私はルアーを投げていた。春である。
そこは長良川で、河口から30km以上上流であったが、ここから数km下流からは広大な淡水湖が始まり、それは最下流に位置する長良川河口堰まで続いていた。5年前に誕生したこの湖は、長良湖とも呼ばれていたし、霞ヶ浦に引っ掛けて長良浦と呼ぶ者もいた。
何かを狙ってルアーを投げていたわけではない。河口堰が完成するまでは、このあたりでも、春になると川マスを狙ってスプーンを投げるルアーマンが見られ、私もその一人だった。しかし、河口堰が完成してからはそうしたルアーマンの姿は見られなくなっていた。
私は人から趣味を尋ねられると「釣り」と答えているが、実際にロッドを振るのは、春の長良川で川マスを狙うときだけだった。だからいまでは私のたった一つの趣味も消えてしまったことになる。それでも春になると長良川が忘れられず、こうして川原に立つのである。
川マスというのはサツキマスのことであるが、地元ではあまりサツキマスとはいわず、もっぱら川マスとか単にマスと呼ぶことのほうが多かった。私自身も川マスという呼び名のほうがいかにも自然な感じがして好きだった。
川マスは河口堰の工事が進むにつれて減少し、5年前の河口堰完成と共に見られなくなった。
漁協は多額の補償金を使い川マスの幼魚である銀毛アマゴを毎年多量に放流したが、ほとんど効果は見られなかった。川の流れによって降海する銀毛アマゴは、河口堰による広大な止水域のため下流に降りず、そのまま冬を越すか死ぬかしてしまっていたのである。行政はこういう銀毛アマゴの冬を越したものが捕獲されるたびにこれを「サツキマス」だといい、「放流の成果だ」「魚道の有効性の証明だ」と宣伝したが、長年長良川にかかわってきた川漁師や釣り師は横を向いて笑うだけだった。そもそも河口堰完成以前の長良川では、こうした尺に満たない魚は、マスとは呼ばなかったのだから当然である。
天然アユも消えた。アユの場合、卵から孵ったばかりの遊泳力をもたない稚魚が、流れに頼ってのみ海を目指すのだが、これも河口堰によって阻まれた。もちろん、大水などで運良く海へ流れ落ちたものもいるようだが、堰上流の淡水から堰下流の海水への急激な変化と河口堰によって悪化した水質が、稚アユを次々に死なせていった。
追い討ちをかけたのが、河口堰によってできた淡水湖中に異常に繁殖したバスだった。河口堰完成以前にも周辺の野池にはバスが多く見られ、これらは長良川に入っていたようだが、流水に弱いバスは長良川では繁殖していなかった。しかし、河口堰が長良川の流れを止めると、これらのバスがいっせいに繁殖を開始し、5年経った今では琵琶湖や霞ヶ浦に劣らないほど多くのバスが見られるようになった。
バスは河口堰に作られた魚道の上に集結し、遡上したばかりのほんのわずかな小アユを次々に捕食した。バスの食害は放流魚にも及び、下流域の漁協が湖産アユや養殖アユ、銀毛アマゴの放流を始めると、どこからかバスが集まり、放流ができなくなることも珍しくはなかった。
2年ほど前からは、ついにバストーナメントが開催されるに至った。長良川河口堰建設反対運動を黙殺した釣り具メーカーはこぞってこれを協賛、あるものは堂々と主催した。
この日も私がロッドを振っているところから20kmほど下流では大規模なバストーナメントがある釣り具メーカーの手で行われていた。
「これが健康スポーツ産業の正体なんだ。なにが自然との調和だ……」
私はつぶやき、ミッチェルのハンドルを回した。河口堰完成以前、何匹もの川マスを釣ったスプーン・バイトの抵抗がハンドルに伝わってくる。これだけは昔と同じだった。
木曽三川公園には「世界淡水魚園」が造られ、目玉として“サツキマス”の水槽も用意された。河口堰建設中には「サツキマスは長良川以外にもいます」として建設工事を正当化するキャンペーンを行っていた行政は、一転して「長良川だけに残された魚・サツキマス」というふれこみで、この魚を観光資源にしようとした。しかし、水槽に泳いでいるのは、養殖で作られた銀毛アマゴだった。私は河口堰建設工事で絶滅に追いこんでおいて、その希少性を売り物にする行政に怒りを感じていたが、週末ごとに“貴重なサツキマス”を見に来る大勢の人間には、さらに絶望を覚えた。*
「自作自演だな」
流れの中をバイトは昔と同じように尻を振りながら泳いでいた。バイトが流れを横切ろうとしたとき、使い古したスーパーパルサーのティップがぐっと引き込まれた。反射的にロッドをあおると、流れの中から生き物の動きが伝わってきた。ミッチェルのストッパーをONにし、軽くポンピングしながら寄せる。あと少しで魚体が見えようかというとき一度強く締め込みがあり、ドラグが鳴いた。しかし抵抗もそれまでだった。魚が浮くのがロッドに感じられた。
バシャッ。
突然水面から茶色い太った魚体が躍り上がった。バスだった。私は全身から力が抜けていくのを感じた。
足元に転がされたバスは、バイトをくわえたまま数回ばたばたと暴れたあと、エラと口をニ三度大きく開き、なにか白い物を吐き出した。それは消化されかかった小アユだった。
私はバスを流れに返すことができず、その場に立ちすくんでいた。
そして、もうこの川に来ることはないだろうと思った。
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