本当の川の姿を語り継ぐ
恩田俊雄さん

■郡上八幡で「本流釣り」を確立し、サツキマス釣りの名人として知られる恩田俊雄さん。長年にわたって川を見つづけてきた者が知る川本来の姿とは。そしてその川はいま……■



 「カメラの前で釣って見せるなんてのは、本当にきびしいんや。あんなこと、3日も4日もやらされたら、責任感でな……」

 長良川では10年ほど前、河口堰建設が問題になっていた。恩田俊雄さんは、長良川が注目を集めるとともに、雑誌や新聞、テレビなどのメディアに登場した。中でも幻の魚サツキマスをテレビカメラの前で釣り上げたのは、いまも印象に残っている。

 サツキマス釣りの第一人者として知られる恩田さんだが、やはりカメラのプレッシャーは相当なものだったようだ。

 それでも恩田さんの訴えたかったこととは……。


 “釣れんもの”だった魚を釣る

 岐阜県郡上郡八幡町は長良川上流に位置し、一大支流吉田川との合流点にひらけた町だ。吉田川は長良川とともに清流として知られるアユやアマゴの名川である。

 恩田さんは、その郡上八幡のサツキマス釣りの名人として知られている。サツキマスとはアマゴの降海型だ。本州で唯一本流にダムのなかった長良川は、この魚が自然のままのサイクルで遡上する川として知られていた。

 恩田さんはサツキマス釣りを確立した人である。

 「わしが釣るまではサツキマスは“釣れんもの”やった。漁師が夜網で捕るものやった。釣ろうと思う者がおらんかったんや。釣れてしまうと困る。糸が切れる。高価な竹竿が折れる。わしが最初に釣ったときにも、竿は2ヶ所で折れたでな。竹は折れても皮がつながっておるから、なんとか上げたのやが」

 最初、アマゴを狙っていて掛かってしまったサツキマスだったが、その後竿を郡上竿にかえるなど研究していく。恩田さんはこの魚を0.6号の糸で上げるという。


 川を真っ黒にした天然アユ

 かつて長良川は豊饒だった。春になると大量の天然アユが遡上した。
 「前は川を真っ黒にして、アユが遡上したもんや。こう、わーっと黒い雲みたいに動いてくんを、みんなで橋の上から見たもんや。4月にアマゴを釣っとると、足元を黒い塊が上っていくんや。アユは岸ぞいを遡上するんやな。一番上のやつなんか、水面から出てしまっとるくらいやった」

 88年の河口堰着工後、全国的な反対運動が起こり、恩田さんもこれに加わることになる。

 「(当時の建設省は河口堰を)簡単に作れると思っとったようやな。それが、意外に反響が大きくなった。私らが反対に立ったもんで、びっくりしたようや。河口堰っていうのは、ここだけの問題やなかった。相模川の人も来た。いままでは建設省(現国土交通省)のいいなりやった。反対もできなかった。それが、河口堰ではじめて反対運動ができた」

 しかし保守的な地方において、これは大変なことだった。

 「どうなるかと思ったよ。政府に弓引くっていうことやから。田舎の人はとくにそうや。反対運動なんかして、地元が不利になると、そういう認識やった。」

 反対運動にもかかわらず河口堰は完成。95年に運用が開始され、川は大きく変わった。

 「川が黒くなるほどアユが上ってくるようなことはなくなった。遡上の密度が悪いのはまちがいない」

 恩田さんは、この問題は終わっていないという。

 「いまは、昔の川を知らん人ばかりや。昔こんに(アユやマスが)押し寄せたってことを知らんのや。そういう人は、いまの川を見てあたりまえに思ってしまう。河口堰の問題はいつでもとりあげてもらわんといかん。影響は永久にある」


 失われていく「水の街」の伝統

 初めて訪れた者の目に、吉田川や長良川はいまでも十二分に清流である。しかし恩田さんは言う。

 「流域に住む人たちの川がきれいやとか、きれいにせなあかんとか、そういう意識が消えてしまったな。前は各家の前に水路があった。そこにおのおのいけすを作ってコイを飼っとった。台所からの排水をそこに通すと、コイが残飯を食べる。そのぶん水がきれいになるし、そのコイも、非常食として食べられる。自分たちの食べるコイやから、自然にそこに流す排水にも気をつかったわけや。でももういかんわ。道の拡幅で、水路をふさいでしまったんや。吉田川の水は、飲めた。あの、ニュースの……久米宏さんか。あの人にも飲ませたんや。でも、いまはもう飲めん」

 10年位前の「ニュースステーション」での一場面だ。


 昔は……と言わざるを得んのや

 サツキマス釣りで有名な恩田さんだが、ここ何年かサツキマスは釣っていない。

 「いままでは釣ってうれしかった。人が釣ったことがないものを釣ったということで、釣り人としての誇りを持った。でも数が少なくなったサツキマスを見て、できなくなった。吉田川でも、いっぱいあった産卵床が、あそことあそこというくらいになってきた。だからいまは、保護のほうに気持ちが動いたな。クラブのもんが釣ってきたマスを、井戸水を引いた水槽で生かして、(禁漁になる)10月に川に返したこともあるよ」

 なんだか昔はよかったという話ばかりになる。しかし恩田さんは言う。

 「昔は……と、言わざるを得んのや。これからどうなるかという心配が、昔の話をさせる。いままだ(魚が)おる、おるでだいじょうぶやと思って汚したら、すぐに汚れてしまう。岐阜の人は、自然がそう簡単に変わるかという気持ちがある。わしはこれから50年先の世代はどういう世界で暮らすのかと思うよ。天然の水がなくなって、みんな加工した水を飲んでいるんやないかと」

 この「水」へのこだわりは、戦争体験によるものだ。

 「大陸の水は飲めん。泥水を煮沸したものを、1日水筒1本やった。煮沸せんかったら、一発で赤痢や。いまの人やったら、あの水で殺せるんやないかな」


 清流で釣る誇り

 現在の郡上の渓流釣りはどうなっているのだろうか。

 「ぴかぴかの1匹。充実した魚が1匹。1匹の価値のある魚が釣りたいとみんなここに来る。釣った魚がきれいやとか、清流で釣ったということに誇りを持つんやな。清流で釣りをした人しかわからんことや。さっき店に来とった人も釣り客やったんやが、産卵するアマゴが見えたってことだけでも喜こんどるでな」

 数を競うのではなく、1匹の価値を見出す方向に進んでいるようだ。

 「川がきれいやと、入った人が、はや気持ちが違うんやな。大事に釣るし、川が大事になってくる。1匹釣るのが目的、出会いがあるかどうかや。いまでも谷へ入ればたくさん釣れるよ。でもここいらでは、黒い(サビた)魚は恥ずかしいて見せれん。(サビの消える時期でも)魚を見ればどこで釣ったかわかるもんや。たいていそういう人はこっそり帰っていく」

 以前から郡上では、本流で釣ってこそアマゴ釣りだという認識がある。そうした姿勢は漁協にも及んでいて、吉田川では多くの支流が禁漁区に指定されている。

 「谷は産卵場所。浅瀬で産卵しとるところを見ると、やっぱり釣れんよ。本当に貴重。改修されてそういう所ものうなってくがな……」


 困ったな、拾う缶がないぞ

 時代とともに釣り人は変わった。

 「釣り人に良心、良識ができて、むちゃくちゃ持って帰るのは無理になったな。時代にそった生き方や」

 ごみの放置などマナーの面でも、釣り人は変わっている。

 「昔は本当にひどかった。最近はそうでもないよ。良識ができた。こんどの日曜日(9月30日)にクラブ(吉田川クラブ)で、吉田川の河川清掃をやるんや。さっきその打ち合わせをしとったんやが、下見に行ったもんが言うんや。困ったな、拾う缶がないぞって……」

 こういう変化は釣り雑誌など、メディアの影響だという。

 「わしは、取材に来る記者さんに言うんや。たとえ1行でもええから、川の問題を書いてくれって。読むと認識ができる。やから釣り人も変わったし、河川工事もめちゃくちゃにはできにくくなった」

 テレビで名を知られた恩田さんのところには、一時連日マスコミが押しかけた。一般の釣り人の中にも、早朝からポイントを教えろと玄関をたたく人がいたほどだった。それでも取材に応え、カメラのプレッシャーの中で魚を釣って見せたのは、こんな気持ちからだったのだ。

 「ペンは剣よりも強しや」



 私事で恐縮だが、かつて僕自身長良川のサツキマスを追った。それは僕にとって、ふるさとの誇りだった。恩田さんの話の中にも、いくつか「誇り」という言葉があった。

 しかし6年前、長良川河口堰のゲートは下ろされた。

 岐阜県は一貫して河口堰推進だった。

 恩田さんは言った。

 「岐阜県としても誇りなんやけどな……」



■プロフィール:1915年岐阜県郡上郡八幡町生まれ。同町在住。食堂「芳花園」経営。郡上八幡でアマゴの本流釣りを確立。80年代後半、河口堰問題で長良川が注目を集めた際、サツキマス釣り師として各メディアに登場し、川の貴重さを訴えた。

(2001年9月27日郡上郡八幡町の自宅にて)

【筆者による5年後の解説】

■週刊釣りサンデー2002年1月31日発売号に掲載された恩田俊雄さんのインタビューです。「まるっぽ釣り小僧」というインタビューシリーズの第4回ですが、インタビューは最初に行いました。

■初めてだからというのは言い訳ですが、インタビュアーに徹していないのが、若いというか青いというか、いけませんね・・・。最初に書いたのは編集長に「感想文かと思った」と突っ返されたくらいで・・・。

■それにしても「モノ語り」「まるっぽ釣り小僧」のセンスは・・・(両方とも当時の編集長によるものです)。

■NHKで放送されたサツキマス釣りの映像ではきりっとした印象でしたが、インタビューでは優しいおじいちゃんという感じの人でした。きっと川に立つと変わるのでしょう。しかし、文中にもあるように、河口堰ができてサツキマス釣りはやめてしまわれたということです。

■こんなことは書きたくないですが、地元メディアは本当にスカタンで、水中映像プロダクション・アアクエイトテレビ(以前河口堰抜きで長良川のブラックバスを取り上げ「釣り業界の密放流でバスが増えた」とやらかしたところ・・・バスなどこの20年以上前に入っていて、河口堰運用で繁殖を開始しただけ)は、数年前恩田さんに無理やり竿を持たせてウグイを釣らせるという、わけのわからない番組を名古屋テレビで流していました。私自身河口堰ができた後の長良川を見るのが嫌で、あの川で釣りをしたことはありません。恩田さんがかわいそうでした。

■河口堰が開放され、帰ってきたサツキマスを再び釣れる日がきたらよかったのですが、そうはなりませんでした。

■それでも91歳は大往生といっていいのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。