日曜の物語

 日曜日(Sunday)は、その名のとおり太陽の日ですが、フランスやイタリアでは少し違って、日曜日は「主の日」の意味が語源になっています。また中国では、月曜以降が単に一、二、三と数で呼ばれるのですが、日曜日だけは「天」と呼ばれ、スラヴ諸国では「キリスト復活の日」の意味になります。
 太陽、主、復活、天と、世界の日曜日の呼び名はいろいろありますが、日曜日が重要な日であることは一致しているようです。
 この項では日本の三神。天照大神、月読神、素戔嗚尊、それぞれの神についての話です。

 [天照大神(あまてらすおおみかみ・あるいは天照大御神)]
 日本の神々の頂点に立つ太陽の女神で、古代の日本人は太陽そのものを神として崇拝しながらも、民族の祖神というイメージを重ねて持っていた。
 天照大神が女性神であることは常識ではあるが、地上で乱暴狼藉を働いていた素戔嗚尊が高天原にいる天照大神を訪ねてきたとき、「高天原の支配権を奪いにきたのではないか」と警戒し、髪を男のヘヤースタイルに結い直し、さらに千本の矢が入る靱を背負い、五百本の矢が入る靱を腹に抱え、大変な強弓を手にして、十分に武装すると、両足を地大地にめり込ませ、地面を蹴散らかして素戔嗚尊を威嚇したという男性的な側面もあるので、もともとは男性神だったのではないかという疑問も根強くあるらしい。
 天照大神は大地母神的な性格と、武力・軍事力に象徴される男性的なパワーを兼ねそろえた神として、日本の最高神として君臨している。

 [月読神(つき〈つく〉よみのかみ・あるいは月読命)]
 天照大神、素戔嗚尊の間で、少し影の薄い感のある神であるが、農耕と深く関係している重要な神である。月の計測は、暦を定め農事を占うための大切な要素である。
 月読神は、イザナギから「夜の領国を治めよ」と命じられる。これは古事記の記述であるが、日本書紀では「蒼海原を治めよ」と命じられたとなっている。ちなみに古事記では素戔嗚尊の治める領国が海原になっているのに対し、日本書紀では「天の下の国」との相違が見られる。日本書紀では月読神が夜の国を治めるようになったのは、天照大神の使いで食物神のウケモチを訪ねた際に、歓待のため、ウケモチが様々な食物を口から吐き出したところを見て、怒って斬り殺してしまった。その行為が天照大神の怒りを買った結果、二人は不仲となり、 永久に昼と夜とに別れて暮らすことになったという事になっている。

 [素戔嗚尊(すさのおのみこと・あるいは須佐の男)]
 名前からしても、天照大神、月読神の両神とは少し違う感のするこの神は、一説には海外から来たのではないかと言われ、また古代メソポタミアの都市スーサと関連づける説もあり、また、インドの祇園精舎の守護神とされる牛頭天皇と同一神と考えられている。
 ともあれ、高天原を追われ、行った先の出雲で八岐の大蛇を退治した素戔嗚尊は、日本最初の英雄伝説の持ち主であろう。

 他の二神が太陽と月を象徴した名前になっているのに対し、素戔嗚尊だけが特異な名前を持っていると本文中で書きましたが、素戔嗚尊はかって古代に実在した王の名前ではないか。という説があります。それによると、素戔嗚尊は、出雲、九州に強大な勢力を持った大王であり、八岐の大蛇というのは、素戔嗚尊に滅ぼされた、出雲の豪族をモデルにしたとのことです。また、天照大神は卑弥呼で、素戔嗚尊の九州における現地妻であったのではないかとも推測されています。
 他にギリシャ神話との関連性など、様々な推測がされている記紀神話ですが、邪馬台国論争のように、こういった様々な解釈を自分で検討していくのも、また楽しいかもしれません。

 

わんだあらんどへ戻る


トップページヘ戻る