所沢の古道 所沢市に残る 鎌倉街道上道 青梅道 江戸道 をたどります。






「無理と道理」の二本立て 鎌倉街道 上道

 平時の道 旅の道理にかなう道
  鎌倉街道は武士専用ではなかったと思います。そう考えれば、
  集落と集落を結び、水の得られる安全なところを通るのは旅人の「道理]ではないでしょうか。
「いざ鎌倉」の道 無理を承知の急ぐ道
  高低差を度外視して、丘陵の稜線と谷間を一直線に抜ける道があります。
  また、江戸時代の新田開発が始まるまで原野だった荒原を突き抜ける道もあります。
 
「無理」を押してでも鎌倉へ急ぐ道。まさに「いざ鎌倉」の道です。
所沢市にはこんな「道理」と「無理」の2種類の鎌倉街道があります。
 (この分類は独善的で仮設でも何でもありません。ただ便宜的に呼ぶだけです。御笑覧ください。)

[道理]
<難所は避けるのが道理>

平時の道
 府中道→久米川宿→河原宿→入間川道

鎌倉での御奉公を無事終え、ほっとした思いで郎党らと故郷に帰る。
そんな想定をすれば、山を越え谷を越え荒野を駆け抜ける必要はありません。
道筋に沿って多くの神社や寺院があるのも道理です。

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東村山駅付近の鎌倉街道
東村山市の九道の辻より駅前をかすめ新宿線に沿って北に辿る道があります。

駅前からの府中街道が
志木に向かって右へカーブを始めたところ。
左斜めに鎌倉街道が分岐していました。
分岐に入ると道路左側民家の玄関わきに
「東村山市指定 旧蹟鎌倉古道」
の木柱が立っています。

一旦、広い道に合流し、道を失います。
北に進めば再び鎌倉街道が分岐します。

写真は二つ目の分岐から少し入った交差点で振り返ったものです。

説明板
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説明板記述の一部
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「市域鎌倉街道は、古代の官道である東山道にほぼ
平行して走っていたと推定される。
鎌倉化粧坂より府中を経て小平市境の九道の辻より、
現府中街道にほぼ沿って北上し、
八坂神社(前にまいまいずの井戸があった)、
東村山駅を過ぎ白山神社付近から西武鉄道にほぼ並行し、
東村山市と所沢市久米との境である勝陣場橋あたりより、
掘兼・入間川・男衾・上野国を経て信濃国に至る。」
          東村山市教育委員会
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熊野神社
熊野神社付近から所沢市の長久寺までの道筋は不詳です。
そこで、江戸時代には成立していた
江戸道を辿り所沢市側の鎌倉街道起点となる
長久寺に向かいます。

鎌倉街道熊野神社

二瀬橋
線路を挟んで反対側に「公事道」と呼ばれる道が北に伸びています。

「公事道」は埼玉県との境である二瀬橋で府中街道からの道と合流します。

二瀬橋上流側
柳瀬川と北川が合流しています。つまり二瀬です。

鎌倉街道二瀬橋
二瀬橋下流側

江戸道分岐
県道は真直ぐ所沢駅前に向かいます。
長久寺へは左に折れて斜めのショートカットに
入ります。




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長久寺
境内わきに「鎌倉街道」を示す石柱があります。
東村山市の熊野神社付近から所沢市側のこの石柱までの間が
不明となっている区間です。


鎌倉街道道標



不明区間の探索
県境とは面白いもので、
東京都の東村山市は鎌倉街道を北上して「勝陣場橋」まで記述し、
埼玉県の所沢市は南下して「勢揃橋」までを記述しています。
二つの橋をつなげばいいのに、ここも県境です。
残念ですが、この間は大きな遊水地になっています。
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鎌倉街道勢揃橋

<国土地理院の地理院地図「淡色地図」にポイント等を加筆したものです。>
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所沢市作成 「水害」のハザードマップ

二瀬橋から上流が浸水実績ありの水色に塗りつぶされています。
つまり、「二瀬橋」の両岸がボトルネックになり
浸水被害がでていることを示しています。
一方、「勢揃橋」は浸水被害の境界線上に架けられています。
「勝陣場橋」―「勢揃橋」のルートで
二瀬橋の難所を回避しているのです。
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<「新編武蔵風土記稿」の久米村の段には、以下の記述があります。 抜粋>
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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二
久米村
村内に二條の路あり、其一は江戸より青梅への路にして、久米川村より入りて
岩崎・上新井両村の間に達す、
一は所澤と北秋津との間にあり、是は江戸より所澤へ出る路なり、
又古の鎌倉道と云ふものあり、所澤・上新井二村の間より村内へかゝり
十二町餘にして野口村へ達す、道幅は今は纔に三四尺なり、



「無理」のあるルート 
 二瀬橋では柳瀬川と北川が合流し水量も深さも増しています。
 また、段丘面が両岸に迫る場所で、柳瀬川は蛇のように大きく蛇行を繰り返します。いわば「難所」です。

 実際、明治になり敷設された最初の鉄道「川越鉄道」も、二瀬橋で村民の反対に合い工事が中断しました。
  村民の反対理由が「柳瀬川の水害対策」でした。

   鎌倉時代、わざわざこうした難所を選んで通過するのには「無理」があります。
「道理」に合ったルート
 二瀬橋の難所と浸水被害の恐れもある場所を回避するため、
 
「道理」に合った「勝陣場橋」―「勢揃橋」のルートが選ばれたと推定されています。
 このルートであれば、二つの川をそれぞれ流量の少ない上流で渡たり、
 しかも直線的に長久寺に達することができます。



長久寺から河原宿(所沢)を経て「鎌倉街道 入間川道」に進みます。

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