美女の基準

 長らく浮世絵の美人画には写実性がほとんどないと思っていた。浮世絵の美人画には時代による変遷がある。鈴木春信の美人画が売れたときには浮世絵版画の美人画はすべて春信風の美人となり、鳥居清長が全盛の時には健康的な美人画、江戸時代後期には国貞や渓斎英泉のような退廃的な美人の絵が流行している。その中にはモデルの名前が明らかにされているものもあるが、その顔も流行の顔で、ほとんど他の絵の美女と区別が付かない。だから、現代の少女漫画に出てくるような登場人物などと同じく、実在の人物をモデルにして描いたものでも、実際の顔からかけ離れた理想像を描いたのではないかと思っていたのだ。
 役者絵などは写楽の絵が実際の役者に似せた絵として有名であるが、決して写楽だけが他の絵師に比べて特別に似せて描いているというわけではない。写楽より前の画家である勝川春章や一筆斎文調のころから役者に似せて描くようになっている。だが美人画となると、例えば有名な歌麿の絵などは、ほとんど全部同じ顔に見えるといってもいいくらいである。

 この絵は歌麿の「当世三美人」。モデルは下の右が難波屋おきた、その左が高島おひさ、中央が富本豊ひなという寛政期を代表する美女と評判された女性たちである。それぞれの衣服や手に持つ団扇の紋によって区別できるのだが、顔はほとんど同じに見える。歌麿はこの時代の大人気画家である。歌麿風の美人画は人々に支持されていた。しかし、理想化するといってもモデル名を明記している以上、これは少しひどすぎないか。まして絵は無料で配っているものではないのだから。

 しかし、版元はこの絵で出版し、それを人々は納得して買っている。となると本当に3人はこういう顔だったのではないかとも思えてきた。まさかと思うかもしれないが、そうとでも考えなければ理解できない。いくら歌麿が人気があるといっても浮世絵師は他にたくさんいる。いい加減なことをすればすぐに他の絵師に人気が移ってしまうだろう。
 この絵には確かに歌麿流の理想化もいくらか入っている思うが、それを多少考えに入れたとしても、この絵がそれぞれの美女の特徴を捉えて描かれたものだとしたら、なぜこれほどまでにアカの他人である3人の顔が似てしまうものなのか?という疑問は起こる。しかし僕は全くあり得ないとこともないと思う。江戸時代には美人の基準というものがあった。評判の美女であるからその美人の基準に合致していたことは間違いない。輪郭や切れ長の目といったところは元々似ていたはずである。髪型も時代によって流行があった。あとは化粧だ。江戸の女性は眉のおしゃれに気を遣っていたそうである。剃刀と毛抜きを用いて余分な毛を取り除き、眉墨で描いて形を整えていた。唇には口紅。当時は口が小さいのが美人ということだったから、口が小さく見えるように塗ったことだろう。しかし何もここまで同じでなくても・・・・と思うのは価値観の多様化した現代の考え方である。
 と、ここまで書いて思ったのたが、ひょっとすると現代もそう変わらないのかもしれない。極端な例えだし、化粧というのとは少し違うのかもしれないが、以前ガングロというのが流行ったことがあった。大阪に住んでいてそれほどは意識しなかったのだが、一番流行っていた時期に東京方面に旅行に行った時、たぶん通勤、通学の時間帯だったと思うのだが、電車内のガングロの比率があまりにも高かったことに驚いたことがある。もし現代にビデオやカメラというものがなく、その状況を絵でしか残せないとしたら、後世になってその絵を見た人は、それが実際の人物を描いたものだとは思わないのではないだろうか。女性が流行のおしゃれをしようとするのは今も昔も変わらない。時代によってその表現の仕方が違うとしても。
 広重や北斎の風景画や国芳の絵に比べて、僕にとって浮世絵の美人画に描かれた女性はそんなに美人だとも思わなかったし、似たような顔ばかり描いたつまらないものだと、長らく関心がなかった。しかし、美人画の数をある程度見て見慣れたということもあるのだろうが、これはなかなか面白い世界なのではないか。と、今はだんだんとそう思えるようになった。

2004年.6月3日

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