◆◇◆◇◆ スプラトリー諸島 ◆◇◆◇◆
【ベトナムからは遠く、中国からはさらに遠い】
スプラトリー諸島は、ベトナム名を「チュオンサ諸島」、中国名を「南沙諸島」という。ベトナム語のチュオンサは漢字語「長沙」のベトナム読みであり、「長い砂浜」といった程度の意味である。
スプラトリー諸島はホーチミン市から東方およそ800kmに位置している。もっともベトナムに近い島でも、ベトナムの海岸線から500kmも離れており、「ベトナムの沖」というよりも、むしろ「フィリピン領パラワン島の沖」「マレーシア領サバの沖」「ブルネイの沖」などという方が、より納得のゆく表現である。
まして中国からは、はるかかなたの南海の島々である。なぜここが中国領でなくてはならないのかと、たいていの人が地図を見ながら頭をかしげるであろう。
スプラトリー諸島は100以上にのぼる小島・岩礁・洲島の総称であり、これらが東西800km、南北600kmという広大な海域に散らばっている。その海域の面積は日本海の半分近くにもなる。
これら100以上の島々をすべて合わせても、合計面積は10km2にすぎない。各島の海抜はほとんど海面すれすれのレベルで、諸島の中のもっとも高い地点でも海抜わずか4mである。スプラトリー諸島とは、広大な海域にケシ粒のように散らばる極小の島々の総称なのである。
【遠国が全領有を主張する逆説】
このスプラトリー諸島にたいしては、ベトナム・中国・フィリピン・台湾・マレーシア・ブルネイの6ヶ国が領有を主張して争っている。
正確にいえば、中国・ベトナム・台湾の3ヶ国はスプラトリー諸島の「すべて」にたいして領有権を主張し、マレーシア・フィリピンは一部の島々についてのみ領有を主張している。ブルネイはもっとも控えめに、自国に近い一部の海域を排他的経済水域としているのみで、陸地の領有は主張していない。
こうしてみると、マレーシア・フィリピン・ブルネイという実際にスプラトリー諸島に近い国々の主張は、控えめで現実的であるのにたいして、スプラトリー諸島からはるか遠方にある中国・ベトナム・台湾の3ヶ国が、自己中心的に諸島全体の領有を主張しているという逆説的な図式が浮かび上がってくる。
【南方海域との浅い関係】
実際、中国は1992年に領海法を制定して、スプラトリー諸島を中国領と定めた。またベトナムも、スプラトリー諸島をチュオンサ県(県は日本の郡に相当)と命名して、行政上カインホア省に所属させている。カインホア省はニャチャン市を省都とするベトナム中南部の省である。もちろん中国やベトナムのこうした行政的な措置は国内向けのもので、国際的にそのまま通用するわけではない。
距離的にスプラトリーは、中国本土からはきわめて遠いが、ベトナムからもまたかなり遠い。またベトナムとスプラトリー海域の歴史的なかかわりも薄い。スプラトリー諸島があるのは南シナ海のなかでも南方の海域であるが、そもそもこの海域に臨むベトナム南部(カインホア省以南の地域)がベトナム領になったのは、せいぜいここ300〜400年のことである。
ベトナムの伝統的な領域は、現在のベトナム領の北半分にすぎない。中立的な立場からいえば、ベトナムのスプラトリー領有の主張もまた、それほど説得的ではないといわざるをえない。
【スプラトリー小史 (1) …第二次大戦以前】
スプラトリー諸島の帰属問題がこれほど複雑になっているのは、同諸島が極小の島々の集まりであって、人間が長期にわたって定住できる条件のない土地であることが根本的な背景になっている。すなわち、これまでどの国の民もそこに定住したことはないのである。
このように、どの国も決定的な領有の根拠を欠いているだけに、各国ともさまざまな論法と資料を動員して領有の正当化に努めている。とくにスプラトリー諸島との歴史的かかわりが薄く、距離も遠い中国は、2世紀初めの後漢時代や15世紀初めの明代に、スプラトリー諸島のある海域に艦隊を派遣したことなどを挙げて、領有の根拠としている。
パラセル諸島以上に居住が困難なスプラトリー諸島にたいしては、各国の実効支配の努力がはじまるのも遅かった。比較的早い時期にその努力をはじめたのはフランスであった。1930年から33年にかけ、フランスは海軍を使ってスプラトリー諸島のいくつかの島を連続して実効支配していた。
【スプラトリー小史 (2) …日本軍の占領と撤退】
第二次大戦中が近づくと、南シナ海は日本と東南アジアの重要連絡線であるとの観点から、1939年に日本はパラセル諸島とともにスプラトリー諸島を占領して南方進出に備えた。
1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本はパラセル諸島とともにスプラトリー諸島を正式に放棄した。サンフランシスコ講和会議には、台湾の中華民国も、中国本土の中華人民共和国のいずれも招かれず、1952年に日本と中華民国(台湾)は個別に平和条約を結んだが、この際もスプラトリー諸島・パラセル諸島の帰属に関しては言及されなかった。
【スプラトリー小史 (3) …南ベトナムのコミット】
1954年のジュネーブ協定後、ベトナムは17度線を境に南北に分断され、北ベトナムと南ベトナムが分立した。ベトナムの南北分断は1954年から1975年まで約20年間続くが、この時期にパラセル諸島・スプラトリー諸島の領有を積極的に主張したのは南ベトナムであった。
とりわけスプラトリー諸島は北ベトナムからはまったく離れた海域であって、もっぱら南ベトナムがこの問題にかかわった。1956年、南ベトナムは自国の領有を示す石柱をスプラトリー諸島に建てはじめ、その後も引き続いて各島に石柱を建てている。
【スプラトリー小史 (4) …複雑な多国間問題へ】
パラセル諸島に比べて、スプラトリー諸島がさらに複雑な多国間問題であるのは、フィリピンとマレーシア、さらにはブルネイまでが問題に加わっているからである。早くも1949年に、フィリピンはスプラトリー諸島の領有を宣言し、1970年代はじめから80年代にかけて、実効支配する島の数をしだいに拡大していった。
フィリピンからみれば、少なくともスプラトリー諸島の一部は、自国のパラワン島の沖ともいえる位置にあり、遠方のベトナムや中国がこれをめぐって領有を主張することに不条理を感じたとしても不思議ではない。フィリピンは16世紀以降400年近くにわたってスペインつづいてアメリカの植民地支配下にあり、スプラトリー諸島の領有を宣言できる条件はなかった。1946年にアメリカから独立したフィリピンは、独立まもない1949年にスプラトリー諸島の領有を主張しはじめたのである。
マレーシアもまた1970年代はじめから、スプラトリー諸島の一部の島々の領有を主張しはじめ、1980年代はじめには軍を派遣して、一部の島にたいする実効支配を開始した。また台湾もフィリピンとマレーシアに先立って、1956年にスプラトリー諸島のうちの1つの島を確保している。
こうして、スプラトリー諸島は中越の二国間問題ではなくなり、のちにブルネイを含めて、南シナ海を囲む6ヶ国がかかわる複雑な多国間問題へと変わっていった。
【スプラトリー小史 (5) …中国の強引な割込み】
1988年2月、中国はスプラトリー諸島に軍事侵攻をおこない、ベトナム軍を排除しつつ、いくつかの島を占領した。このとき、ベトナム軍の艦船3隻が被害を受け、ベトナム軍にかなりの数の死傷者がでた。軍事的にはベトナムの完敗であった。
このように中国は1974年に南ベトナム軍を排除してパラセル諸島全域にたいする支配を確立し、さらに1988年に自国と同じく共産党が支配するベトナムの軍を部分的に排除して、スプラトリー諸島に大きな大きな足場を築いたのである。
1992年5月、中国は突如として、スプラトリー諸島の南西のはずれにある浅瀬「ヴァンガード堆」で石油探査をする権利をアメリカのクレストン・エナジー社に認めることを発表した。ヴァンガード堆はベトナムではトゥーチン堆とよばれており、ベトナム南部とマレーシア領サラワクのほぼ中間ややベトナム寄りにあって、ベトナムが自国の大陸棚であると主張している海域であった。
自国からきわめて遠方の海域の資源探査を第三国の私企業に許可して、その海域にたいする主権を既成事実化しようという、中国のなりふりかまわぬやり方に各国は驚き、とりわけベトナム政府に大きな衝撃を与えた。
1994年以降、中国はさらに強引な既成事実化に乗り出した。1995年2月には、フィリピンが主張する排他的経済水域の中にあるミスチーフ礁に、中国が軍事建造物を設置し、フィリピンと中国の間の緊張が高まった。ミスチーフ礁は、それまでフィリピンが支配していたスプラトリー諸島中の8つの島のひとつであった。
【スプラトリー小史 (6) …実効支配の泥試合】
現在、ブルネイを除く関係5ヶ国は何らかの形で、スプラトリー諸島の一部分を支配している。ベトナムも一部の島に部隊を駐屯させており、他の国も滑走路・軍事基地などの建造物を造って人を送り込んで領有の既成事実化に努めている。1999年段階で、紛争当時諸国はスプラトリー諸島にあわせて4つの滑走路を完成している。
おもにベトナム・中国・フィリピンの三者間で、偵察機にたいする守備隊による発砲や、船舶の拿捕といった事件がときおり発生しているのがここ数年の傾向である。
パラセル諸島と比べて、スプラトリー諸島の現状が大きく異なっている点は、スプラトリー諸島では中国の優位が確立していないことである。中国はスプラトリー諸島からきわめて遠く、しかも領有の既成事実化に大きく出遅れている。それゆえ中国はこの問題に割り込むために、1988年以降なりふりかまわぬ行動にでざるをえなかったのである。
またスプラトリー諸島が多数の国がかかわる複雑な国際問題であることも、パラセル式の中国の思惑どおりの解決ができない原因のひとつになっている。東南アジア諸国にとっても、中国の関与によって問題の包括的解決の糸口を見出せないでおり、いまのところスプラトリー問題は膠着した局面に入っている。
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