浮世絵の面白さ

 浮世絵が案外おもしろいものだと思ったのは、江戸時代の時代考証に興味があって調べていたときのことである。それまでは旅行好きということもあって、北斎や広重の風景画は見ていたし、他には国芳という画家にも興味があったが、浮世絵自体の興味はあまり深いものではなかった。しかし、絵画としてではなく、歴史の資料として見たとき、浮世絵というものの面白さに初めて気がついたのである。

 たとえば、左の歌川国芳の絵だが、なにやら猫が擬人化されて描いてある絵である。そのままでも楽しい絵ではあるが、この絵のタイトルは「猫の六毛撰」となっている。 解説すると、この「六毛撰」とは、「六歌仙」にかけているのである。
  絵が小さいので左上の部分を拡大してみた。この絵の中にはなにやら文字が書かれている。変体仮名なので読みにくいが、ここには「あまの子もち」と書かれている。実はこれは「小野小町」をかけた洒落になっているのだ。同じように、その下で

麦わらにじゃれている白猫には「「むぎわらにじゃれ白」。すなわちこの猫は「在原業平」である。そのほかに蝶々にちょっかいを出している猫には「ちょうちょてんごう」→「僧正遍昭」眉間に黒丸がある猫は「みけんぼっち」→「喜撰法師」、ほかに「今夜はやすむね」→「「文屋康秀」、「大どらの黒ぶち」→「大伴黒主」と、中には少し苦しいものはあるが、すべての猫は六歌仙にかけられている。

 そこで問題は、この絵が誰に向けられて描かれたか、ということである。これは版画である。特定の人物に向けて描かれたものではない。しかもこの版画は普通の版画の形式ではなく、よく見れば団扇の形に作っているようだ。そう、これは切り取って団扇に貼り付けるための絵、つまり、単なる大量生産の消耗品である。この絵は洒落の面白さがわからないと価値は半減する。ということは、絵師も出版元も、買う人はこの洒落をわかるくらいの知識はあると思って作っているのだ。

 江戸の人たちの知識と感覚。なによりも浮世絵というものが庶民の生活に密着してあるものだということに僕は面白さを感じた。浮世絵が江戸時代の美術品だと思っていたときには、その良さには気がつかなかったものだ。同時代の西洋画に比べて洗練されているとは思えず、古くさいものだと、たいして評価していなかったのである。
 例に出した団扇絵はほんの一部である。浮世絵は美人画や風景画、役者絵しかほとんど知られていないが、他にもニュースを描いたもの、子供の遊びに使うもの・・・浮世絵はいろいろな使われかたをしていた。江戸の人にとって浮世絵は現代の雑誌と同じような感覚のものだったのだろう。風景画は旅行雑誌であり、役者絵や美人画はブロマイド。子供向けのものもあれば、成人向けのものもある。値段もかけそば一杯程度。これも雑誌並みである。そう考えるようになってから、浮世絵に対して親しみを感じるようになった。

2006年5月6日

浮世絵つれづれに戻る

トップページへ

私設ギャラリーへ