鎌倉街道(羽根倉道)

 

所沢市は鎌倉街道の上道が市域を南北に縦貫している。

この上道と、東北方面を目指す中道とを結ぶ道がある。

所沢−志木−与野−大宮−上尾−蓮田を経て加須市方面へ向かう道である。

荒川を渡る場所は羽禰蔵(はねくら)になる。

以下は、「所沢市史上巻」からの引用である。

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「久米付近で鎌倉街道上道の本道から東北へ分かれて、柳瀬川に沿って北岸を

北秋津から上安松の石地蔵を経て城に至る街道」


鎌倉街道羽根倉道分岐点

長久寺山門付近が分岐点としておおよその位置になるのではないだろうか。

地図上では、長久寺から東へ延びる緑色の道がそれにあたる。

所沢市史地誌付図の<久米道>であり<引又道>である。

一方、オレンジ色の江戸道が柳瀬川(青色)を渡る橋のたもとの石標には、

東の上安松村と西の荒幡村への分岐が記されており、まさに

南北の道と東西の道の交差点をあらわしている。

黄色の鎌倉街道上道からの分岐は、この橋と緑色の道にはさまれた間にあったのであろう。

柳瀬川にかかる橋のたもとにある石仏群

上安松村 所沢村 久米村 上新井村 荒幡村の文字が刻まれている。


江戸道をわたり、北秋津から東に入ると柳瀬川北岸の段丘面が近づいてくる。

ここから柳瀬の城地区にいたるまで、柳瀬川が段丘面を削り

時には淵をつくり、時には崖を作りながら東に流れていく。

「新編武蔵風土記稿」の北秋津村の項には、曼荼羅淵(河童の伝説がある)の

記述があり、段丘と川との関係がから推し測られる。

道はこの川と段丘との間を続いていく。

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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二

北秋津村 柳瀬川

多摩郡の界を流、川の中央を郡界とす、久米村の方より来り、

流末は安松村の方に至る、幅十間許、砂利川なり、

この川持明地院境内曼荼羅堂の背後の淵、至て深し

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持明院 阿弥陀堂

或は曼荼羅堂と号す、弥陀は立像にて長三尺余、弘法大師の作なりと云う、

當寺の前に當れる崖下を柳瀬川流る、その淵至てふかし、

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路傍の石仏

 

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西武池袋線のガードをくぐる

左手(所沢駅)が段丘になっているため、

柳瀬川との高低差を土手で埋めている。

道はその下をくぐっているが、道幅が建設当時のままである。

この先が安松地区になる。

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上安松地区に入ると、通称「七曲り」と呼ばれる所沢市街からの道が合流する。

地区内は道が煩雑になり極端に細い道に迷い込んでしまうことがある。

写真の交差点は左から「七曲り」が合流している。

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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二

安松村

本宿 下宿

此二の小名は城村に北条氏照の城ありし頃

城下の宿驛のありし故に、此名起こりしと云、

柳瀬川

南北秋津村の南の方郡界を流れて下安松村に達す、

川幅五六間、冬の間は小名松戸の邊に土橋を架して往来に便す

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「新編武蔵風土記稿」にあるように、

安松は柳瀬川中流域の中で、道が集まり入間郡と多摩郡の

境にある重要な往来の要衝であったであろう。

特に、北条氏が八王子に城を構えてより

その性格は軍事的な意味合いも加わっている。

上安松の中心部分。正面の道を進むと

「新編武蔵風土記稿」にも記述がある「松戸橋」を渡り、

西武池袋線の秋津駅に出る。

道はクランク状に折れ曲がり、左手に曲がる。

この交差点には地蔵堂があり、地蔵菩薩のほかに馬頭観音や庚申塔石仏がある。

 

JR武蔵野線のガードをくぐれば、江戸道(小金井街道)との合流地点も近い。

 

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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二

下安松村

柳瀬川

上安松村より流来り、本郷村に達す、川幅五六間、

冬の間は土橋を架して往来に便す、

ここを渡れば多摩郡中里村に達せり

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江戸道(小金井街道)が所沢から清瀬に向かって

柳瀬川を渡る。これに柳瀬川沿いに進んできた

羽根倉道(引又道)が交差し、羽根倉道は川沿いの本郷道に乗り換える形になる。

道の名前が変わることから、鎌倉街道という性格は廃れ、

地元の連絡道という性格になっていると言えよう。

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「柳瀬川」という交差点からとても小さな道に入ると和田の延命地蔵がある。

この台座は道標になっている。

下安松1170−2付近

国土地理院 2万5千分の1地形図

宝暦3年(1753年) 地蔵菩薩

台座には、左「日比田道」 右「本郷道」と刻まれている。

本郷道は段丘下を進み、アカバケに出る。

「引又道」が柳瀬川右岸に渡り、清瀬市側(南側)の段丘上を進むのに対し、

「本郷道」は川沿いに柳瀬川左岸を進む。

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日比田道

日比田道に入ると柳瀬川左岸の急坂になり、武蔵野台地の上に出る。

小さくてもヘアピンカーブの急な坂である。

柳瀬川沿いには、このような坂が複数ある。

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 本郷道を進みアカバッケに出る。

柳瀬川が段丘に迫り、赤土の断崖を作っている。道はこの断崖と

川の間の狭いところをすり抜けるように進んでいる。

赤い崖(ハケ)という意味でアカッバケという地名がつけられている。

現在はコンクリートで覆われており、地名の由来である赤土の崖は見られない。

所沢市東所沢和田1-26 南方

国土地理院 2万5千分の1地形図

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アカバッケを過ぎると、道は本郷の集落に入る。

開けた左岸に「本郷」の名のとおり、

いかにも古くから居を構えているといった囲まれた家並みの中を

抜けるようになる。

集落の中心には東福寺がある。

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入間郡誌

或は本郷の名、安松郷の本地たりしに基くか。但今は安松の名

却て枝郷の地に冠せらる。元城村と一村たりしが、其後分合あり

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鎌倉街道

鎌倉時代、此地より鎌倉に達する道路あり。今僅かに田経として存す。

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この道が羽根倉道を指すかは確定できないものの、

古くからの村落で交通の要衝であったことは言えよう。

所沢市本郷687

国土地理院 2万5千分の1地形図

 

 

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本郷を抜けると、現在の道は段丘を登る坂になるが、そのまま川沿いの

道に進めば、字名もそのまま「城」という地区に入る。

この城は「滝の城」をさしている。

滝の城のほぼ真下にある地蔵尊。

ここからさらに柳瀬川に沿って進み、羽根倉の渡しに出るには3つの選択肢がある。

@ 右岸に渡り、引又道に合流し、右岸にそって柳瀬川を下る。

一般的な選択であるが、川を渡らなければならない。

A 左岸を進み、段丘と柳瀬川の隙間を抜けて坂ノ下に出る。

東川と柳瀬川の合流地点に出てしまう。現在道は無い。

B 左岸の段丘を上り、段丘上を進んできた道に出て坂ノ下に出る。

七曲の急坂を上らなければならない。

所沢市城400付近

国土地理院 2万5千分の1地形図

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@ 右岸に渡り引又道に合流する。

城前橋を渡れば、清瀬市側に出る。渡れば右岸の引又道に出るので、

志木に出て新河岸川の舟運を利用できるが、羽根倉には遠回りになる。

流通の面からは最も一般的である。

 

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A 左岸をそのまま直進する。

滝の城のある段丘の真下と迫る柳瀬川の間をすり抜ける選択である。

現在は滝の城公園になっていて、徒歩で公園を抜けることになる。

しかも、抜けた先は東川が合流する地点になっていて、

城を構えるには最適でも交通路としては最悪の条件である。

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B 左岸の「七曲」を上る。

現在は最も確実な道であるが、

自動車のない往時、わざわざ登って再び坂ノ下に下る選択は無いように思える。

左岸の坂道はどこも急坂で、

ここまで坂を避けてきた道としては避けたい選択である。

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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二

城村

「七曲坂」

城跡の西にそひて屈 せる坂たり、

其曲折七段あり、ゆへにかく呼べりという、

七曲の屈曲を上れば、滝の城の上に出る。

滝の城は

八王子の滝山城の城主北条氏照の持城で戦国時代に

軍事上の道としての重要度が増している。

鎌倉街道の上道や中道が南北の方向性を持ち、鎌倉を目指していたのに対し

羽根倉道は東西を結ぶ連絡道であったため、鎌倉幕府が滅びた後に

かえって重要性が増したといえよう。

城跡の本丸には愛宕神社がある。

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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二

城村

北條氏城蹟

絶頂本丸の跡とおもはるる所より望めば、多摩郡清戸のあたりを眼下に見。

それより江戸の方への望ことによく開けたり、

 

 

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武蔵野話 絵図

 

この絵図を見ると「七曲坂」は「カワゴエミチ」と記されている。

また、川沿いに「サカノシタミチ」が延びていることがわかる。

東川との合流部分をどのように越えているかはわからないが、

本郷村から城村をとおり、坂ノ下村へ抜ける道があったといえよう。

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「新編武蔵風土記稿」

巻之百五十七 入間郡之二

坂下村

村の地すべて低く城村の方より来ればよほどの坂を下る故に

村名をかく呼べるなるべし、

鎌倉坂

村の東の方にて北より南へ下る坂なり、

思ふに古の鎌倉海道の中なるゆへかく唱ふるならん、

此坂の中程に明徳年中の古碑一基たてり、其来由を詳にせず

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坂ノ下村は所沢の最も東の地区である。

現在も川越街道・国道463号が交差する英インターがある。

また、関越自動車道所沢ICもすぐそばにあり、交通の要衝である。

坂ノ下から先は柳瀬川が荒川の広大な河川敷の中を流れるようになり、

文字どおり坂ノ下から先は平らな道が羽根倉までつづく。

左岸の段丘もわずかな高さとなって続くが、

それも富士見で没し、道は広大な水田の中を

羽根倉の渡しを目指すことになる。

所沢市坂ノ下

国土地理院 2万5千分の1地形図

 

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