ダイヤモンド・コメットG1
・・・マジョリティーとマイノリティー

 昔、山歩きの雑誌がありました。

 当時登山ブームでした。その雑誌もよく売れました。競合誌も増えました。

 でもね、ブームなんてものは去るんです。ブームなんだから。そして、本当にブームは去りました。

 その雑誌も売れなくなってきた。

 で、どうしたと思います?

 値段を上げたんです。倍くらいに。

 で、どうなったか?

 その雑誌は生き残りました。値段を上げても売り上げは落ちなかったんです。買う奴は買うんです。高くてもね。

 世の中には、マジョリティーとマイノリティーってのがいるんです。このマイノリティーって奴らを狙うんです。この連中・・・マニアっていいましょうか・・・は少数ですよ。でも奴らは「堅い」んです。こいつらをつかまえるんです。

 100人のうち85人がなんとなく選ぶようなモノじゃなくて、たとえ5人でもいいから「こいつがいいんだ」って言わせるモノを作るんです。モノっていうのは、そういうふうじゃなきゃいけない。その雑誌はそういうモノだったんですね。


 コメットG1は、大森製作所の日本国内向け自社ブランド・ダイヤモンドリールから79年に発売された、インスプールスピニングリールである。

 大森製作所は、日本を代表する堅実で良心的な釣り具メーカーだった。コメットは同社製品中、もっとも安価なモデルだった。そして、それゆえに、もっとも同社の良心を示すスピニングリールだった。

 そのいい例が、リールの心臓部ともいえるメインギアである。

 通常スピニングリールのメインギア(ハンドルに直結する主歯車)は、亜鉛一体もので作られる。しかし、コメットをはじめとする大森製作所のメインギアは独特だった。歯車の部分は亜鉛でも、ハンドル軸が差し込まれる軸の部分が、硬い鉄製になっているのだ。こういう製法はコストが上がるから、通常はやらない。まして、コメットのような普及品に採用するメーカーはまずない。

 亜鉛は歯車の材料としては優れていても、軸としては硬度が足らない。だから亜鉛一体もののメインギアは軸の部分が摩耗し、それが原因でノイズを発生したり、最悪の場合ギアが破損することがある。もちろん、現在の高級品はこの部分をボールベアリングで受けているから、こんなことは起こらない。しかし、それではボールベアリングを使わない普及品は、寿命が短くてもいいのかということになる。

 大森製作所はそう考えなかった。メインギアに鋳込まれた鉄製の軸は、真鍮のブッシュに支えられ、摩耗する心配がない。だからギアはいつまでも精密に支持され、滑らかさを失わない。

 また、コメットのハンドルは、ハンドルの根元がネジになっていて、メインギアの軸に直接ねじ込まれる方式になっている。決して緩まないし、がたつきもない。この設計が可能になるのも、メインギア軸が硬い鉄製だからである。

 このほかにも、耐摩耗性のスリーブが入った完全回転式ラインローラーや、現在のスピニングリールも採用している、フェルト・ドラグワッシャーなど、リールとしての基本的な部分には、しっかりとした設計が施されていた。

 繰り返しになるが、コメットは同社製品のうちでもっとも安いモデルである。ここに同社の良心が見える。

 そして、ここに惚れ込んだアングラーは、決して数は多くなかったものの、しっかりと大森製作所のリールを支持したのである。


 大森製作所は80年代初めに、日本初のRDリール・マイコンシリーズで一躍脚光を浴びた。しかし80年代後半は、次第に大手メーカーに追い込まれていった。

 同社の不振は、大手メーカーが品質を上げてきたこともあるが、80年代後半からの路線に問題があった。このころ大森製作所はその独自性を次々に放棄し、大手メーカーと同じような物作りに走った。鉄製の軸を鋳込んだメインギアや、スリーブ入り回転式ラインローラーなどの良心的な設計を廃止し、昔からのファンにさえ見捨てられていった。

 当時僕は大手釣り具メーカーの社員だったけれど、大森製作所が作るスピニングリールのファンだった。僕は大手メーカーの物作りに疑問を持っていた。僕にとって、大森製作所のリールは理想だった。その大森製作所のリールが変わっていくのは、信じているものがらがらと崩れていくようなものだった。

 コメットに出会ったのはそんなときだった。89年の冬、ぶらりと立ち寄った釣具店で、レジ横の「カゴ」に入れられ、半額の2300円で売られていた。こんなふうに売られたリールがどうやって使われるのかは、自社のサービス課で嫌というほど見てきていた。

 気がついたら、僕はそのリールをレジに差し出していた。それがいま手元にあるコメットだ。


 冒頭に挙げたのは、あるリール設計者の言葉である。これを今はなき大森製作所に、贈りたい。

(週刊釣りサンデー2000年11月19日号より)

【筆者による5年後の解説およびとりとめのない思い出話】

■5年前、はじめて雑誌連載になったシリーズの第2回です。初回がオーソドックスにカーディナル44、第2回がこのコメット、第3回が肩透かし的にシマノのファイティングロッド、第4回が真打ミッチェル408と、合計20回続きました。

■いま読んでみると、熱いですね。このころの僕って燃えてたのね。下手だなあと思う面があるような、最近の自分の文章より生きてていいような・・・。

■5年前とありますが、原型を書いたのは90年くらい。よけいな部分を削り落とすのに10年かかりました。思い入れが強すぎたのですね。それもそのはず、「気がついたらレジに差し出していた」コメットを持ってその数ヶ月後、北海道に行くことになるのです。そこで釣ったのが、バックナンバー1に入っているイトウなのですから。

■一見本題と関係なさそうな話で始めてから本題に入り、最後に2つを結び付けて落す構成です。これ、じつは、モータージャーナリスト下野康史さんのマネです。やっぱマネはいかんなと思い、10回目か12回目で構成を変えました。もっとも、私のような無教養な人間がこれをやると、前振りに使う話がすぐに枯渇するので、必然的だったともいえますが。

■僕は下野さんの書く文章が大好きで、NAVIとかCG、その他の雑誌に載るエッセイがとても楽しみでした。岐阜に帰ってからのつまらない毎日の中で、「あ、今日NAVIが出る」というのが、ささやかな幸せでした。僕もあんな風に、ちょっとでもいいから人を幸せな気分にできたら、なんて素敵だろうと思ったものです。釣りの雑誌に書く原稿もそういうつもりで書きたいと思っているといったらカッコつけすぎですね。

■コメットの回は90年くらいに原型を書いたのですが、シリーズとしてどっさり書いたのはたぶん95年くらいかな。じつはあちこちの釣り雑誌に送ったのですが、挨拶の手紙もなしにコピーをどっと送りつけただけ。アホですな。当然採用なんてされません。バカですね。で、「これは雑誌が業界と癒着しているからだ」と思いこみ(いまこうやって書いてても救いようがないね・・・顔から火が出そうだわ)、なぜかNAVIの大川氏(誌面に名前の出る人だから名前を出してもいいですよね)に送りつけて、手紙で叱られたり・・・。

■で、まあ、その大川さんの手紙でちょっと襟を正して書き直し、週刊釣りサンデーに送ったのが、連載になったと。そんないきさつもあったりするのです。

■その原稿に目をつけたのは、当時週刊釣りサンデーの編集長だったH氏。いまは楽水舎という編プロをやってらっしゃいます。感謝してます。

■山の雑誌の話は、このサイトで時々出てくるスピードスピンなどを設計した原氏に聞きました。その雑誌は「岳人」だそうです。このシリーズにはかなり「原さんネタ」が入っています。シマノのシンガポール工場ヘ行っていた1ヶ月、同氏とリールの話ばっかりしていたときのものです。

■シリーズのタイトルは「モノ語り/マイナーリールの紳士録」。いまだからいいますが、「モノ語り」と最初聞かされたときは、正直「やめてくれえ」と思いました。ついでにいうと、10回目くらいから変わった「モノ語り」のホラーみたいなロゴは、いま思い出してもぞぞげが立ちます・・・っていったら失礼かな(「マイナー・・・」は私がつけました)。

■私、ディスプレーで文字を読むのがきらいなので、改行ごとに1行あけましたが、いまの人は慣れてるから、かえって読みにくいのかな?