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どこかの空のうえ

 の上、というのはボーイング747の機内のこと。私はそこで、一人のおばあさんに出会った。
 「おばあさん」と呼ぶのは相応しくない女性だったけれど、彼女の七十歳(確か、そうだったと思う)という年齢からすれば、そう呼ぶのが普通だと思う。
 けれど彼女は、「おばあさん」でもなければ「おばさん」ですらない、少年のような茶目っ気を感じさせる大人の女性だったのだ。
「私の友達は若い人ばかり。だってその方が話していて面白いじゃないの。年寄りよりも若い人の方がずっと話が面白いから、私は五十歳以下の人としか友達にならないのよ」

 その時は、そうだろうか、お年寄りの中にも面白い人はいるんじゃないかなあと思ったけれど、やっぱり彼女の言うことは結構当たっているのかもしれない。
 私自身、自分よりかなり年下の人間と話をすると、「幼稚だな」と思う部分がある反面、その人生に対する楽天的な捉え方や、自分を動かすエネルギーを眩しいと感じてしまうことがある。
 例えば、何になりたい、とか、何をしたい、とか。出来ると思っているうちは実現する可能性があるのだ。そういう楽天性が必要な場合もあるのだけれど、それは少しずつわれてゆくものかもしれない。


 楽天性といえば、彼女はかなり楽天的な人だったと思う。
 ホノルルから成田まで、私たちはほとんど喋りっぱなしだったけれど(これも私には珍しいこと。話が弾む相手は限られている場合が多い。と言っても、喋っていたのはほとんど彼女だった)、そのすべてを笑って話していた。
「年をとるっていやよねえ」
とか、
「私の父親はそれは厳格な人だったけれど、女癖は悪かったのよ」
なんて話を楽しそうに話した。
 彼女は別に、七十歳というその年齢までつらい思いをしたことがない、というわけではないと思うのだけれど。

 色々な話を聞いて、彼女の父親という人は、多分議員か何かだったのだろうと思った。彼女は父親の職業を言わなかったけれど、そう思った。息子はカメラマンらしい。写真を撮るのか、映像を撮るのかはわからない。
「孫が、おばあちゃんはどこの家のおばあちゃんとも違う、変わってるって言うから、じゃあ七十歳になったら普通のおばあちゃんになるって言ったら、そのままでいいって言われたわ」
 もちろん、彼女は普通のおばあさんになんかなれない。

 家は杉並なの、今度遊びにいらっしゃい、と彼女は言った。でも私は、彼女とはまた、どこかの空の上で会えるような気がしているのだ。
 何時間も話すうちに、彼女の楽天的な性格が移ってしまったのかもしれない。



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