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[カタハネ]
幸セノ丘 |A5|P20|¥0 / FREE|
幸セノ丘
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1 —アンジェリナ—


「ベル!」
 名を呼ぶと、建物の陰でぱっと顔を上げる小柄な少女。少し手持ち無沙汰にもてあそんでいたカバンの持ち手を持ち直して、こちらを見上げる。
「アンジェリナ!」
 そして笑顔を浮かべたかと思うと、あたしの名前を呼びながら嬉しそうに小走りに駆け寄って来る。
 淡いお月様のような色をした柔らかな金髪が肩の上で揺れ、優しげな笑顔を見せる。彼女の少しおっとりとした性格とほがらかな笑顔は、人を元気に、そして温かい気持ちにさせてくれる。もちろんそれはあたしに対しても例外ではない。
 ふんわりと波打つプラチナブロンド。青の都の海のように輝くエメラルドの瞳。真っ白な肌。小さな手。幼さの残るあどけない表情。——そのどれをとっても愛くるしい。
 けれど、彼女はもう五〇年以上も生きているシュエスタ——『人形』であり、あたしよりもずっとお姉さん、なのだ。
 シュエスタとは別名シスターと呼ばれるこの国に古くから伝わる技術によって生まれた存在だ。『調律』によって学習し、人間と同じように食事をし生活をする。ただしベルほど精巧に作られた人形というのはとても少ない。人形とはとても高価な存在なのだ。
 そして彼女たちは、精神的な成長はしても身体的な成長は一切しない。
 だからお姉さんといっても、そんな印象はまったくと言っていいほど受けない。どちらかと言えば、ちょっとしっかりものの妹、といった感じなのだ。元々外見が幼いので、どこか達観しているのに、その姿はやっぱり妹のような印象を受けてしまう。だから彼女といると、ついつい年上ぶってしまう。
 今だって長く待たせてしまったにもかかわらず、文句ひとつ言わずにこにこと微笑みを浮かべている姿は、孤児院でアタシの帰りを待つ「妹たち」にどこか似ていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって。中々話題が途切れなくて——」
 今日はあたしが出演していた舞台の千秋楽だった。打ち上げは昨日の終演後に済ませていたけれど、やっぱりみんな名残惜しくて、楽屋で話し込んでしまったのだ。
 彼女は、宿泊しているホテルで先に待っていてというあたしの言葉に首を振って、観劇後、そのまま劇場の外で待ってくれていた。結局三〇分近く、外で待たせてしまったんじゃないだろうか。
「ほっぺた、こんなに冷えてる。寒かったでしょ?」
 そう言って頬に触れると、くすぐったそうに首をすくませる彼女。そして頬に触れているアタシの手に手を重ねる。
「大丈夫です。私、寒さには強いんです」
 でもその手はやっぱり冷たくて。……なんだか申し訳なくなる。冷えた指先を親指と人差し指で握り返し、その感触を確かめるように指先で撫でさする。
 すると彼女が微笑んでその感触に応える。そんな小さなやりとりだけで、舞台の仲間たちとの別れに一抹の寂しさを覚えていた胸が温かくなる。
 カンパニーとの別れはいつだって寂しいものだ。お互いのすべてをさらけ出してひとつの作品を創り上げていくのだから。理解し、認め合い、時に衝突し合い、そうしてたくさんの糸をより合わせて作品という一枚の布を織り上げる。だからこそ別れの時がどうしようもなく寂しくなってしまう。ほどかれた糸はそれぞれに違う道に進み始めるのだ。
 暗い夜の町。あたしは夢のために再び夜の道を歩き出す。けれど、そんなあたしを照らしてくれる人がいる。——孤児院であたしを育ててくれたお母さん、可愛い弟や妹たち、それにあたしを応援してくれている知り合った人たちみんな。
 ——そして。
「……行きましょうか」
「はい」
 隣にいてくれる、彼女。
 名残惜しさを指先に残しながら、小さな街灯がぽつぽつと立つだけの小路をふたりで歩き出す。
 彼女とはあたしの育った青の都で偶然知り合ったのだけれど、その偶然にはどんなに感謝してもし足りない。ワカバ、ライト、セロ、ココ、そしてシルヴィアとトニーノ。たくさんの出会いと偶然が重なり合い、あたしたちは今こうして一緒にいる。
 ワカバたちと出会った青の都・ブリュー。ベルが体調を崩し、シルヴィアとトニーノに出会ったオーベルジーヌ。彼女が初めて人前で歌を歌った白の都・ヴァイス。雨の中、語り合ったクロム。みんなで人形劇をしたバーミリオン。——彼女と初めて結ばれた赤の都・カーディナル。
 ——そして。
 みんなで一緒に舞台を創り上げたモスグルン。
 何一つ欠けてもいけなかった。みんなとの思い出が、今のあたしを存在させてくれている。
 細い路地を通りながら、そっと手をつなぐ。冷たく小さな手。ホテルに着くまでは歩いて十五分くらいかかるだろうか。着く頃には、きっと彼女の手も温かくなっている事だろう。
 互いにしっかりと結ばれた手。同じ景色を眺め、夜の町を見上げる。
 ペルヴァンシュの空には細い三日月が昇っていた。



2 —ベル—


 舞台を終えたアンジェリナとワタシは、翌朝は少し早起きしてホテルを発った。このペルヴァンシュからワタシたちの住むジルベルクまではノルンキュール急行で半日程かかる。そこからさらに登山列車に乗り換えなくてはならない。
「はい。じゃ、あなたの荷物も貸して?」
 そう言って彼女、アンジェリナがこちらへ手を伸ばす。ワタシは二泊しただけの小さな荷物を彼女に渡し、それをワタシよりも背の高い彼女が列車の網棚へと乗せてくれた。
「ありがとう、アンジェリナ」
「どういたしまして」
 アンジェリナは舞台女優——彼女いわく、まだ『駆け出し』なのだそうだ——で、公演のために、一月半をこの青の都近くのペルヴァンシュで過ごしていた。公演期間は4日程だけれど、お稽古などのために長くこちらにいたのだ。
 ワタシは千秋楽とそのひとつ前の公演を見るためにジルベルクからやって来て、ひと月ぶりに彼女と再会した。ジルベルクでは一緒に暮らしているけれど、舞台女優である彼女は家を空ける事が多く、公演期間はもちろんの事、お稽古期間、準備期間、それに舞台の出演料だけでは食べて行けないのでアルバイトもしなくてはならなず、一緒にいられる時間はそれほど長くはない。幸い、ワタシたちの住むジルベルクは観光地なのでアルバイトには事欠かないけれど、少し大きな街へ出て舞台にちなんだアルバイトをする事もあった。
 そういったわけで、彼女との再会は久し振りで、なんだかくすぐったい気持ちになってしまう。
 急行列車のボックス席に腰を下ろし、隣に『お友達』の入ったバスケットを置き、向かいにアンジェリナが腰かける。
 長く伸びた艶やかな黒髪、大人びた深く藍い瞳、長いまつげ、綺麗な鼻筋、すらりと伸びた長い手足。普段はとてもさばさばした性格をしているのに、時折見せるどこか品のある仕種にワタシはどきりとしてしまう。
 今も、肩からすべりおちた髪をかき上げただけなのに、そんな仕種に、とくんと心臓が跳ねた。
 彼女は大人で、とても綺麗で——。
「どうか——した?」
 ワタシの様子に気づいたアンジェリナがこちらを見つめる。
「あ、いえ。なんでもないです」
「……そう?」
 けれど彼女は、少し納得していないのかワタシをじっと見つめると、不意にきょろきょろと辺りを見回し、誰も周りにいないのを確認すると、その手をこちらに伸ばした。そして頭を撫でる。
 ワタシは突然頭を撫でられたりするのは苦手だ。思わず小さな悲鳴を上げながら肩をすくませてしまう。
「ひゃっ」
 それを面白そうににこにこと彼女が見つめる。
「もう、アンジェリナ……」
 彼女はワタシが苦手なのを知っていて、わざとしたのだ。
 そう、彼女大人で綺麗だけれど、でも、こんな風に子供っぽいところもあって。
 彼女が口許を隠しながら、唇だけで言う。
 ——か・わ・い・い。
 その言葉に思わず頬が染まる。
「もう、アンジェリナぁ……」
「ふふ、ごめんなさい」
 言いながら、彼女がワタシの手を取って指先をからめてくる。ワタシもその指先に力を込めようとしたその時、コツコツと足音が聞こえた。あまり混んでいるとは言えない列車だけれど、もちろんワタシたちの他にも乗客はいて、時折通路を通りかかったりする。
 慌ててするりと手を外すワタシたち。
 そしてその乗客が通り過ぎると、お互いにくすりと笑い合う。
 ノルンキュール、そしてジルベルクまではまだまだ遠い。けれど、行きの列車とは違い、目の前には彼女がいてくれる。彼女との旅は、みんなで旅した時の事を思い返させてくれるようで大好きだった。みんなで席替えをしながら乗った普通列車、アンジェリナとふたりきりで過ごした寝台列車。
 ——でも。
 幸せなのに不意に不安になってしまう。彼女は『人間』で、ワタシは——『人形』で。精巧に人間を真似ただけのツクリモノ。
 もちろん感情も理性も人と同じようにあり、身体が傷つけば痛みを感じるし、体調を崩す事だってある。けれどワタシは変わらない。この五〇年間、何一つ変わらなかったように、髪も爪すら伸びず、何か不具合があればメンテナンスで直すだけだ。
 ——それが、人形であるワタシ。
 けれど彼女は変わってゆく。一日、二日、ひと月、半年、一年。五年、一〇年、二〇年。歳月の流れは彼女を刻々と変化させてゆく。それは紛れもない事実だ。
 彼女とジルベルクで過ごしている間はこんな事、感じたりしないのに。離れている時間が長かったせいでつい不安になってしまう。
 彼女は、本当は出かける前とは少しも変わらないのに。優しい笑顔に、時折見せるお姉さんのような頼もしさ、ワタシに困った事があればすぐに手を差し伸べてくれるし、ワタシがひとりでしなければならない事があればじっと待って見守ってくれた。
 黙りこくっているワタシにアンジェリナが笑顔を向けてくれる。
 優しい笑顔。——ワタシが、初めて好きになった人。
「ベル?」
「ううん。なんでも、ないです」
 ワタシは、流れ続ける窓の景色に視線を投げた。——こんな気持ちは彼女を困らせてしまうだけだから。


……続きは同人誌で(おい)



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Saku Takano ::: Since September 2003