<hikkiの森>宇多田ヒカルの世界

* For You


 セカンドアルバム『Distance』に収められている「Addicted To You」と「For You」の二曲は、イントロ部分にプツプツというアナログレコードのノイズのような音が入っている。クラッシックな手触りと深みのあるアレンジが、歌詞の「内省的」なイメージと静かに溶け合って、心にしみる。

 「For You」は、宇多田ヒカルの世界を理解するのには欠かせない重要な曲だ。「個を尊重すること」と「ともにあること」との葛藤が、ひりひりするような哀感をもって表現されている。

 「孤独」ということについて、彼女は、単に「さみしい」とか「ひとりぼっち」とかいうような意味付け方をしない。自分以外の相手を求める気持ちがあってこその「孤独」であり、自分の存在を確かめるための「孤独」でもあるのだ。「一人じゃ孤独を感じられない」という表現には、「孤独」をある意味肯定的にみるニュアンスも含まれている。

 「Wait&See〜リスク〜」の頃から、彼女の考え方には、「作用・反作用」あるいは「陰と陽」というような、二つの概念の相対的な関係からものごとを見るやり方がよく出てくるようになっている。たとえば「悲しみで教えてくれた喜び」という言葉も、「うんと悲しいことがあってはじめて、何が喜びなのかもわかってくる」というような意味だろう。同様に、「孤独」も、相手を思う気持ちの裏返しとして感じられるものなのだ。

 彼女の歌の世界では、べたっと相手に寄りかかる関係ではなく、それぞれが互いに独立した「個」をもつ姿をまず求めている。しかし、かといって「個」と「個」が互いに没交渉でクールに生きていく(実際そんなのはありえない)のとは違う。相手を必要と思い、自分を理解してほしいと思う、そういう思いが自然と存在していることにも、正直になろうとする。・・・そこに葛藤が生まれる。
 「For You」では、「傷つけさせてよ 直してみせるよ」というフレーズが出てくる。痛いくらいにストレートな言葉だ。「個を守り」同時に「ともにあろうとする」人の究極のあり方――深くかかわることで相手を傷つけることになってしまったら、自ら責任をとる、すなわち、その「傷」を自分も共有しようというのだ。そうまでしてともにありたいと願ったその背後には、どれだけ底深い孤独感が広がっていたことだろう。

 この曲をつくった背景には、アーティスト宇多田ヒカルとマスコミやリスナーとの「距離感」というものもあったはずだ。自分が意図したものとは違った受け止め方をする人たちの存在・・・。しかし、彼女は、思いの通りに理解されることはもう求めていない。ほんの少しでも、それぞれの人のどこかに響き合うところがあれば、それでいいと気付いたのだ。
 理解されない部分は、お互いにとっての「孤独」として残しておく。孤独は、同じ孤独を感じる人には、おのずから響く。いつかそれを知りたいと思う人があらわれた時に、距離は縮まっているかもしれない。

 ここで、「自分の為にだけ歌える歌」があっても、そんなのは「覚えたくない」とするあたりが、宇多田ヒカルの表現のするどいところだ。ふつうなら、「歌いたくない」とするところだが。一回かぎり機械的に歌うだけなら、気持ちがこもってなくてもできるかもしれないが、愛着をもって覚えるとなればそうはいかない、ということであろう。歌というのは、人の間で、時間の流れの中で、繰り返し歌われるものなのだった。
 この曲以後、彼女自身も、プロのアーティストとしてやっていくことの彼女なりの意味を、理解し始めたのではないだろうか。



□ 2001年10月23日
(矢島瞳)