お題カキモノ

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北海道から帰ってヤツは変わった。

そう、元々、ヤツが我が社で「難攻不落」と(いい意味で)恐れられていた泰子を雨にも風にも雪にも、そして、我が社の安月給にも負けず、口説き落とした辺りで大きな流れは変わっていたのだが。

そもそも、泰子は25歳ながら、大凡その辺に転がっている女子社員とは違い、「合コンで高めゲット」だの「ウチの会社のヤツは稼ぎ少ないから逝って良し」だの抜かさない、さりとてルックスも性格も地味過ぎない、「レッドリスト」で絶滅が危惧されてるようなタイプの女性なのだった。

ただ、特定の男性と付き合うという事は無い(らしい)。去年、一部総務課「お局情報局」が「常務との不倫疑惑」を(半ば恣意的に)ぶち上げようとしたが、情報操作に着手する直前に当の常務の方に情報がリークし、「お局一派の総元締めが11月に解雇される」という噂を呼んでしまった過去があったりするのだが(残念ながらそれも単なる噂で終った)。

ただ、泰子と友達付き合いをしている「穏健派」から、きな臭い情報が流れて来ない事からも「泰子聖人説」はいよいよ独身社員の中で高まり、誰が彼女の相手に相応しいのかが安居酒屋で討議対象になるほど「泰子祭」は過熱していた。ま、独身社員多過ぎなんだがウチの会社は。

そんなフィーバーの中、「泰子と北海道に行って来る。」と出し抜けに言いやがった…いやいや、言い出したのは安居酒屋で「超大穴:鈴木課長と不倫」という話より話題にならなかった営業3課の「ヤツ」だったのだ。ちなみに鈴木課長はヤツの直接の上司だったりもするんだが。

そのヤツの「勝利宣言」は瞬く間に会社中に知れ渡り、その後、ヤツと泰子が北海道に行くまでの2週間というもの「泰子は地味な男が好きだったのか」という後悔の嵐と「これからの持てる男のキーワードは“目立たない男”なのか」というジレンマの津波が安居酒屋を襲った。

のだがそれはこの話には関係など無く。

てな訳でヤツと泰子は金曜と月曜に有給休暇を取って旅行に飛び立った。

そして帰ってくるなりヤツは変わった。



ああ、やっと本論に戻れたな。



何と言ってもヤツは目立つようになった。今まで直の上司である鈴木課長も「お前は全くいるんだかいないんだか!。」「言われた仕事以外はできんのか!。」「仕事は自分で拾ってくるんモンダ!。」という「ヤツ専用小言」と言っても良かった台詞を使う事が出来無くなった。ヤツは自分で仕事を提案し、リードし、結果を残せるようになった。そして、これは俺にもマネができないんだが、客を「叱りながら怒らせない」という究極の呪文みたいな電話をかけるようになった。つまり彼は「出来る男」になったのだ。

それもこれも泰子の存在なんだろうなと言うのが残された俺達(鈴木課長含む)の率直な意見であり、羨ましさであった。



ただ、この間、昼休みのパスタ店で背中合わせの席に座っていた「とある女」の透き通った、それでいて感じのいい声が



「本当に男って馬鹿ね。ワタシ、『アナタのそれってどんなコケシより素敵よ』って馬鹿にしたつもりで言ったのに、まさかそれを誉め言葉だと思うなんて。」

「いやだ、店の事なんて話す訳無いじゃない。都合イイモン彼。」

「後は別れ方だけよね。」



とズケズケ話していて、それが泰子の声そっくりだったのは俺の気のせいだろう。つーか「コケシ」と比べられて喜ぶ奴だったのかヤツはとは思ったら少し笑えたが。

泰子本人かどうか確認しなかったのは俺の良心って事で一つ。