忠さんのスプーン
こだわってこそルアー

 ロッドティップが引き込まれた。

 反射的にロッドを立てると、流れの中から生き物の動きが伝わってきた。途中でふっと軽くなり、バレたのかと思ったが、かまわずリールを巻いた。

 魚はまだ付いていて、足もとで最後の抵抗をこころみた。目の前の水中で銀色の魚体が光った。

 僕にはそれが、信じられない光景に見えた。


 僕がルアーを始めたのは30年近く前になる。そのころルアーはまだ特殊な釣りで、やっている人も見かけなかったし、釣り具店でもあまり扱われていなかった。

 東京や大阪のような都会なら、そうでもなかったのかもしれないが、僕が育ったのは岐阜である。川でルアーを投げていても、「がり(引っ掛け)か?」などと、はなはだ失礼なことを言われるのがせいぜいだった。

 だからはじめの1匹までの道のりは遠かった。岐阜といえども、当時小学生だった僕には、トラウトを釣りに行く“足”がなかった。いまとちがって、バスは愛知県の入鹿池や牧野池にいるというのを、釣り雑誌で知っているくらいだった。

 初めてルアーで魚を釣ったのは4年後、中学生の時だった。


 忠さんのスプーンは、“忠さん”こと常見忠氏が作るルアーである。常見氏は銀山湖の大イワナをきっかけに、日本のルアー黎明期を作ったルアーマンだ。バイト、マスターアングラー、ダムサイド、ギンザンは、トラウトフィッシャーにはおなじみのスプーンである。これらは開高健氏のネーミングで、同氏の著書にもたびたび登場する。

 これらのスプーンはいまも健在で、その実力がいまだ衰えていないことの証である。僕らは今でもルアー黎明期の釣り人たちの気分が味わえるのだ。これはとても素敵なことだ。
 
忠さんのスプーンは販売方法がユニークで、ブランク、つまりスプーン本体だけでも買うことができる。これは僕のようなシングルフック派にはとても都合がいい。外したフックを処分する必要がない。オリジナルのカラーリングをしたい人にも好都合で、自由な発想で使って欲しいという、忠さんからのメッセージが伝わってくる。

 僕はかなりこのスプーンたちの、お世話になっている。

 初めて揖斐川でサツキマスを釣ったのは、バイト4.8gのパールピンクだった。もう13年も前のことだけど、スプーンを通信販売した時に試供品としてもらった、当時の新色だった。

 その日の揖斐川は減水気味で、けっして条件はよくなかった。先に来て釣っていた地元のルアーマンたちも釣れておらず、僕に場所をゆずって帰ろうとしていた。僕はウグイでも掛かればいいやと、バイトを軽く投げリトリーブしてみた。1投目でアタリがあり、ウグイだろうと寄せてきたら、33cmのきれいなサツキマスが掛かっていた。その魚の写真はいまもパネルにして、部屋に飾ってある。

 忠さんのスプーンがきいたのは、トラウトだけではなかった。当時の琵琶湖ではまだバスがスレきっていなかったということもあるが、バイトやマスターアングラーは有効なルアーだった。

 真夏の日中にバイト13gを投げ、6投連続でバスがヒットしたことがあった。遠投がきき手返しのいいスプーンは、広い琵琶湖では有効だった。

 使い方によってどんな層もひけるスプーンは、冬のバス釣りにも対応した。琵琶湖はもとより、ラインの凍る青蓮寺湖で、湖底のバスをヒットしたこともあった。

 11年前僕は本誌の取材に同行して、猿払川のイトウを釣った。じつはその魚は僕の勝手な判断ですぐにリリースしてしまい、誌面には載らなかったのだが、そのときのルアーはマスターアングラー12gだった。

 忠さんが銀山湖のイワナをルアーで初めて釣り、日本のルアーフィッシングの幕開けを作ったのは、1964年。僕が生まれた年である。

 そのころのエピソードが忠さんの著書にある。そんなものでは釣れないと言われたり、ニジマス釣り場でごろ引き(引っ掛け)と間違われたりしたスプーンで、忠さんは大イワナを釣る。そのときのことはこう書かれている。

 「水の中でくねる魚体が信じられないものに見えた」

 きっとこのときの気持ちが、スプーンに対するこだわりになっているのだろう。

 僕にはこの気持ちがとてもよくわかる。もっとも僕がはじめて釣ったのは小さなハスで、それも足もとでフックが外れて逃げてしまったのだけど。


 僕はいまでも忠さんのスプーンをよく使う。御母衣ダムに行くときなどは、ほとんどこればかり持っていく。

 これはけっしてうまいやり方ではない。いくら忠さんのスプーンに実績があっても、釣りに絶対はない。これは忠さん自身も書いている。特に現在はトラウト用ミノープラグも多数出ていて、かなり効果的なようだ。

 でも僕は忠さんのスプーンを投げる。

 こだわってこそルアー釣りだと思っているからだ。

(2000年発売週刊釣りサンデーより)

【筆者による7年後の解説】

■はじめて雑誌連載になった「モノ語り/マイナーリールの紳士録」の番外編です。このシリーズでは忠さんのスプーン、シマノファイティングロッド、ウェルナーパックロッド、グリスの4回で例外的にリール以外のものを取り上げました。

■文中の「初めて揖斐川でサツキマスを釣った」のは、正確には2尾目かもしれません。ただ、その場合の「1尾目」は高校生のときにブレットンで釣ったものになるのですが、これは30cmを切るもので、戻りシラメというのが適当かもしれません。そうするとやっぱりサツキらしいサツキの1尾目はバイトの1尾ということになりましょうか。

■忠さんのスプーンは80年代の前半にシマノから販売されたことがありました。ダイワのダンサーが150円くらいの時代に550円でちょっと手が出ませんでした。

■その後シマノからの販売がなくなり、85年くらいに「ブランクスプーン」による販売が始まりました。カラーを金、銀、パールスペシャルの3つに絞り、本体だけを290円で売るというものです。

■私が本格的に使い出したのはこのころ。通信販売でまとめ買いし、スプレーラッカーでカラーリングしたものです。そのころから、お金を送る封筒に手紙を同封し、よく返事をもらったものです。直接お会いしたのは6年前ですが、そのときもおぼえていてくださいました。

■「ブランクスプーン」が始まったころ、月刊フィッシングに忠さんの連載がありました。スプーンだけでいろいろな魚に挑戦しようというもので、あれはおもしろかったですね。トラウト系だけでなく、バスやクロダイなどがスプーンをくわえた写真は、当時でも珍しいものでした。

■タイアップ記事といえばそうだったのかもしれませんが、いまどきの新製品を売り込むのが見え見えのものもじゃなくて、ルアーの原点たるスプーンの可能性を試す一味違うものだったと思います。実際対象魚(たとえばシーバスなど)によってはあまりいい結果は出ていませんでした。でも、それが逆によかったですね。

■私がいい思いをしたころの忠さんのスプーンは、パール系が抜群でした。このころのパールは少しシルバーメタリックがかった色でした。さらに裏面にも塗装がしてあり、下地の金色が少し透けてなんともなまめかしいものでした。

■しかし90年くらいにその塗料が生産中止になり、普通のパールホワイトに変わりました。それからパール系の効果は薄れてしまいました。現在は金、銀系を中心に使っています。