<hikkiの森>宇多田ヒカルの世界

* サングラス


 「サングラス」は、セカンドアルバム収録曲の中でも、特に味のある作品だ。何重にも音が重ねられ、実に丁寧に丹精こめた音作りがされている。聴き込むごとに、宇多田ヒカルのボーカルも深みを増して感じられる。
 リスナーには、明るい曲調の「DISTANCE」や、インパクトの強いシングル曲に比較すると、最初はつかみどころがなく感じられるかもしれない。この曲を理解するには、リスナーの側にもある程度、曲と向き合うためのエネルギーと時間が必要になるだろう。

 セカンドアルバム『Distance』は、全曲の歌入れだけで300時間、音と歌で2000時間をついやして作られたという。メインのボーカルだけでも大変だが、宇多田ヒカルの場合は、コーラスも全部自分でやっているので、さらにハードな作業となる。昼ぐらいからまずメインのボーカルを録り、他の作業をしているあいだ1〜2時間休んだあと、夜になってコーラスを録る。コーラスが三声になるところは、一声ずつ4回全く同じふうに重ねなくてはならない。そうすることによって、やさしい包み込むような感じが出るのだという。「『サングラス』という歌はキーも高かったし死ぬかと思ったな」。雑誌のインタビューで彼女は、このときの苦労をこう語っていた。(注1)

 曲全体を包むやわらかい空気感は、心のふるえを表現した歌詞とも見事にマッチしている。歌の中に4回出てくる「pretender」の部分の微妙な音程の取り方も、とても印象的だ。なるほど、改めて聴きなおしてみれば、この歌には、こういう繊細な表現以外には考えられない、と思えてくる。

 「サングラス」の歌詞の内容を考えるとき、私には「弱さの肯定」という言葉が浮かぶ。今まで強がって無理していた自分を、もう一度見つめなおそうとする姿がそこにある。「pretender」とは「フリをする人」、つまり、本当は臆病なのに、意地を張って強がっているような人のことだ。「ただ悩みが自慢じゃない」とは、「私はこんなに悩み苦しんできたのだから、きっと誰より強くなれるはず」と思い込もうとしていたということであろうか。それを自慢するしかないくらい、弱いところもあるというのに。
 自分を理解してもらえないと感じたとき、表面を取り繕い笑ってごまかしたり、本当はつらいのにわざと平気なふりをしたりする、というようなことは、誰にでもよくある。人とぶつかって、エネルギーを消耗したり、気まずい空気が生まれたりすることが面倒だからだ。
 しかし、フリをして装っている限り、人と正面から向き合うことはできず、関係は進展しない。理解への努力がお互いになければ、いつまでたっても一人は一人のままだ。
 そんなのはいやだ。・・・ここではそう気付き、ありのままの弱い自分を認めるところから再出発しようとしているのである。

 自分に正直になれば、どうしても人と違う部分を発見する。孤独を感じることも多くなる。しかしその孤独の部分こそが、自分にとっては大事なものだったのだ。そこで、彼女が選んだ選択は、同じ孤独を知る者同士の心の触れ合いであった。
 「こころにかざし合う 影だけで触れ合える 誰かが私にもいる 今日めぐり逢う」
 まるで蝶が羽根を寄せ合っているような、この美しい表現こそが、この作品のエッセンスと言えるのではないだろうか。

 爆発的に売れたファーストアルバムに愛着あるリスナーには、アーティストとして成長し、進化していく宇多田ヒカルの新しい音楽は、どう受け止められるだろうか?・・・自分の作った作品を理解してもらえるだろうかという不安と、理解してもらいたいと願う気持ちの間で揺れながら、彼女はまず自分に正直になろうと決めた。時にはあえてわかりやすさを排してでも、自分の心に忠実に作品を作ろうとした。その上で、一部でも理解してくれる人がいて、その人と心の触れ合いを持つことができれば・・・。想像だが、セカンドアルバム作成の時の彼女の気持ちは、そんなふうではなかったかと、私には感じられた。
 次は、リスナーが、自分と向き合い、孤独と触れ合う番である。

   * (注1)「R&R NewsMaker」2001年5月号参照





□ 2001年11月05日
(矢島瞳)