20050215 モビルドール

 もう10年も前になるんですね、『新機動戦記ガンダムW』。放送当時は、大学院修士課程の1年目だったかな。美術科教育学会の大会に行った日に、最終回だった気がします。そういえば、学会の大会にも行っていないなあ。
 それは良いとして、『ガンダムW』には、当然の事ながら、モビルスーツが存在する。それと同時に、モビルドールという、パイロットの必要のないモビルスーツが出てきた。
 トレーズ・クシュリナーダ曰く、「人の血の通わぬ兵器が戦う。それは戦争ではなく、殺戮に過ぎない」。こんな内容だったと思うが、とにかく、彼はモビルドールの導入に反対した。
 戦場で人間性を求めるのは、ある意味ナンセンスなのかも知れない。だけど、戦場で人間が人間であり続けるための要素というものがあるはずである。それが血を流すことや、それに対する恐怖なのかも知れない。
 それらが失われたとき、戦場は殺戮の場と化すのではないだろうか。
 もっとも、戦争の知識といえば、湾岸戦争とアフガン戦争、イラク戦争くらいな私にとって、勿論、現実の戦場など知るはずもない。
 さて、今日のニュースで、アメリカ軍が超小型の戦車に機関砲を取り付けたような兵器を開発し、イラクの戦場に投入するらしい、という話を聞いた。アメリカ兵の犠牲をこれ以上増やさない、というのが目的らしい。
 確かにアメリカ側の意見としては、合理的ではある。
 だけど、それを投入される側のイラクの人々にとってはどうだろうか。人の血の通わぬ兵器が戦場を我が物顔で蹂躙する姿を見たとき、どう思うだろうか。
 『ガンダム』のアムロ=レイが言ったように、「相手がザクなら人間じゃないんだ」という感じようになるのだろうか。それとも、人間性のない兵器の姿に恐怖するだろうか。
 ただ、自らは安全な後方にいて、前線には血の通わぬ化け物が生身の人間を虐殺する。それが常態化したとき、後方の安全な場所にいる者達にとって、人の命はどれ程のものになるのだろうか。
 どこの国でも、戦争を賛美する者は、自らが危険な戦場に行くことはない。だから、兵器で他者の命を奪うことが出来る。
 前線の兵士が持つ血と恐怖こそが、唯一、戦場を無差別虐殺の場としていないのではないかと思ってしまう。
 流血と恐怖がイヤならば、戦争などしなければいいのだ。
 アメリカの政治家達は、『新機動戦記ガンダムW』を一度、しっかり見てみる必要があるのかも知れない、と思ってしまった。日本では、10年前に、既に無人兵器に対する提言を行っているのだから。
 戦場がテレビゲームと化する、という反対意見があったのがせめてもの救いでしたが。
 ちなみに、『超時空要塞マクロス』シリーズでも、ゴーストという無人戦闘機があったっけ。『マクロス・プラス』では、その発展形であるゴースト9(だったと思う)が出てきて、圧倒的な強さを見せつけていた。
 血の通わない無人兵器と有人の戦闘機の戦い。その物語では相打ちに終わったけれど、薄ら寒い思いがした。