20040814 終戦記念日一日前

 明日は8月15日。世間では「終戦」記念日である。歴史上では、日本がポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した日なのだが、疑問なのは何故「終戦」なのかである。「敗戦」なのではないだろうか。
 まあ、「敗戦」を記念したくもないのは判らないではないのだが、そこまで体面が大切なのかね、と思ってしまう。もっと歴史的事実を素直に受け入れればいいのに。
 さて、15年くらい前から書店のノベルズの棚には「架空戦記」モノが沢山並んでいる。大抵は第2次世界大戦をネタに、日本がアメリカに勝つ、という内容なのだが、日本がアメリカに勝つにはどれだけの条件が必要なのだろうか。読み物としては、カタルシスが得られるかもしれないが、現実に可能だったかどうか、と考えると「……」である。
 ただ、だからと言って、それらを一概に否定する必要はないと思う。
 大切なのは、そういった物語を利用してどれだけ思考することが出来るか、ということなのではないだろうか。想像の翼を広げて、どれだけシミュレートするかである。それこそが、これからの時代、個々人の資質として必要なのではないだろうか。
 さて、もし日本が先の戦争で、8月15日を迎えられなかったら、現在の日本はどうだっただろうか。もし日本が勝っていたら……。
 当然、当然、軍事独裁体制が続いていただろうし、そうだとしたら、まだ日本は戦争を続けていたのだろうか。大東亜共栄圏の美名の下に日本は東アジア、東南アジアの各国を占領し続けているかもしれない。更にその他の地域にまで手を伸ばしていたのかもしれない。
 それとも、大東亜共栄圏の美名を現実にすべく、占領した各国を正式に独立させるかもしれない。欧米の植民地だったアジア諸国を独立させるというのは、歴史的に正義と見なすべきなのかもしれない。
 現実には日本は負け、日本が占領した各国は宗主国から独立を勝ち得た。それはどう評価されるべきなのだろうか。かといって、日本の行為を正当化すべきではない。他人の家に土足で踏み込んで好き勝手にやったのだ。非難されるべきだろうし、裁かれるべきだろう。それと同時に、欧米はどうなのだろうか。それ以前の宗主国たる欧米は非難され得ないのだろうか。
 どちらにせよ、日本が勝っていたら、今の自分は徴兵されていただろう。そういう年齢である。こんな風に好きに絵を描いたり、好き勝手にほざいていたり出来ないだろう。
 日本は59年前、敗戦した。だからこそ、このような生活が出来る。だから、日本は負けて良かったのだろう。
 もし勝っていたら、ドラスティックな改革はされ得なかっただろうし、負けたからこそ、日本の体制は変わって(変えられて)、こういうことをしていられる。それはそれで喜ぶべきだろう。
 日本は、お陰で、国家として精神分裂を来しているとは言えなくもないが、それはいつか克服できるはずである。それが出来るのも、擬似的であれ、平和である時代だからこそである。
 我々は良い時代に生きている、と思いたいものである。