忠さんに会いに行く


 「あー、竹中君か。おぼえてるよ。ぜひいらっしゃい。いい温泉あるから泊まりでいらっしゃい。魚も釣れるから、竿も持ってくるといい」

 テレビやビデオで聞いたあの声が、受話器の向こうから話しかけてくる。声の主はあの忠さんこと常見忠氏である。

 7月3日。僕は新潟の常見氏に電話をかけた。訪問のアポイントをとるためである。

 忠さんとは、スプーンを通信販売する際、手紙を同封してやり取りしていた。85年ごろからだからかれこれ16年になる。思えば87年、僕が釣具メーカーに内定したとき、僕の理想を書いた手紙に「キミの言うことはとてもよくわかる。でも必ずしもキミの理想のように進まないのではないか、心配です」という返事をもらったこともあった。実際そのとおりだったのだけど、スプーンひとつでこの業界を生きてきた忠さんは、釣り具業界の現実をいやというほど見てきていたのだろう。

 こういったやり取りはあったものの、実際に会って話をしたことはなかった。いま僕は自由に動ける。この機会に一度会いに行こうと思い立ったのである。

 「明日には着くと思います」と電話を切り、出発したのが午前11時。なんとも無計画な始まりである。



 ご存知ない方のために記すと、常見氏は日本のルアー釣りの草分けである。60年代、銀山湖のイワナをはじめてルアーで釣って、第1次ルアーブームのきっかけを作ったのがこの人だ。開高健氏の「フィッシュオン」最終章に銀山湖のイワナが登場するが、ここでの釣りをガイドしたのは常見氏だった。

 ルアーメーカー「セントラルフィッシング」の代表でもあり、バイト、マスターアングラー、ダムサイド、ギンザンなどのスプーンが有名だ。このうちバイトは開高健氏のネーミングである。このシリーズは80年代初め、シマノの販売網で売られたこともあったから、それをおぼえている方もいるかもしれない。

 比較的最近(というにはちょっと古いが)では、15年くらい前に開高健氏がモンゴルのイトウを釣るテレビ番組が放映された。この前年に偵察隊として何匹も巨大なイトウを釣っていたのが、常見氏であった。



 北陸道を新潟方面に向かう。ざっと地図を見た感じでは東京へ行くのとおなじくらいだから500キロくらいだろうか。大垣から木ノ本までは下道を走り、そこから高速に乗るから6時間くらいだろうと予想し、シトロエンAXを走らせる。

 このクルマ、すでに10年12万キロをあとにしていて、ちょっぴりへたってきているが、シートがいい。こういった長距離ドライブでも、腰が痛くなったためしがない。いまでも乗るたびに買ってよかったと思える。こういうのをいい道具というのである。

 北陸道から関越自動車道に入り、午後5時長岡インターで下りる。長岡市内で宿をとった僕は、明朝目的地である小出インターに向けて、出発した。

 小出インターからの道順はFAXで地図をもらっていたからそれを見て進む。

 インターから5分くらいで忠さんのログハウスに着いた。魚野川堤防のすぐ下にそれは建っていた。



 車を停めると奥さんが出てきた。忠さんは朝食中ということで、まずログハウスの中に通される。壁には巨大なタイメンを持った忠さんと、キングサーモンを抱えた開高健氏の写真がパネルにして飾ってあった。

 「アユ釣りがしたいってここに来たのに、アユが小さいとかいって最近ちっとも行かないんですよ」

 奥さんがいう。案外そんなものなのかもしれない。

 ログハウスの感じが以前雑誌で見たのと違うと思ったら、僕が通されたのは娘さん夫婦のために増築した部分だという。

 そうこうするうちに、隣のログハウスから忠さん登場である。

 「やあ、よく来てくれました。常見です」

 最近のHPの写真ではかなり歳を取られた印象だったが、まだまだしっかりした感じである。

 「魚野川、アユ釣ってる人いましたか?」やっぱりアユのことが気になるようだ。「いまはどこでもそうなんだけど、魚が大きくなる前に解禁しちゃうからねえ」

 ルアーマンとして知られる忠さんだが、夏はアユの友釣りを楽しんでいる。ただ魚野川は豪雪地帯を水源に持つせいか、水温が低くアユのシーズンは遅いようだ。

 「湖(銀山湖)はもうちょっと遅いなあ。魚野川をやってみるといい。水温が上がってきてイワナは難しいけど、ヤマメが釣れるかもしれない。いま5時からパソコン教室に行ってるから、いっしょに釣りには行けないけど、その前にポイントを教えてあげる」

 71歳にしてパソコンに挑戦。38年前、はじめて出会ったルアーを、なんだかわからないまま手にしてしまった好奇心は、いまも健在のようだ。

 タイメン(イトウ)釣りのこと、シーマ(サクラマス)釣りのことをうかがう。日本とはスケールが違う。それにひきかえ日本の釣り場は、という話になるとやっぱり2人とも暗くなる。それにしても、話していて感じたのは、忠さんの人柄である。年齢からいっても日本ルアー界の長老、大御所といっていいはずだが、まったくそんな感じがしない。最初の電話の印象といい、本当に気さくな感じだ。



 昼食をごちそうになったあと、「奥只見の魚を育てる会」のお話をうかがった。これは銀山湖のイワナやサクラマスを守り、増やすための組織で、忠さんが代表になっている。

 70年代初め銀山湖はブームに沸いた。しかしたった2年でイワナは消えた。忠さんの感覚ではおそらく5万人の釣り人が訪れたのではないかという。当時の釣りに対する認識からいっても、キャッチ&リリースがおこなわれたとは思えない。たとえ1人1匹でも5万人なら、5万匹の魚が消える。

 75年の発足後、会がまず取り組んだのは稚魚の放流とともに禁漁期間の延長だった。延長といったって、当時銀山湖の禁漁期は11月前半の2週間だけだった。これをほかの渓流なみの10月10日から翌年の3月31日までとした(現在は10月1日から翌年の4月20日まで)。

 続いて「種川」として北之岐川を3年間の全面禁漁とした。この効果は絶大で、年を追うごとに巨大なイワナが産卵に遡上するようになった。しかしこれがかえって問題になった。この光景を見た釣り人の中に「いよいよ3年の禁漁期間が明ける」と腕まくりをはじめる者が出てきたのである。

 ここで禁漁を解いたらすべてが水の泡。そこで会は学識経験者に漁協の説得を頼み、なんとか禁漁期間の延長にこぎつけた。現在北之岐川は、永久保護河川に指定されている。これはダム湖に注ぐ川としてはきわめて異例のことである。

 「魚を減らすのは釣り人」

 残念ながらこの点で、僕と忠さんは一致した。いまだに「釣りなんかで魚は減らない」「魚はわいてくる」なんていう人がいる。こういうことを認めるのは釣り人としてつらいことだけど、この点において忠さんはしっかりと現実を見ている。



 3時になり、魚野川を案内してもらう。忠さんの先導で、ポイントを回る。なんだかものすごく贅沢な気分だ。

 「せっかく来たんだ。明日は銀山湖を見てくるといい。また昼飯を食べにおいで」

 3ヶ所ほど回ってから、コンビニエンスストアの前で別れる。

 コンビニに来たのは入漁証を買うため。魚野川のほかに銀山湖の入漁証も扱っている。ちゃんと経営努力しているのがえらい。ほとんどこういう努力をしないで入漁料を値上げする、僕のホームグラウンドの某漁協に見せてやりたい。

 まず堀之内付近でやってみる。このあたりの魚野川は、渓流魚の川というイメージではない。典型的な中流域で、アユやウグイの川に見える。コンクリート護岸から投げるがあたりはない。流れには小さなアユがきらめくのが見える。なるほどこれでは友釣りには早かろう。豪雪地帯だけに水温の上昇が遅いようだ。でも、だからこんな中流域で渓流魚が釣れるのか。

 そろそろポイントを変わろうかと思っていたら、川を見ていたおじさんが話しかけてきた。アユを見に来たというその人は、魚沼漁協の理事で、近くで釣具屋をやっているという。

 僕が忠さんをたずねて来たというと、「あのおっさん、最近パチンコばっかしてるんだ。がはは」と笑う。庶民的なんだ。それにしても、この人を含め、およそ忠さんを悪くいう人がいない。

 アユのシーズンには岐阜の馬瀬川や板取川にも行くというこの人、魚野川が悪くなったと嘆く。上流に砂防堰堤ができ、大きな石の供給が減って、川の石が小さくなっているという。素人考えかもしれないが、砂防堰堤なんかすぐに埋まってしまうのに、あれって意味があるのだろうか?

 漁協としても、川に大石を入れるよう交渉したがだめだとか。石が流れの抵抗になるのなら、そのぶん河床を掘ればいいではないかと提案したが、お役所は動かない。なんともかんとも……

 この人の話で感心したのは、石を魚の着き場としてではなく、浄化装置と見ていることだった。

 「石が多ければ、河床の表面積が増える。そうすればそこに付着する微生物が増える。つまり川の浄化が進むんだ」

 まったく同感である。大きな川だけでなく、ちょっとした側溝までつるつるのコンクリートで固めたことが、川や海の水質悪化の原因だ。



 次に入ったのは破間(あぶるま)川と魚野川の合流点だった。時計は6時半をまわっている。ラストチャンスだ。

 魚野川は「オープン」な印象だ。川のすぐ近くまでクルマを乗り入れられる。岐阜の川は不法投棄対策で、河川敷への道が閉ざされているところが多い。この差はいったいなんなのだろう。

 クルマをとめたすぐ下からルアーを投げ始める。バイト6gを正面に投げ、扇型に流す。下りたところから下流は瀬になっている。魚はいそうでも、スプーンを流すと浮いてしまいそうだから、流れが穏やかになっている上流側に移動しながらキャストを続ける。

 数投目、扇型に流したラインが、流れと45度くらいの角度になったとき、ロッドティップが引き込まれた。最初かなりの重みだったので、根掛りかと思ったが、ロッドはぐんっぐんっと魚の動きを伝えている。

 リールを巻き、魚を浮かせる。流れに逆らうとバレてしまうから、すばやくリールを巻きながら魚に駆け寄る。ネットに収まったのは型のいいヤマメだった。サイズは25cmくらいだが、よく太ってきれいな魚体だ。

 写真を撮ってリリースする。それにしてもこんな中流域でヤマメが釣れてしまうなんて、不思議な川だ。

 初めての場所で型を見ただけでもラッキーだ。これで切り上げることにする。

 タックルを片付けていると、犬の散歩をしているおじさんが来た。

 「釣れた?」

 さっそくヤマメの写真を見せる。デジカメはこういうとき便利だ。その人によると、僕が釣った場所は背後の山から伸びる地層の関係で、川底がえぐれ、格好の魚の付き場になっているそうだ。運良くクルマをとめたのが、その正面だったわけだ。



 翌5日、僕は銀山湖に向かった。奥只見シルバーライン入り口のGSで給油する。ここにも入漁証取り扱いの看板がある。漁協のやる気が感じられる。

 シルバーラインは銀山湖へ続く道だが、ほぼ前線トンネルである。ところどころ岩盤がむきだしだったり、路面が地下水でぬれていたり、カーブで赤いランプが点滅していたりして、ちょっとUSJのジュラシックパーク・ザ・ライドみたいだ。

 銀山平に出る。はじめて見る銀山湖はやはり巨大だった。湖は満水で、水面が緑にせまっている。山の木が針葉樹の植林ではなく、天然の広葉樹なのが印象的だ。だから水がいいのだろう。

 釣り宿の「荒沢ヒュッテ」に入ってみる。巨大なイワナの剥製や魚拓、店主が集めたルアーのコレクション、そして開高健氏の色紙が飾ってある。店のおばさんによると、今の時期でも流れ込みではイワナが釣れているそうだ。これから夏には観光客相手にニジマスを放すし、観光客の落ち着くお盆あけにはまたイワナが釣れるから、シーズンいっぱい釣りはできるという。ただ、人の多さとアブの発生で、この時期の釣りを敬遠する人もいるそうだ。

 開高健氏の記念碑の写真を撮ったあと、ふたたび小出町に向かう。



 昨日釣ったヤマメの写真を見ると、忠さんは自分のことのように喜んだ。

 (ずうずうしくも)また昼食をごちそうになりながら、銀山湖の話をうかがう。忠さんは開高氏のようなパイプタバコをくゆらしながら話す。

 いま問題になっているのは、発電機の増設問題。これができると魚が巻き込まれて流下してしまうのと、水位の低下による魚類の減少の心配がある。残念ながら、これは決定されてしまっていて、奥只見の魚を育てる会としては、魚が巻き込まれないための「流下防止装置」の取り付けを要求しているそうだ。

 このあたり、会の中でも意見が割れていて、東京の会員と地元の会員の板ばさみになることもあるらしい。

 銀山平の民宿が、補償金で整備される計画についても同様で、このことがきっかけで会を抜けた人もいるという。ただ、忠さんはいう。

 「彼らには彼らの生活がある。私たちは、そこまで立ち入ってはいけないのではないか」



 銀山湖にバスが入れられた問題については「バスの人たちはバス以外の魚のことを知らない」という。駆除には刺し網などを使ったが、イワナやマスがいっしょに掛かってしまうため、難しいそうだ。

 ただ、僕個人の印象では、それほどバスは増えていないようにも感じられた。各釣り雑誌の銀山湖に関する記事でも、イワナ狙いでバスが釣れたという記述は記憶にない。

 おそらく銀山湖の水温では、温水系のバスは適応できないのではないかと思う。そう考えると、ここにバスを放した人たちは「バスのことすら知らない」人たちだったということか。

 さらにいえば「日本のルアーの歴史を知らない」人たちだともいえる。僕はちょっとまずいなあとかいいながら琵琶湖のバスも釣って楽しんでいる半端な人間だけど、それでも銀山湖にバスなんて聞くと、なんてことを!と思ってしまう。こんなふうに敵に回さなくていい人まで敵に回してしまったのだし、その結果再放流禁止条例までできてしまったのだから、墓穴を掘ったとしかいいようがない。



 お年のせいか、最近ちょっと釣りから遠ざかっている印象の忠さんだったが、僕がヤマメを釣ったスプーンのシングルフックには目を輝かせた。そこで丸セイゴバリを使って作ったシングルフックのケースを見せると、「いいねえこれ、くれる?」という。お安い御用である。16号と18号を進呈し、大物用に20号を作って贈ることを約束した。

 こう来なくっちゃ。釣り人の好奇心健在だ。

 岐阜に帰った僕はさっそく、忠さんのためにシングルフックを巻いた。整理のためにフックのケースを開けると、甘い匂いがした。

 忠さんのパイプの匂いだった。

(2001年9月27日、10月4日発売「週刊釣りサンデー」より)

■2011年11月30日夜、常見忠さんが亡くなりました。

■これは、会社(シマノではなく岐阜に帰ってから勤めていた会社)をクビになった直後、さまようように行った忠さん訪問記です。読み返してみると、2日も続けて飯は食うわ、本当にずうずうしいですね。

■忠さんの声は、いかにも昔野球で腹から声を出していたという感じがする気持ちのいいものでした。

■文中「バイト、マスターアングラー、ダムサイド、ギンザンなどのスプーンが有名だ。このうちバイトは開高健氏のネーミングである。」とありますが、バイト以外も開高ネーミングでしたね。

■アングリング・ファンの記事で電話取材したり写真を借りたりしましたが、必ず電話の最後に「いい記事書いてください!」といってくださったものです。本当にやさしいいい人でした。

■アングリング・ファンのカーディナル記事で写真を借りたときのことです。電話をするといきなり「いやあ、腰やっちゃってねえ」と切り出されました。「ほら、草刈り機あるでしょ、あの先の回るやつ。あれでやっちゃってね。人間の腰っていうのは縦と横の動きはいいんだけどね、回転方向の動きはだめなんだよね。だから草刈り機は・・・」と延々草刈り機と腰の関係の話が30分ほど続きました。

■そのときはあっけらかんとした感じだったので話の好きな面白い人だなあくらいに思っていたのですが、考えてみればあれから思うように釣りに行けなくなり、歩くのも不自由になって結果的にここ数年の体力低下につながったのだと思うと、お気の毒なことでした。

■開高健氏の釣りの師匠と紹介されることがありますが、本人は「親友でありライバル」と語っていました。

■「開高さんは2500Cは使わなかった。いつも5000Cだった」

■01年さまようようににうかがったとき、「いろいろな人に会いなさい」といわれました。

■忠さんの誕生日は1930年11月11日。私の誕生日は1964年11月11日。

■ちょっと関係ないかもしれませんが、淀川長治さんの命日は11月11日。大好きなことを一生やり通したところに共通点があるような気がします。

■07年にうかがったときお孫さん(7歳だったはず)が私を見て「お客さん、ヨン様みたいだね」といいました。5日に会ったときそのことを話すとぜんぜん憶えてなくて、「ヨン様って誰?」といわれてしまいました。で、私は彼にヨンくんと呼ばれることになってしまいました。明るく人懐っこい子で、気さくな人だった忠さん譲りなのでしょう。

■1979年発売の『ルアー野郎の秘密釣法』が面白いといったら、「あれはちょっと過激に書いたんだよ」といってみえました。

■『ルアー野郎の秘密釣法』には「もし(リールの)グリースに砂粒などが入っていたとすれば、アングラーとして資格がない」と書いてあります。私がこの本を買ったのはこのあたりを見たからでした。つくづくリールな人なのです、私。

■道具を大切にする人で、たしか別冊フィッシングに「ロッドに関しては自慢したいことがある。これまで1本もロッドを折ったことがないことだ」と書かれていました。

■月刊フィッシングにあったスプーンでいろいろな魚に挑戦する連載では、自動車もずっと無事故だとのことでした。上のリールやロッドの扱いに通じるような気がします。

■その月刊フィッシングの連載はとても面白かったので今度の本に含めるつもりです。

■現在、著書、雑誌記事に加えて直筆原稿をパソコンに打ち込んでいます。感心するのは漢字の書き分けが正確なことです。よくありがちな「こういう」「してみる」を「こう言う」「して見る」のように漢字で書いてしまうようなことがまったくありません。学生時代本をたくさん読んだと原稿中にもありますが、そうしたことの積み重ねなのだろうと思います。

■「バンタム、私のリール」のTVCF写真もぜひ入れたいのでシマノに問い合わせ中ですが、もし当時のビデオなどお持ちの方がみえたらご一報くださるとたいへんありがたいです。

■愛用タックルを撮影するつもりだったのですが、欲しい人に譲ってしまわれたようで、5000Cすらありませんでした。でも408や508、BMやバンタム、マイコンは残っていました。やはり私が喜ぶようなリールは欲しがる人がいないということなのでありませうか。

■2月3日のフィッシングショーでバンタムコマーシャルの写真の有無を聞いていたS社のN嶋氏(関係ないけどバンタム1000SGを設計したヒト)に会ったのですが、「探したけど完全にない! 諦めろ」とのことでした。「よほど記憶のいい60代の人くらいしか憶えてないだろう」とのことでしたが、C球丸のI氏は私と同世代だけど憶えてるっていってたヨォ・・・。

■6個上に書いてある月刊フィッシングの連載、どうなんでしょうか。私はバスや海などスプーンを使わない釣りが台頭してきた80年代後半にあえてこれらにスプーンで挑んだ姿勢がものすごく好きだったのですが、「忠さんがバスなんて!」という人もいるのでしょうか? みなさんどう思います? (いまこのページを開いている人はあまりいそうにありませんが、あんまり大々的に聞くことでもないのでこっそり書いときます)

■『忠さんのスプーン人生』(仮題)は鋭意編集中!

■発売は6月7日の予定でしたが、諸々あって遅れています。現時点では8月か10月の発売予定です。もうしばらくお待ちください。

■お待たせしておりますが、10月発売予定で進んでいます。

発売しました!