20040911 あれから3年

 2001年の今日、同時多発テロが起きた。確か、ニュース23を見始めた時、一機目が世界貿易センターに突入した直後、だったかな。それとも、特番だったっけ。
 とにかく、ニュースを着けた途端、「ジャンボジェットが激突した」旨の放送だった。その時は「何やってんだ?」という、驚きと同時に、呆れていたものだったが、続いて二期目、ペンタゴン、墜落と続いて、漸くテロだということが実感できた。
 その数日後、「自分だったら、あと5〜6機は突入させていた」と話す機会があったが、後になって、計画段階ではもっと規模が大きかったらしい……。
 私は趣味で小説を書いているが、『MASAMI』という作品の「EPISODE FINAL」で近未来の歴史を描いた。1998年だった。作品の舞台の時代は23世紀だったが、その作品では、23世紀になっても、「国民国家」や民主主義の暴走した結果(?)としての「帝国」が戦争をしている設定とした。要するに、戦争が「国家」対「国家」のものという世界観だった。
 それが、現実には3年後に911である。国家間の戦争は大分鳴りを潜めてしまい、国家対テロ組織、極端にいえば、国家対個人になってしまった。完全に読みが外れてしまった。
 911以降、世界の相が完全に変わったと考えて良いのだろう。
 だが、対テロ戦争を仕掛けているアメリカを初めとした欧米諸国が「正義」だとは思えない。
 ああいったテロって、余りにも巨大で強大な相手に対して、唯一出来る反撃だったのかもしれない。言わば「窮鼠猫を噛む」ということではないのだろうか。
 それに、いわゆる第3世界(この言い方だって、傲慢だ)の混乱の大元は、欧米諸国の植民地支配が原因だし、冷戦下では代理戦争の舞台とさせられたし、現在だって、欧米の経済概念を押し付けて、自分の都合の良いようにしている。もともと圧倒的に経済力の差があり過ぎる弱者に自分の都合の良い強者のルールを押し付けるのだから、反感を買うのは当たり前である。
 だからと言って、テロを容認するつもりは一切無い。してはならない。
 時代が再び、問題解決の手段として力の行使を認める方向に行っているのは、凄く怖い。
 人類はもっと理性を鍛えなければならないと思うのは、考えすぎだろうか。