ダイヤモンド・コメットG1 |
・・・マジョリティーとマイノリティー |
昔、山歩きの雑誌がありました。 |
(週刊釣りサンデー2000年11月19日号より) |
【筆者による5年後の解説およびとりとめのない思い出話】 ■5年前、はじめて雑誌連載になったシリーズの第2回です。初回がオーソドックスにカーディナル44、第2回がこのコメット、第3回が肩透かし的にシマノのファイティングロッド、第4回が真打ミッチェル408と、合計20回続きました。 ■いま読んでみると、熱いですね。このころの僕って燃えてたのね。下手だなあと思う面があるような、最近の自分の文章より生きてていいような・・・。 ■5年前とありますが、原型を書いたのは90年くらい。よけいな部分を削り落とすのに10年かかりました。思い入れが強すぎたのですね。それもそのはず、「気がついたらレジに差し出していた」コメットを持ってその数ヶ月後、北海道に行くことになるのです。そこで釣ったのが、バックナンバー1に入っているイトウなのですから。 ■一見本題と関係なさそうな話で始めてから本題に入り、最後に2つを結び付けて落す構成です。これ、じつは、モータージャーナリスト下野康史さんのマネです。やっぱマネはいかんなと思い、10回目か12回目で構成を変えました。もっとも、私のような無教養な人間がこれをやると、前振りに使う話がすぐに枯渇するので、必然的だったともいえますが。 ■僕は下野さんの書く文章が大好きで、NAVIとかCG、その他の雑誌に載るエッセイがとても楽しみでした。岐阜に帰ってからのつまらない毎日の中で、「あ、今日NAVIが出る」というのが、ささやかな幸せでした。僕もあんな風に、ちょっとでもいいから人を幸せな気分にできたら、なんて素敵だろうと思ったものです。釣りの雑誌に書く原稿もそういうつもりで書きたいと思っているといったらカッコつけすぎですね。 ■コメットの回は90年くらいに原型を書いたのですが、シリーズとしてどっさり書いたのはたぶん95年くらいかな。じつはあちこちの釣り雑誌に送ったのですが、挨拶の手紙もなしにコピーをどっと送りつけただけ。アホですな。当然採用なんてされません。バカですね。で、「これは雑誌が業界と癒着しているからだ」と思いこみ(いまこうやって書いてても救いようがないね・・・顔から火が出そうだわ)、なぜかNAVIの大川氏(誌面に名前の出る人だから名前を出してもいいですよね)に送りつけて、手紙で叱られたり・・・。 ■で、まあ、その大川さんの手紙でちょっと襟を正して書き直し、週刊釣りサンデーに送ったのが、連載になったと。そんないきさつもあったりするのです。 ■その原稿に目をつけたのは、当時週刊釣りサンデーの編集長だったH氏。いまは楽水舎という編プロをやってらっしゃいます。感謝してます。 ■山の雑誌の話は、このサイトで時々出てくるスピードスピンなどを設計した原氏に聞きました。その雑誌は「岳人」だそうです。このシリーズにはかなり「原さんネタ」が入っています。シマノのシンガポール工場ヘ行っていた1ヶ月、同氏とリールの話ばっかりしていたときのものです。 ■シリーズのタイトルは「モノ語り/マイナーリールの紳士録」。いまだからいいますが、「モノ語り」と最初聞かされたときは、正直「やめてくれえ」と思いました。ついでにいうと、10回目くらいから変わった「モノ語り」のホラーみたいなロゴは、いま思い出してもぞぞげが立ちます・・・っていったら失礼かな(「マイナー・・・」は私がつけました)。 ■私、ディスプレーで文字を読むのがきらいなので、改行ごとに1行あけましたが、いまの人は慣れてるから、かえって読みにくいのかな? |