<hikkiの森>宇多田ヒカルの世界

* COLORS


 アルバム『DEEP RIVER』制作後は、アメリカでの作品制作に取りかかることになっていて、当初は、日本国内ではしばらくCDの発表はない予定だった。ところが、2002年9月6日の宇多田ヒカルの結婚発表のあと、いつのまにかメディアやファンの間で、結婚後の第一作は日本で出すという噂がひろがっていた。彼女はそのときはヨーロッパに新婚旅行に行っていたが、その話を聞いて、急遽シングルを出すことを決めたという。訪れていたフランスの片田舎でYAMAHAの安いキーボードを買い求め、旅先で作り始めたのがこの曲のはじまりだ。まず成り立ちからしてユニークな作品である。
 10月10日のオフィシャルHPのメッセージで、くずの新曲の話をして「私も負けない良い曲作る!」と言っていたが、それがこの「COLORS」であろう。

 まわりのリクエストに応える形で始まったものだが、いったん取りかかりだすと、彼女の意気込みはすごかった。このときの様子をスタッフはこんなふうに語っている。「時間的に無理だなとあきらめていたら、なんといきなりできたー!≠チて。あれはホントに驚かされました」(プロデューサー三宅彰氏)「でき上がったばかりのデモを会議で聴かせてもらったんですけど、聴いて聴いて!!って感じで、ものすごいプレゼンだったんです」(クリエイティブ担当梶望氏)「その会議の前日に大きなスピーカーのある部屋を用意してほしい≠チていう電話がきたくらいすごかった」(ディレクター沖田英宣氏)(注1)。休養のための長いブランクの間にたまっていた創作へのエネルギーが、ここで一気に吹き出したことが想像される、面白いエピソードだ。

 ここに至るまでには、彼女の内面には、何度も変化や浮き沈みがあったにちがいない。そのことは、オフィシャルHPのメッセージを読むだけでも、痛いほどに伝わってくる。
 アルバムプロモーションの仕事のキャンセルを決定してから5日後、2002年5月10日のメッセージでは、ファンやマスコミ関係者への感謝の気持ちと、休養することになるまでの経緯を、かなりの長文でそのときの彼女のせいいっぱいの心のこもった言葉で書いてくれていたが、おそらくまだこの時点では気持ちの整理はできていなかったはずだ。そのあと一ヶ月の沈黙ののち、6月上旬に近況を語るメッセージがあったけれども、そのあとまた沈黙が続き、7月1日に「光」の英語バージョン(「Simple And Clean」)のレコーディングを完了して、7月3日に鹿野淳氏によるロングインタビューがあり、8月24日にやっとまたメッセージが復活する。

 8月24日のメッセージは、「大変ごぶさたしております!宇多田光です!うんともすんとも言わなくて心配かけてごめんなさい。」という書き出しで始まり、宇多田ヒカルではなくまず「宇多田光」という名前で登場しているところが注目される。「シンプルな存在であること」の大切さを説き、最後に「宇多田ヒカル」の看板をよいしょとしょい直して見せた彼女は、そこからあらためて新しい場所へと歩み出していった。
 このときの感覚を彼女は「鎧(よろい)が取れた感じ」(注2)と言っていた。個人的なことで休まなければいけなくなって、宇多田ヒカルと宇多田光の間にあったワンクッションがなくなって、「どうすればいいの?」という混乱が起こっていたけれど、その状態が終わって看板をしょい直したときには、その看板は「前ほど重くないというか、ちょっと重力が減った感じのいい具合」になっていたという。

 『UH3+』収録の「Deep River+」の散文詩の存在は、さきほどの8月24日のメッセージで初めて公表された。おそらく、このメッセージが書かれる少し前に、散文詩が出来上がっていたのだろう。長い休養期間中、一人になって彼女が自分自身を見つめ直していたものが、この散文詩となって結論を得、ここでひとつの区切りがついたと考えられる。
 彼女はこんなふうに語っていた。「「Deep River」のビデオ自体もそうだけど、(クリップ集のみに収録されているプロローグの)散文詩が、たぶん私の内面の最も素に近い、見せられる次元での底だと思うのね。で、あれを聴いた人の中にはこれだったら、ただ自分に向けて書いて、あえて発表しなくてもいいんじゃないですか≠チて人もいたんだけど・・・。ま、あれはあれで私にとっては必要なことで、当時は勇気が必要な行為だった。」(注3)この散文詩が「内面の出せるものの極致で・・・それは理解して≠ニかみんなにもわかるもの≠ニかいう考えが一切ないところの限度」だとしたら、「COLORS」は、「あっそうか!ここに戻らなきゃいけないんだ!」ということに気づいたもう一方の極致であるという。両者が「振り子のおもり」のように対極に振るイメージが彼女の中にあったようである。
 ディレクターの沖田氏は「あの散文詩は彼女なりの『DEEP〜』のケジメだったと思う」と推測し、プロデューサーの三宅氏は「次の作品をつくるためのブリッジだった」と位置付けている。(注1)「COLORS」は、「自己の内面を深く見つめ直した地点」を経て、もう一度「他者と触れ合う場所」に戻ってきた作品なのである。

 「COLORS」の歌詞は、いつもよりかなり早くに出来て、歌入れ4日前には仕上がっていた。ところがそれを書いた次の日仮歌を入れたのを聴いて、どうも問題点を感じた。「ハードだなって感じはすごくするんだけど、どこか“聴くほうにフレンドリーで無さ過ぎる”っていう感じがして。なんか届かないというか。で、半分ぐらい書き直しちゃったの(笑)。改めて見て“あ、そうか!もうちょっとみんなと話をしたいのよ、っていうところに戻ってこなきゃいけないんだ!”」(注4)と気付いたという。この作品に向かう彼女の姿勢がうかがえる貴重なコメントだ。

 「COLORS」は、DVDシングル『COLORS』で、創作過程の一部がビデオで公開されていて、宇多田ヒカルの作品がどのようにして出来上がっていくかが一般の人にもわかるような形になっている。これは、今までにない新しい取り組みであり、みんなと話をしたがっている彼女の気持ちに沿ったものと言えよう。CDジャケットのバックに創作ノートの落書きを入れるなど、手作り感覚を大事にしたところにも、同様の意図が感じられて親しみがもてる。

 自分で作った音をひたすら聴いて、歌詞を考えているときに彼女が思ったのは、「勇気が出る歌がいいなぁ」(注5)ということだった。「勇気って何かをすることだったり何かを変えることだったり・・・って、またひたすら考えてたら色≠ゥな、と。音楽も色も気分を変えるものとしては同じようなものなわけで。あぁそうか、気分や心境を変えるってことは、自分から少しずつ何かをやっていくことなんだよなぁと思ったんだよね。」
 毎日が思い通りにいかないとか、世の中が好ましくない状況にあるとか、日々そういう不満や不安を抱えているだけでは、何も変わらない。自分から行動を起こして何かを変えていくことが大事なのだ。
 雨の日でも、その天気に左右されるだけじゃつまらない。傘一つで気分は変わる。「いつもレコーディングするスタジオの隣のお店に、外は黒いんだけど開くと中が青空の絵になっている傘があって、そういうのっていいよなって思ったのね」「まず自分を応援しろ、みたいな。その応援するものが、歌では青い傘とか闘牛士のマントみたいなやつとか・・・ね。青い空に勇気をもらえるんだったら、自分である程度まで環境変えられるんじゃないかなって。」(注2)これらは、自分で自分をとことん見つめて、そこに至った彼女の言葉だからこそ、説得力がある。
 「塗り絵って大きくなったら全然しなくなっちゃうけど…好きな色に何かを染めていくっていうのはすごい行為だと思うの。」(注6)と言うように、「自分で色をつけていく」ことが、この曲のメッセージなのである。

 「COLORS」のPVは、イギリス在住のドナルド・キャメロン氏が監督をつとめた。彼とは本来なら「光」の時に一緒に仕事をすることになっていたけれど、そのときはスケジュールが合わず、「COLORS」で、やっとそれが実現した。
 「COLORS」の歌詞は、よく見ると英語の部分がまったくない。これについて彼女は、ドナルド・キャメロン監督が英語の歌詞でイメージを限定されないように、「自分の中で日本語詞を意識していたかもしれない」(注7)と話していて、とても興味深い。いかに彼女が彼とのコラボレーションを楽しみにしていたかがわかると同時に、新しい作品を作るからには、必要以上にイメージを限定させず、監督独自の個性を生かしきったものにしてほしいという考え方も表われている。
 出来あがったPVは、期待通り、これまでのPVとはがらっと変わった印象の仕上がりになった。それでいて、全体の大きなテーマには、宇多田ヒカル本人の考え方も見事に生かされている。歌詞が出来る前の曲を作る段階からその曲の世界をビジュアル的なイメージで見ることができる彼女の創作方法は、PV作品とのコラボがとてもやりやすいのではないかと想像される。
 「COLORS」では、彼女自身がもっとも気に入っているイントロ、間奏、エンディングの部分にポイントが置かれている。PVのメイキングによれば、この曲で彼女は、エンディングに向かって大きな自然をイメージしていて、遠くの方から嵐が近づいてくる予感をしながら、そこに向かって行ってる感じを想像していた。曲のミックス担当者にも全てのサウンドを「水平線に向かう感じで」作るように指示していたという。この明確なイメージは、監督にもうまく伝わっていたようだ。
 イラストという人工物で始まった物語は、エンディングで本物の自然の波や雲に至る。赤い服を着てエネルギーを内に輝かせ動きを抑えて歩く姿と、黒い服で風を受け内的なエネルギーを解放させて自由に動き回る姿との対比・・・。自分の中から何かを解き放っていく「内面の旅」を描いているのが、楽曲のテーマとよくマッチしている。PV作品として見る人それぞれが自由に楽しめる独立した魅力を持ちながら、充実したコラボレーションとなった。

 全米デビューに向けて、宇多田ヒカルは、また新しいチャレンジを始めている。
 「たぶん、何ヶ月かは宇多田ヒカルの作品は出せないと思うし・・・。でもまた日本に戻ってくるんだけどさ。だからこの1曲はね、尻切れトンボみたいにならないような、ある程度の「完結感」っていう気持ちがあるから、このシングルはアルバムか!?ってくらい、ピンでOK!みたいな曲。その目的は果たしたと思う。うん。できることはやった!!」(注3)
 アルバム級の内容を持つ「COLORS」を完成させ、いよいよ彼女は、Hikaru Utadaとしての活動に向かった。


注1:「CDでーた」2003年2月5日号
注2:「TVガイド」2003 1/25−1/31
注3:「ザッピィ」2003年2月号
注4:「ミュージックプレス」2003.02−03 vol.3
注5:「WHAT's IN?」2003年2月号
注6:「du-upマガジン」2003.03.05号
注7:「ザッピィ」2003年4月号



□ 2003年08月01日
(矢島瞳)