旅の終わり
ノルマンディー上陸作戦からちょうど50年に当たったその年のGW、私はサイパンへ行った。
その旅行中、私はタクシーの運転手と話をつけて島の主な観光スポットを廻ってもらうことにした。
バードアイランドと呼ばれる紺碧の波間の小さな島やSuicide cliff(別名バンザイクリフ)。かつて戦争があった場所。観光客を案内できるような場所はあまりないらしく、そういったところを何箇所かまわっただけで、ほんの数時間ほどで観光は終わった。
帰国してからのことだった。
どういうわけか体調が優れない。疲れが出たのかとも思ったけれど、旅行も仕事も、別段ハードスケジュールというわけでもなく、疲れる理由が見当たらなかった。
理由もないのにとにかく体が疲れて、やたらと肩の辺りが重苦しく痛かった。顔色も悪くなったようだ。休んでもまるですっきりしない。
そんな状態がほぼ一ヶ月続いたある夜のことだった。
何時頃だっただろうか。家に一人でいた私は、おかしな物音に気付いた。
がりがりという、何かを引っかくような音。それはベランダの方から聞こえていた。
窓を外から何かで引っかいているような音だった。気付いてからもずっと止むことなく続いている。
何かが風で窓ガラスに触っているのだろう。そう思ったけれど、いつまでも延々と続くその音は、私を無関心のままに居させてはくれなかった。
最悪の想像は、「ベランダに変質者」。それを考えるとさすがに心の中に恐怖心が沸き起こった。でもここは二階だ。人が居る、という可能性はどう考えても低い。傷ついた鳥でもいるのかも知れない。
私は自らを奮い立たせて窓に近づいた。閉めていたカーテンを一度ほんの少し開けてから、思い切って大きく開けた。
何もなかった。
窓を全開にして、辺りを見回した。何もない。そこには窓ガラスに触れるようなものは何一つ存在してはいなかった。
もう音は聞こえてこない。ただ生温かい風が私の頬を撫でた。
私は窓を閉めて鍵を掛け、きっちりとカーテンを閉めた。もう寝てしまおう。それが一番だ。
そして、その夜、私は奇妙な夢を見た。
乾いた大地、ところどころに生い茂る背の高い雑草。強い陽射しが照りつけていた。
そんな景色の中に私はいた。
近くに褐色の肌の子供と、その母親らしき同じく褐色の肌の女性が幼子を抱いていた。
母親らしき女性が子供に何か言っている。そして足早にその場を離れ、近くの段差に身を潜めた。
崖、と呼ぶには低すぎる1m程の段差があり、私も親子の後を追ってそこに降りた。
その親子には私の姿は見えていないようだった。母親は私を振り返りもせず、しっかりと二人の子供をその腕に抱き、動かなくなった。
私は何かがざわめいたような気配を感じ取り、身を潜めたままそっと辺りを窺った。
一人の日本人らしき男性がいた。軍服を着ている。そして数人の白人の男性もいた。やはり軍服を着ていて、どうやらアメリカ兵数人が一人の日本兵を追い詰めたところ、という感じだった。
相変わらず強い陽射しが降り注いでいた。背の高い雑草の緑が風に揺れていた。
私は、日本兵の首がその軍服を着た体から離れ、高く宙に舞うのを目の当たりにした。
そして、夢から覚めた。
目覚めてからも生々しい感触の残る夢で、その夢はなかなか私を解放しなかった。
でもその夢以来、どういう訳か私の体調不良はどこかへ消えてしまっていた。一ヶ月も悩まされていたというのに。
ある時、何気なく見たTV番組はD−Dayから50年ということで企画された特別番組だったと思う。
見るともなしにそれを見ていた私は、ある瞬間はっとした。そのブラウン管の中に、夢に見た景色と酷似した風景が映し出されているのを見た瞬間、心臓が激しく鼓動した。
第二次世界大戦当時のサイパンの映像だった。
乾いた大地と点在する背の高い雑草。夢の中で私がいた場所だ、と思った。そこは沢山の日本人が命を落とした場所だった。
私は彼の役に立っただろうか。
遠い戦地で命を落とし、帰り道を失った彼は私と一緒に祖国へ帰って来たのだろうか。
それとも私に起こったことは、私自身の単純なイマジネーションでしかなく、今も尚、多くの戦死者は遠い旅路から帰ってはいないのかも知れない。
私はそれ以来サイパンを訪れてはいない。
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