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Brian Littrell -- 歴史


History

1975年2月20日午前1時37分,ケンタッキー州レキシントン南方にあるSaint Joseph Hospitalで,Littrell夫妻の次男として生まれる。

生まれつき心臓に穴が開いていて,心雑音がきかれた。5歳の時に些細な事故で病状が悪化するが一命を取り留める。その後順調に回復したかに思えたが,18年後,仕事のキツさからか穴が大きくなっていることが発覚し,1998年にツアーの合い間に穴をふさぐ手術を行なった。現在は回復している。

歌うことが大好きなBrianは,小さな頃からお母さんと共にBaptist系の教会に通い,聖歌隊にも参加。歌のうまさを発揮していた。

またスポーツも大好きで,初めて好きになったスポーツはサッカー。その後バスケに出会いバスケが大好きになり,ケンタッキー大学のバスケットボール・プレイヤーになるという夢を持つようになる。しかし,身長が低い為にその夢は断念せざるをえなかった。

1993年4月19日。高校でアメリカ史の授業中にフロリダ州オーランドにいるKevinから電話があり,バンドに誘われた。「本当にパニックだったよ。何か悪い知らせだと思ったからね。でも,Kevinの声を聞いて安心したんだ。彼がフロリダに行ってしまってからというものあまり連絡を取っていなかったから驚いたよ。電話では,Kevinがバンドのことについて色々と話してくれたんだ。フロリダから電話があったから,真剣な話だって確信したよ。」

その夜Lou Pearlmanから電話があり,BrianはLuther Vandrossの「Here and Now」を歌って聞かせた。「是非オーディションに来るように」と誘われ,Louが両親には勉強は家庭教師をつけて卒業できるようにすることを約束。

Brianは翌朝6時の飛行機に乗ってオーランドへ向かった。「前から,歌には自信があったけどエンターテインメントの世界で活躍するとは思ってもみなかったよ。飛び上がるくらい嬉しかったね。」

オーランドで行なわれたオーディションに合格し,4月20日,Backstreet Boysが誕生した。


子ども時代

※母曰く,幼い頃のBrianは「凄く静かで大人しくて,しかめつらしい赤ちゃん」だったそう。成長すると,「本当に手におえない子だったわ。いつも何かしでかして,私の忍耐に挑戦してるのかと思うくらいだったのよ。」母に「危ないから通りに出ちゃダメよ」と注意されると,すかさず庭の端まで行って片足だけを歩道にちょんと置いてニヤッと笑っていた。

※「子供の頃いつもママに,もし嘘を1つついたら,その嘘から抜け出すために4つか5つの嘘をつかないといけなくなるよ,って言われていたんだ。」

※Brianが新しいおもちゃを買ってもらうと,兄とKevinに取り上げられてからかわれてた。

※入院していた5歳のとき,退院したときにバナナ型のサドルの黄色と白の自転車をもらった。

※Landsdowne小学校に入学。入院と療養のせいで他の子よりも1年遅れて小学校に入学。それは少しショックだったが,もともと小柄だったBrianは,「1年遅れたせいで僕はかえって自信がついたと思うよ。」と語っている。

※この頃の得意技は,当時人気だったテレビ番組「イン・リヴィング・カラー」のジム・キャリーの物マネ。

※教会ではじめてソロで歌ったのは7歳の時。4000人はいた教会の聖歌隊メンバーの中でソプラノのソロに抜擢された。1500人の前で歌い,そのことにより内気だった性格が変わった。その後数々の結婚式で歌って欲しいと依頼を受けるようになる。よく歌っていたのは『Heaven』という曲。この頃のBrianを町の人たちは「ブロンドの小さなシンガー・ボーイ」と呼んでいた。ちなみに教会のバスケ・チームでも活躍しており,アメリカのバスケ選手Tom Seaverにちなんで「Seaver」というニックネームもつけられていた。

※10歳の頃,枕カバーを頭に被ってロン毛に見立て,手に懐中電灯を持ってJon Bon Joviのまねをしている写真を撮った。

※12歳の頃,ふざけてテーブルに頭をぶつけて大怪我をした。今でもそのときの傷は痕になって残っている。


高校時代

※Tates Creek High Schoolに入学。

※将来子どもが生まれたら名前はDevonと付けようと思っていた。

※中・高とバスケ部に入ったが,背が低かったため高校の選抜チームには入れなかった。「僕はバスケの盛んなケンタッキーで育ったから,大学のバスケチームに入って,寝ても覚めてもバスケをしていることをずっと夢見ていたけど,背が小さいから諦めたんだ。」母はよく息子に「仕方ないわよ,きっともっと他に才能があって,バスケよりそっちに進むべきなのよ」と励ました。

※バスケは諦め,高校の聖歌隊に入る。「教会で歌うことは喜びそのものだった。結婚式やパーティーでの歌の依頼がどんどんと増えていったんだ。大体は教会で歌われている歌を3〜4曲歌っていたけど,Luther VandrossやBoys ll Menも歌ったよ。そのギャラは70ドルで僕にとっては大金だよ。僕は歌うことが大好きだったから,高校の聖歌隊の仲のいい3人で活動を始めたんだ。」

※聖歌隊の顧問の先生はBrianについて「初めてBrianの歌声を聴いたのは,彼が「エーデルワイス」を歌っていたときです。凄い!なんだこの声は!と驚きましたね。突然スリルを味わった,そんな感覚でした。その声なら歌ってお金が稼げるようになるぞと彼に言ったものです。」と語っている。

※高校2年の時にすでにオハイオ州にあるCincinati Bible Collegeの音楽科への奨学金を約束されていた。

※学校で友だちとよく語り合ったのはラジオのトップ40に入るポップの話ばかり。初めて買ったレコードはクール・アンド・ザ・ギャングのもの。

※学校の舞台『グリース』でロジャー役を演じ,ステージ上でいきなりズボンをおろしてパンツを見せた。「高校の芝居だったからああいうことしてもおもしろいかなって思って(笑)演技はあんまり得意じゃない。」だがこの舞台でのBrianは友人によると「彼のダンスは凄かったわ。ただちょっとステップを踏むだけで良かったシーンがあったんだけど,物凄く上手に踊ってみんなビックリしたのよ。」ということ。

※15歳で初めてバイトしたのは,教会で結婚式の準備を整える仕事。

※16歳の時,お兄さんが乗っているような車が欲しくなった。1年の間お母さんと話し合い,その結果「働いてお金を貯めなさい」と言われ,地元のLong John Silvers(シーフード・レストラン)で1年半バイトをした。
・「バイトして帰ってくると,いつも猫が擦り寄ってきて僕のそばで寝てたよ。ほら,猫って魚が好きだろ?僕凄く魚臭かったから(笑)その猫,僕が初めて飼ったペットなんだ。ミッシーっていうの。ミッシーはミスチフ(いたずら)の略だよ(笑)」
・バイトでの失敗談「ある日,会社の偉い人がチェックにやってきたんだ。僕はいつものように裏にいて魚を揚げてた。いつも以上に用心深くね。でも小麦粉や卵を入れてある大きなバットにぶつかっちゃってこぼしちゃったんだよ。しかもそれが彼らの一人の方へ流れちゃって!止めようとしたけど遅かった。彼のスーツやズボン,靴にまでかかっちゃったんだ。僕はエプロンを取って,「もうクビだ。」って思ったんだけど,ボスはただ「モップを取って来い。」とだけ言ったんだ。」

※週末には教会で,平日には学校帰りにLong John Silversでバイト。この他,地元のチャーター・リッジ・ホスピタルで雑用のバイトをしたこともあるらしい。

※そして買った車は,黄色&オレンジの日産のピックアップ。友だちに,「Bleeding Banana(血まみれバナナ)」というニックネームをつけられたらしい。

※17歳の秋,友人と学校のタレント・コンテストに出たことがある。教会で歌う『Another Time, Another Place』をデュエットした。
「僕が歌い始めたとき,女の子たちがキャーキャー叫ぶんだ。信じられなかったよ。だって,コーラスの授業で何度も僕の声を隣で聴いている女の子までこの騒ぎよう。こんなの初めてだったから僕に出来たことと言えば,赤面とスマイルだったよ。」


BSB時代

※BSBに入ってすぐからヨーロッパツアーが始まるまで,ロスのユニバーサルスタジオ近くのアパートでKevinやHowieと共同生活を送っていた。3部屋あり,それぞれ自分の汚したものは自分で片付けることにしていたそう。

※その後98年頃まではAJと同じアパートに住んでいた。ツアー中のホテルではNickと同室になることが多かった。

※昔Howieとよく,バーバラと名づけられた羊のぬいぐるみで遊んでいた。お互いのベッドにバーバラを忍び込ませたり,バーバラでお互いの頭をポコポコ叩いてはふざけあっていた。ある時,Brianが疲れて自分の簡易ベッドにぐったりと横たわっていたのだが,彼を元気付けようと思ったHowieが,いつもの調子でバーバラを使ってちょっかいを出した。すると,Brianは怒ってHowieを叩いてしまった。「すぐに凄く後悔したよ。Howieにはかなわないな。あいつに怒るなんてこと,出来ないよ。本当にすっごくいいヤツだから。」

※アルバム『Black&Blue』のタイトルを思いついたのはBrian。
「タイトル決めるのは実はかなり迷ったんだよ。あらゆるジャンルをカバーしてる僕たちの音楽を一言で言い表すいい言葉がないか,ずっと何週間も探してたんだ。あれは,写真撮影の時だったね。5人が黒の服を着て,背景が青だったんだ。それでこの天才的な僕のこと,『Black&Blue』という言葉が閃いたというわけ。傑作だろ?(笑)メンバーも賛成してくれたし,大人っぽくて,よりアーティスティックで,かつハードな響きでいいタイトルだと思ったんだ。」

※2000年11月に行なわれた,『Black&Blue』のプロモーションのために,世界5大陸6都市を100時間でまわるという企画「Around The World」の発案者はBrian。
「今まで誰もやっていなかったような,何かクールなことをやりたかった。訪問先は,長い間行ってなかった国や初めて訪れる国を中心に決めたんだ。僕たちの成功は世界的なものだから,世界中を巻き込んで何かやろうと考えたんだよね。」

※'01年9月に出席したMTVVMAで,司会のジェイミー・フォックスがシャンペンボトル片手にAJのアルコール依存症を皮肉った。その発言に,BrianはCM中「さっきのはちょっとひどいんじゃないかな?」と抗議した。

※'03年春,愛車のBMWをオークションに出す。'01年型のシルバーのBMW Z8(2ドア)で,走行距離は2463マイル(約3900km)。落札価格は8万9000ドルだった。


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