200510117 あれから10年

 兵庫県南部地震、いわゆる阪神淡路大震災から、10年が経過した。
 その当時、私は大学の4年生で、卒業論文の提出期限が迫っていて、ひーこらひーこらワープロのキーを叩いていた(パソコンはまだ未使用)。
 朝5時40分頃、ふと目が覚めた。まだ地震は起きていない。ぼけーっとしていたら、揺れ始める。地震である。
 名古屋は震度3。幸い私が住んでいる家に被害は無かった。
 大学に行ってみると、地震の報道。
 一日に1000人ずつ死者が増えていくニュースを見て、慄然としたものである。結果、死者6000人超。私がリアルタイムで知る限り、日本で最大級の災害になった。
 その後はニュースで知るとおり。
 復興が待たれるばかり。自分に何か出来たことは……無かった。
 2001年、神戸を通る機会があった。鉄道の窓から見るだけの神戸だったが、6年が経過していたとしても、何か戻っていない感じがした。それが具体的に何であるかは判らない。
 2003年、仕事で神戸の町を直に見る機会があった。外見だけは復興しているように見えた。しかし多分、人々の心の中には震災の傷が残っているはずである。
 2004年末、新潟中越自身、スマトラ沖地震と大津波が発生。
 2005年、阪神大震災から10年経過と相まって、東海地震、東南海地震、南海地震が俄然注目されている。三つが同時に起これば、スマトラ沖地震の震源に匹敵する範囲になる。津波は引き潮なしに襲ってくる側になるはず。ひょっとしたら、チリ津波の逆で、チリにまで津波が届くことになるのかも。
 太平洋岸一体は壊滅状態になるのかも。
 もし、三つの地震が同時に起こったならば、さらに相模湾で周期的に起こっている地震もその周期が来ているので、4つ同時に起こったら、首都圏から九州まで大被害を受けることに。
 その時、富士山の噴火は大丈夫かな、と思いつつ。地殻にこれだけの衝撃があったら、何らかの変化が起こってもおかしくないかも、と素人考えもある。
 この国は戦後からやり直すことになるのかな。
 自分も含めて、今の日本人にそれだけの気力があるのかな、と考えてしまう。
 今は、阪神淡路大震災の被災地も、新潟中越自身の被災地も、ハード(インフラ)も、ソフト(人)も、一刻も早い復興と、克服を願わずにいられない。
 本当は、神戸の事実と現実を知ると、偉そうなことは書けません。
 ただ一つ言えることは、生き残った者は、生き残った責任と義務を果たすことだけなのかもしれない。