20030806 核の落ちた日に

 58年前の今日、広島に原爆が落とされた。3日後には長崎に……。事の是非は絶対悪に決まっているのだから、それ以上何をか言わんや、である。あれが実験だったというのは、もはや有名な話であり、その証拠はアメリカの公文書に記されていることを初めとして、色々と出てき始めている。行為自体の絶対悪はともかくとして、行為の主体者たるアメリカ合衆国が引き起こさせた第二次世界大戦と太平洋戦争についての解釈も、欧米とそれ以外の国々の政治的地位が対等になった時、改めてなされるであろう。
 自分がかつて書いた小説(1995〜96年)では、20世紀の間に核兵器がテロに使われる事になっていたが、幸いそんなことも起こらずに、今のところは一安心である。というか、その小説では、23世紀になっていても、国民国家という概念の産物が存在し、戦争といえば、国家と国家のぶつかり合い、という性格のものとして捉え、それが続くのだろうと思ってきた。
 それが例の9.11によって、世界の相(フェイズ)が一気に変わって(シフトして)しまった。国家対国家であると信じていた戦争が、国家対組織、国家対個人になってしまった。
 しかし、考え方によっては、国民国家という概念が崩れ始めている、とも捉えられないだろうか。21世紀のテロは、明らかにメディアの発達によってもたらされたものである。
 インターネットは、情報という面においては、それを国家を初めとした大組織の独占物ならざらしめた。全てではないが。
 インターネットというのは中心という概念の不在である。どこでも、誰でも、中心となることが出来る。
 9.11というのは、犯罪であることには変わりはないが、社会も、世界も、その「相」が既に変わっていたことを気付かせた象徴的な事件だったのではないだろうか。などと、今更ながらに思うこの頃である。
 本当につれづれなるままに書いてしまった。最初と内容がずれている……。