掲載 □ 2003年01月06日(月) (矢島瞳) |
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