アブ・ガルシア・カーディナル800 & ルー・ゴールドスピン

リール作りは二人三脚

現在、リールの製造は中国が中心になっている。今回紹介するのは、日本がリール製造の中心だった70年代から80年代にかけて、スピニングリールの設計・製造に携わった技術者の話である。


真夜中のプールにて


 真夜中のホテルのプールに2人の影があった。左手でロッドを持ち、真っ暗な水面に向かってギクシャクとしたキャスティングをしているのは、アブ・ガルシアのプロダクションマネージャーである。ロッドに取り付けられたリールは、当時米国向け標準装備だったベールオープン用トリガーの付いたスピニングリールだったが、ハンドルは右にセットされていた。

 10分ほどして左手でのキャスティングに慣れてきたプロダクションマネージャーは、かたわらにいた日本人に言った。

「グッドアイデアだ、ミスター・ハラ。トリガーが勝手に指に飛び込んでくる!」

『カーディナル800』シリーズはこうして生まれた。

 ミスター・ハラとは、埼玉にあったリールメーカー日吉産業でリールの設計、製造を担当していた原健士氏という技術者である。

 80年代の米国では、ワンタッチでベールをオープンできるトリガーの付いたスピニングリールが主流になっていた。このタイプのリールにはラインピックアップを容易にするため、ハンドルを逆転させると必ずラインローラーが手元にくるセルフセンタリングと呼ばれるストッパーが併用されていた。しかし、セルフセンタリングはストッパーが作動するまでローターが最大360度も逆転してしまうため、アメリカ以外の市場では受け入れられなかった。


 そこで、ローター回転方向を通常のリールとは逆の反時計回りに設計することで、セルフセンタリングシステムを不要とし、ベールオープン用のトリガーと、通常のリールと同じ多点式ストッパーを同時に採用しようというのが、原氏のアイデアだった。プールでの実験は、反時計回りローターを疑似体験させるためのものだったのである。

 奇抜なアイデアとともに、それまでのアブイメージを一変させるデザインで、日本のアブファンには受け入れられなかった感のある800シリーズだったが、800の製造を担当した長野の松尾工業はもとより、普及モデルを担当した原氏の韓国日吉釣具は、この時期フル生産が続いたという。

86年登場の『カーディナル863』。ニューヨークナンバーワンといわれたデザインコンサルタント会社・ヘンリードレイファスによる近未来デザインが特徴。2番目の数字が5はノーマルベール、6は写真のトリガー付き。最後の数字はサイズを示す。

ローターを反時計回りに設計することにより、人さし指を伸ばすだけでラインが自然に指にかかり、そのままトリガーを引けばベールが開いてキャスティングに移れる。トリガーと通常の多点式ストッパーを併用できるのが利点だった。

ボディー材料は当時主流のガラス繊維強化ナイロンだが、アブはベース樹脂に吸水性の低い66ナイロン系のものを指定してきたという。理由は「リールは水辺で使うものだから」。ドラグは当時のシマノを意識したレバードラグを採用。


ふたたび真夜中のプールにて


 真夜中のホテルのプールに2人の影があった。左手でロッドを持ち、真っ暗な水面に向かってギクシャクとしたキャスティングをしているのは、米国のバスタックルブランド・ルーのオーナーである。ロッドに取り付けられたリールは、当時米国向け標準装備だったベールオープン用トリガーの付いたスピニングリールだったが、ハンドルは右にセットされていた。

 10分ほどして左手でのキャスティングに慣れてきたオーナーは、かたわらにいた日本人に言った。

「グッドアイデアだ、ミスター・ハラ。トリガーが勝手に指に飛び込んでくる!」

 しかし、ニヤリと笑った原氏はこう言った。

「これはほんのジョークです。今日はもっといいアイデアがあるんです」

「もっといいアイデア」とはこうだった。スピニングリールのスプールを大口径化する。すると、放出抵抗が減って遠投性能が向上する。太いラインでも巻きグセがつきにくくなるためリールの汎用性がアップする。大口径化によって巻き上げスピードが向上する分、ギア比を落とすことができるため、回転が安定し、ドライブギアの小型化でボディーの小型軽量化もできる。

 ルー『ゴールドスピン』はこうして生まれた。写真に挙げた最小モデルの『ゴールドスピン1』は、現在の2000番から2500番くらいのサイズだが、スプール径は50mmもある。これは現在のダイワ2500番の48mm、シマノ4000番の49mmを上回る超大口径だ。それにともないギア比は、当時標準の5対1前後から大幅に落とした4.3対1に設定されていた。

 僕は90年代初めごろの国産ロングスプールスピニングの2000番とゴールドスピン1に同じ1.5号(6Lb)ナイロンを巻いて同じロッドで投げ比べてみたことがある。よりスムーズにラインが放出されて飛距離が伸びたのは、ゴールドスピン1のほうだった。

 写真のゴールドスピンはもう生産されていないが、現在も米国ルーのラインナップには大口径スプールに低速ギアを組み合わせたスピニングリールがトップモデルとして用意されている。大口径スプールはいまなお有効なコンセプトなのだ。

元祖大口径スプールのルー『ゴールドスピン』。大口径スプールのみならず、富士工業製セラミックラインローラー、当時最高水準の75000回の開閉テストをクリアする長寿命ベールスプリング、ねじ込みハンドルなど基本部分も充実していた。

スプール前面にはラインの太さを表示するインジケーターを装備。大口径スプールの汎用性を生かしてさまざまな釣りに使うことを想定し、エコノマイザーも付属。原氏の設計したリールの中でも最もスペアスプールが売れたリールだったという。


製造側も主張する


 OEM生産というと、ブランド側企業が図面を送って製品を作らせるとか、逆にすでにある製造側企業の製品にブランドだけ入れて売るといったものをイメージしがちである。しかし実際はそう単純なものではなく、カーディナル800やゴールドスピンのように、ブランド側も製造側もお互いに主張して製品は作られていく。

 原氏は、アブ・ガルシアの会議で「昔の堅実なABUに帰れ!」と大演説をぶったことがある。ヘンリードレイファスに対しては「こんなものはデザインのためのデザインだ!」と言った。ルーのスピニングリールのベールスプリングを改良するときには、「安物のスピンキャストだって75000回のキャストに耐えるのに、高級品のスピニングリールが1万回やそこいらのキャストで壊れていいはずがない!」と、ルーにローターを設計変更するための金型代を出させたという。

 ひるがえって現在リール製造の中心は中国に移っている。中国のリールメーカーにも、原氏のような技術者はいるのかなあと思う。


【解説】

■理由は忘れましたが、昨年原稿を書いて写真も撮ったのに出さなかったものです。

■私がシマノにいたころ、原さんは韓国日吉でシマノの普及型スピニングを下請けとして作っていました。その後、シマノがシンガポール・マレーシア工場でリール製造を始めることになり、顧問という形で引き抜かれてきました。当時シンガポール・マレーシアで作るスピニングリールの担当にされたもののなんの役にも立たず途方にくれていた私を助けてくれたのが原さんでした。現在シマノのスピニングはステラ、ツインパワークラスを除くとほぼすべてここで作っていますが、その基礎を築いたのが原さんです。

■当時シンガポールで、1ヶ月間リールの話ばかりしていた記憶があります。白状すると、私のリールうんちくは原さんの受け売りがほとんどです(いや、私のリール観は相当ゆがんでいるので、受け売りとも違うかもしれません)。

■2000年代初めに日本に帰国していて、そのころから手紙でいろいろとリールについてやりとりをしていました。

■ところが、昨年秋、原さんは突然“旅”に出てしまいました。

■ここで少し説明が必要になります。以前取材で元オリムピックリール設計のN氏という方に電話をした際、雑談で原さんについて聞いてみました。すると、開口一番「ああ、あの突然3日くらい車でどっか行っちゃう人だよね!」といわれました。日吉産業は大オリムピックの下請けもしていたのですが、いわば有名人だったようです。

■旅をして人間観察をするのが好きな人で、韓国にいる間はタクシーで地方をまわって農村部などを観察していたそうです。ところが、それが度を越して北のスパイの疑いをかけられ、KCIA(?)にホテルの部屋をがさ入れされたことがあるといっていました。

■シマノシンガポールを退社してからは数年間インドネシアを放浪した後、日本に帰国したのでした。

■昨年秋からの“旅”もそうしたものといえばいえるのですが、今度はちょっと様子がおかしいのです。いっしょに住んでいた親類の人と何かあったらしく、千葉の家を飛び出して、野宿しながら北関東や東北を歩いているといいます。以来、私に届く手紙の住所も「旅行中」「八戸にて」「銚子にて」という具合で、こちらからは連絡できない状態です。

■70歳を超えていますから野宿など生命にかかわります。それで、(連絡はするなといわれていましたが)それまで連絡先になっていた住所あてにいまいるであろう場所を書いて「探されていないのですか?」と手紙を送ったのですが、そちらからも反応はありません。

■いまのところ6月13日に福島県郡山市から来た手紙が最後で、トラブルに巻き込まれて裁判の証人に立つはめになったが、それが終わったらまた青森を目指すと書いてありました。

■“トラブル”は郡山で“雇われた”人がよからぬ人だったのだそうです。年齢からいえば年金をもらっているはずですが海外にいる間にどうにかなってしまったのかもしれません。その辺がどうあれ、(ちょっと前の生活保護騒ぎではありませんが)長年日本の輸出産業に尽くしてきた技術者がこんな境遇になっていいはずがありません。なんとかする方法はあるはずです。もっとも、自分の意思で放浪しているのではどうにもなのですが・・・。

■こういう個人のプライバシーにかかわることは、本来書いてはいけないとは思うのですが、もし万が一見かけられたなら・・・。といっても写真もないし、親族が探していない(?)のに私が捜索願を出すのもヘンな話ですし、なんとも困ったことなのです。