<hikkiの森>宇多田ヒカルの世界

* Eternally


 「Eternally」は、セカンドアルバム『Distance』で一番最後に完成した作品である。
 2001年3月24日に放送されたNHK総合テレビの「true secret story」という番組の収録は、ちょうどこの曲のレコーディングが完了した翌日のことだった。2001年1月、ニューヨークのレコーディング・スタジオ「The Hit Factory」を訪ねた久保純子アナウンサーを、前日に歌入れしたばかりのその部屋に案内した宇多田ヒカルは、笑顔でレコーディングのエピソードを語っていた。部屋の中には、レコーディングの際使われた「Eternally」の歌詞カードが残ったままで、手書きのその歌詞カードは、最後のところに書き足された跡があった。レコーディングが始まってからも、歌いながら歌詞を考えていたという。この場面は、彼女が最後まで納得のいく作品にしようと努力を続けていたことが伺えて、実に興味深い映像だった。
 オフィシャルHPの書き込み(注1)を見ると、当初はこの曲は、1月20日にレコーディングして終了するはずだったが、歌詞が納得いくものに仕上がらず、完成が大幅にずれ込んでしまったらしい。スタッフを待たせながら、スタジオで歌詞を考え直すというような形になったのは、初めてのことだった。そうまでして歌詞を練り上げたのは、この曲が、アルバム全体のテーマを締めくくる存在として重要なものだったからにちがいない。

 「Distance(距離)」に、「空間的」な距離と「時間的」な距離とがあるとするならば、「Eternally」は、「時間的」な距離を中心に扱った作品と言えるだろう。構成としては、アルバムでの一つ前の曲「ドラマ」と対になっている。  雑誌「WHAT's IN?」のインタビュー(注2)で彼女はこう語っていた。少し長くなるが、重要な部分なので引用しておこう。
 「最初プロデューサーの三宅さんがテキトーに設定してきた曲順では、このふたつの曲順は逆だったの。でも、“それは違うんだ。先に「ドラマ」が来なきゃいけないんだ”って言って。それで三宅さんも納得してくれて曲順が決定したんだけど。「ドラマ」はTAKURO(GLAY)さんと5分ぐらいで作っちゃった曲なの。歌詞もパソコンで書いてるうちにすぐ出来ちゃって。これ書いてる頃って、永遠と一瞬の差っていうか、時間に対する考えがわかんなくなってる時期で。で、「Eternally」はアルバムの最後に書き上げた歌詞で、永遠と一瞬に対するモヤモヤ感を消化してそれを受け入れられるようになってて。「ドラマ」で始まったロックな、“なんだよー!?”みたいな気持ちが「Eternally」で一段落した感じだったから、順番はやっぱ、「ドラマ」→「Eternally」なんだよね。」
 ここで出てくる「永遠と一瞬」という言葉は、重要なキーワードである。これを理解することは、「Distance」という概念で宇多田ヒカルが形にしようとした世界観を理解することであり、セカンドアルバムをリスナーに届けるにあたって、彼女がたどりついた思いを理解することでもある。

 「永遠」「一瞬」と言われても、その言葉だけを見ていては、まったくその意味はわからないが、雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビュー(注3)で彼女は、そのへんについて、核心に触れる話をしている。それが、ここでは大きなヒントになるであろう。
 「800万人の人感動させるのも、1人の大事な人を感動させるのも、癒すのも?――まあ、ある意味、同じ実りじゃないかなあと」
 「歌詞の中でも一瞬とか永遠て凄い考えたんだけど、そういう事なのかなと思って。」

 ファーストアルバムが爆発的に売れ、800万人以上の人が彼女の音楽に感動したとして、では、宇多田ヒカル本人は、その800万人の求めるものを相手にこれからも歌を作り続けていくのかといえば、それは、「NO」なのである。彼女は彼女自身の人生を日々新しく生きていて、彼女にとってその時最も大事なものを追求していくなら、どんどん先へ進んで行くしかない。当然、過去の作品に愛着を感じるファンの思いから、距離ができてしまうこともありうる。
 「ドラマ」では、そのことで悩み混乱した時期の彼女の心理が表現されているように思える。「同じ舞台に長くはいられない」「連れていけない」というのは、リスナーと自分との距離を歌っているようでもある。ここでいう「永遠」とは、すべてを含むひろがり、つまり800万人の人すべてとともにあることの出来る時間であろうか。しかし、それは800万人すべてをまとめて相手にしようとすると、「明日まで」「今だけ」の短いあいだで過ぎていく。みなが同じ思いでいられる時間は、限られているのだ。
 彼女がそこで求めたのは、「愛だけの愛」だった。それぞれ考えはちがっていても、好きな相手を純粋に思うその純粋さは同じだ。ひとりひとりのリスナーが、みな宇多田ヒカルのことを純粋に好きだと思うその「愛」で、彼女とつながれる、ということなのだ。
 「Eternally」では、「いつまでも側にはいられない この瞬間だけはずっと永遠に」「あの場所に帰れなくなっても 今の気持ちだけはずっと永遠」とある。
 ひととき同じ気持ちになれて、深い感動につつまれた二人の思いというのは、時を経て離れることになったとしても、その感動を胸に残しているかぎり、いつまでもともにあるのと同じことなのだ。「感動」とは、「一瞬」と「永遠」を同時に感じたときにあらわれるものだろう。

 800万人の人を感動させるのも、一人の大事な人を感動させるのも、同じ実り。そう語った彼女の言葉は、本質をついている。
 彼女のメッセージは、たとえ何百万人を相手にしていても、その一人一人に向けて発せられている。そう考えるならば、彼女は自分のもっとも伝えたいメッセージをもっとも伝えたい「一人に」伝えるつもりで発すればいいのである。それは、誰にも縛られず、誰ともつながれる自由な関係だ。大きな塊に向けたものでなく、聴く人一人一人との心の対話になっているからこそ、聴く人の孤独にも働きかけることができるし、彼女自身もまた一人の人間として成長していけるのである。

 アルバム『Distance』で形にされたテーマは、「FINAL DISTANCE」という作品で、最高のレベルのものとして結実した。そこで宇多田ヒカルの音楽の第一ステージはひとまず完成したと言っていいだろう。これ以降は、そのテーマをベースにさらに視野をひろげた第二ステージだ。「traveling」は、その幕開けの作品であった。
 今年のはじめの「non-no」のインタビュー(注4)においても彼女は、9月11日のテロ事件にも関連させて、一対一のつながりの大切さを強調していた。そして、最後に今年の目標として、「とにかく今のこのアルバムまでたどり着きたい。で、みんなも一緒に連れていきたい。聴く人をムラなくすき間なく、すっぽり包めるような厚い音を作っていきたい」と語った。「ドラマ」で「連れていけない」と歌っていたのが、今は「連れていきたい」となっているのが、たのもしいではないか。 
 お互いの間に「距離」があっても、それを含めてすっぽり包み込むものがあるなら、それはなんとすばらしいことか。それこそ「愛」の感覚だ。世界が大きく揺れる今、この「愛」の感覚を広げていくことが、何よりも大切だと感じる。


注1:2001年1月19日、23日、26日の書き込み参照。
注2:「WHAT's IN?」2001年4月号
注3:「ロッキング・オン・ジャパン」2001年5月号
注4:「non-no」2002年 No.2、3(新春特大号)



□ 2002年02月09日
(矢島瞳)