月曜の物語

 月曜日(Monday)は、「Moon」つまり月からきています。第一、第二など、数から曜日の語源が来ているところ以外は、世界中でほとんどが月曜は「月の日」から語源が来ています。
 月の伝説と言えば、日本では月の模様をうさぎの餅つきと見立てていますが、月面にうさぎの姿が見られるというのは、インドのジャータカ神話の物語が原型となったとされています。
 ここでは、うさぎと月にまつわる物語を、インドとアイヌ、そしてアフリカのホッテントット族に伝わる話、三つ続けて紹介しましょう。

 昔、インドに、うさぎと狐と猿がいた。3匹は仲良しで、よく、「自分たちは前世の行いが悪かったため、今はこんな姿になってしまっている。せめて今からでも、世のため人のために善根を施して、何かの役に立とうではないか」と話していた。
 それを聞いた帝釈天は、せっかくだから何かいいことをさせてやろうと思いつき、1人のよぼよぼの老人に身をやつして3匹の獣の前に姿を現した。獣たちはこれで老人の世話をすれば善行が出来ると大いに張り切り、さっそく猿は木に登って木の実や果物を集めて持ってくる。また狐も野山を駆け回って魚介のたぐいを持ってきたが、うさぎはこれといった特技がないので、なにも持って来れない。思いあまったうさぎは老人にたき火を焚いてもらい。「自分は何も出来ないので、せめて私の身を焼いて召し上がってください」と、自ら火の中に飛び込んで黒こげになってしまった。
 これを見た老人はたちまち帝釈天の姿に戻り、3匹の獣に、次に生まれ変わったときには人間に生まれ変わらせてやろうと約束し、とくに身を犠牲にしたうさぎは、その姿を永久に月の中に置くということにした。
 そのため、月には黒こげになったうさぎの姿があるという。

                                                        〔インド]


 大昔、月の世界で大勢の王子様が雪合戦をした。夢中になって雪のつぶてを投げ合っているうちに、雪の玉が一つ、地球の方に落ち、やがて日光に解けてなくなってしまった。神様はせっかく綺麗な名雪の玉が消えてしまうのは惜しいことだと考え、そこでいろいろ考えた結果、真っ白な雪の玉に、目と鼻と口、それに長い耳、四本の足と尻尾までくっつけてやった。
 これがうさぎが世に生まれた始まりである

                                                        〔アイヌ〕


 ある日、天の月がうさぎを呼んで、「これから地上に下って、月が死んでもまた生き返るように、人間もまた死んでも生き返るようにしてやると伝えなさい」と頼んだ。それを聞いたうさぎは、すぐ天から地上へと下り、人間を集めてこう言った。「月は死んでも生き返るが、お前たちは死んでも生き返ることは出来ない」
 天へ帰ってきたうさぎに、どういうふうに伝えたかと復唱させて、うさぎが全く自分の言ったことと反対の事を伝えたとわかった月は、怒っていきなり棒を持ってうさぎに投げつけた。棒はうさぎの唇に当たって二つに裂けてしまった。あまりの痛さにうさぎは夢中で月に飛びつき、手当たり次第に月の顔を引っ掻いた。
 このため、月の顔は薄黒く傷が付き、うさぎの口は今での二つに割れており、そして人間は生き返ることが出来なくなってしまったのだという。

                                                       〔アフリカ〕

 

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 世界の神話を見ていくいちに、よく似た神話を見つけることがあります。記紀でイザナギが黄泉の国へ行く話と、ギリシャ神話のオルペウス、あるいはシュメール神話のイナンナの冥界下り。また、元々七つあった星が何らかの理由で六つになったというプレアデス星団の神話は、エスキモー、カナダ・インディアン、タイ、ギリシャで見られます。これをユング心理学で言うところの普遍的な神話―集合的無意識―のためと見るか、過去の文化交流の結果と見るか、あるいは単なる偶然か・・・。
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