シュリーマン

                 シュリーマン 1822年〜1890年
ドイツの考古学者。ミュケナイ文明とミノス文明の発見者。北ドイツの貧しい牧師の子に生まれた。少年時代にホメロスの物語に魅了されてトロイアの都の実在を信じ、その発掘を決意するが、その前半生は独立のための富の追求のうちに過ぎる。ようやくロシアにおいて巨富を得ると実業の第一線から退、自力による初志の実現に没入し、71年にトロイア、続いてミュケナイ,ティリュンス,オルコメノスを発掘した。

             ついに私は、ある半生の夢を実現できる境涯に達したのだ

 シュリーマンがトロイアの遺跡を発掘したことは有名である。彼の父親は考古学に興味を持ち、幼いシュリーマンにホメロスの叙事詩やポンペイの悲劇などを語って聞かせていた。しかし彼の少年時代は決して恵まれたものではなく、学校教育も満足に受けることができず、わずか14歳で小売店の小僧となって働きながら簿記の勉強もしたという。その後、徒弟、下級船員、商社の社員などの職を転々としながら、少年時の夢を堅持し、また十数ヵ国語を習得する。そして、ロシアで成功し、41歳で全ての経済活動を打ち切り、43歳で世界漫遊に旅立った後、44歳にパリで考古学を学び、49歳でトロイアを発掘することになる。

 しかし、そのシュリーマンが実は日本に訪れ、旅行記まで書いていたということは、トロイア発掘に比べてあまり知られていない。「シュリーマン旅行記 清国・日本」(石井和子訳、講談社学術文庫)という本が出版されているが、トロイア発掘に先立つ世界旅行でシュリーマンは幕末の日本に約1ヶ月間滞在し、日本の感想を旅行記の中で書き、パリで出版しているのだ。その中のいくつかの感想は以下のようなものである。

 「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されていると答えられるだろう。なぜなら日本人は、工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明国家以上に行き渡っている。(中略)・・・ 日本では男も女もみな仮名と漢字で読み書きできる」
 「民衆の自由な活力を妨げ、むしろ抹殺する封建体制の抑圧的な傾向があげられる」
 「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」
 「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そしてどの国にもましてよく耕された土地が見られる」
 
 封建制度についての批判的な意見があるが、日本に対する感想はおおむね絶賛に等しい。1ヶ月ほどの短い滞在だったが、よく観察がされており、
 「日本人の宗教についてこれまで観察してきたことから、私は民衆の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである」
 短期間の滞在でありながら、このような感想が持てるということは、本質を見抜く力は非凡なものがあると言えるだろう。また、
 「いったいに、ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べてうんぬんすることはきわめて難しい」
 といったように、固定観念にとらわれない考え方などができることなどを考え合わせると、後にトロイアを発掘したのは単なる偶然の結果ではなく、シュリーマンの資質によるところが大きかったのだろうと思える。

 現在の評価では、シュリーマンには虚言癖があり、子供の頃からの「夢」については作り話だったとも言われていはいるが、そうだったとしても才能の豊かな人物であったことと、その生涯において大きな成果を収めたことに疑いはないだろう。当時の日本に関する感想も、特にひいき目で見ているというわけでもなく、冷静で客観的なものだったと思える。


2008年1月1日

 

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