ベールスプリング
ペンチだペンチ

 シマノML-1というスピニングリールがあった。僕が中学生時代に使っていたリールだ。それまで持っていた安物リールとちがって、5.25対1のギアは飛び切りハイスピードだったし、ボールベアリングは2個も入っていた。275gの自重は「ルアー用リールは300gが標準」とされていた当時の入門書からいって、超軽量に思えた。

 おまけに当時BMやバンタム100で高い評価を受けていたシマノ製である。当時の僕には宝物だった。


 しかしじつはこのリール、たいへんなリールだったのである。


 実質5日くらいの釣りでベールスプリングが折れてしまうのだ。釣具店に修理に出しても、ほぼ同じくらいでまた折れる。自分で直そうとスプリングだけ5本取り寄せたが、ついにぜんぶ折ってしまった。

 なんたってBMやバンタム100がアブ・アンバサダー並みの評価を得ていたシマノのリールである。これは「日本のカーディナル」のはず……なんでやねん。20年前の僕は途方にくれていたのである。


 時は流れ1988年、当時そのシマノに入社してしまっていた僕は、日吉産業から移ってきた「リール界の生き字引」原健士さんに釣り具業界の裏話を聞かせてもらっていた。そんな話のひとつである。

 日本の大手総合メーカーO社は70年代、米国ゼブコ社とOEMの関係があった。原さんの日吉産業もゼブコと関係があったから、三者でアメリカの海釣りに行ったことがあった。

 しばらくして、O社の社員がバラクーダを釣り上げた。これを見たゼブコスタッフは血相を変えてこう叫んだ。

 「ペンチだペンチ! 誰かペンチを持っていってやれ!」

 あとで原さんが「なんであんなふうに叫んだんだい?」と聞くと、ゼブコのスタッフはこう答えたそうだ。

 「あいつらは釣りを知らないからさ。だからバラクーダの歯が危険だなんてことも知らないはずさ。だからペンチを持っていってやれって言ったんだ」

 ゼブコがこんなふうにO社をばかにしていた理由はこうだ。

 当時O社のスピニングリールのベール開閉耐久規格は、2500回だったのだ。これはゼブコから見たら決定的に少なかった。

 たしかにいま僕が考えたって、少ない。時計を見ながら投げてみるとわかるが、普通のルアー釣りで1投あたりの時間は1分くらいである。これで1日8時間釣ったら、それだけで480投することになる。すなわち2500回保証のスピニングリールというのは、せいぜい5日の釣行しか保証できないということだ。

 これをゼブコは「不十分だ。もっと上げろ」と主張したが、O社は「これでいいんだ」とゆずらなかったそうだ。当時O社は日本国内で絶対的な地位を誇っていて、それがこういう変な自信(?)につながってしまっていたようだ。

 ゼブコは数ある欧米ブランドメーカーでも、実釣主義の会社だった。たとえばラインをいためないラインローラー形状を追及するため(だけ)に、ラインローラーを固定したスピニングリールを持って、フロリダへスタッフそろって釣りに行くほどだったという。

 そんなゼブコから見たら、ベール耐久性を2500回でいいと言い切るO社は「釣りを知らない」ということになったのだ。

 でもこの話を聞いた僕は思わず言ったものである。

 「でもね原さん、おなじころ(つまりML-1のころ)のシマノは3000回だったんですよ」

 すると原さん、苦笑いしながらこう言った。

 「いいじゃないの、500回も多いんだから」

 そういうレベルの問題じゃないと思うんやけど……。

 ところで、こういう仕事をしていた者が、こうして規格を書いてしまうのは本来してはならないことかもしれない。しかし10年以上も昔のことで、規格もいまとは大きく違う時代のことゆえ、ご容赦いただきたい。現在のベール耐久規格はもちろん書けないが、桁が違うことはたしかである。


 現在のスピニングリールにこんな問題はない。80年代中ごろから普及したコイル式ベールスプリングのおかげだ。ML-1のベールスプリング(トーション式)が折れたのを見て僕は「なぜコイルにしないのだろう」と思っていたが、これは特許の関係だったらしい。人間考えることはみなおなじだったようだ。また、このころから研究が進み、トーション式スプリングでも、巻き数を増して十分な耐久性を持たせたものが作られるようになった。

 いまでこそ世界一の信頼性を誇る日本製リールだが、かつてはこんな時代もあったのだ。


 それにしてもML-1は罪なリールである。こいつのおかげで当時「金属疲労」という言葉も知らなかった竹中少年は、機械や金属に興味を持ち、機械系の学校に進んだのち、7年後シマノに入ってしまったのだから。

(2001年発売週刊釣りサンデーより)

【筆者による6年後の解説】

■はじめて雑誌連載になった「モノ語り/マイナーリールの紳士録」に続いて連載された「パーツは饒舌」のうちのひとつです。

■「ルアー用リールは300g」というのは、入門書がカーディナル44やミッチェル300あたりを基準にしていたのではないかと思います。単行本から情報を得るのですから、その時点でも遅れた情報だったと言えそうです。現在のネット社会との差を考えると隔世の感があります。

■文中に登場する「O社」はオリムピック釣具のことです。文中に「大手総合メーカー」とあるのでわかると思いますが、大森製作所ではありません。

■「O社をばかにしていた」の部分は雑誌掲載時、「見下していた」に変わっていました。大阪の人(週刊釣りサンデーは大阪の会社)に「ばか」はきつく聞こえるのだそうです。今にして思うと「見下す」のほうがきついような気がしますが・・・。

■このサイトをよく見ている人の中には「桁が違う」規格を持っているのに、「Broke? Broken?/ベールの破損」のようなことがなぜ起きたのか?と疑問に思う人がいるでしょう。特に私は入社前にもベールワイヤを折ったことが1度ならず(ML-1はベールスプリングだけでなくベールワイヤも折れましたし、カーボマチックはスプリングより先にベールワイヤが折れました)あったわけで・・・。このあたりからも私がどんな社員だったかがうかがい知れるわけです(おい!)。

■「BMやバンタム100がアブ・アンバサダー並みの評価を得ていた」というのは当時の雑誌でもっていた印象だったのですが、実際追い越しちゃったんですから、間違ってはいなかったのですね。いまはバリバリの反日分子(笑)ですが、けっこうバンタムが出た中学生ころは国粋主義者でしたね。

■でもバンタムは持っていませんでした。ベイトなんて高いものは子供が持っちゃいけない(不良になっちゃう)と思っていたのです。へんに分をわきまえた子供だったわけで・・・。このときバンタム100を手にしていたらどうなっていたのかなと思います。

■上に「2001年発売週刊釣りサンデーより」とあって、正確な日付がないのは、掲載号が紛失していたから。この回だけでなく「パーツは饒舌」の載っている号は半分も残っていませんでした。連載が終わったころ「いまいちやったなあ」と思った記憶があったので、あえて残さなかったようです。でもこの回をあらためて読むと、けっこうおもしろいような気もしました。どんなもんでしょうか。

■私は壊れちゃうMLのおかげで機械に興味を持ちました。でも、いまの子供たちはこういう興味の持ち方はできないでしょう。それどころか、いきなり親しむ機械が携帯やらパソコンでは、仕組みに興味を持つ余地もないでしょう。これが日本の技術が衰退していく原因に・・・というのは考えすぎ?