身近なアート

 浮世絵は江戸の人たちにとって、決して手の届かない、高嶺の花などではなかった。むしろ、日用品として意識されていたものである。ある時は扇や団扇の紙の張り替えに使われたし、子供の双六として作られたものもあった。中には凧を作るために使われたのもあったかもしれないし、もしかしたら、破れたふすまの穴をふさぐためなんかにも使われたのかもしれない。

 しかし、当たり前のことのようだが浮世絵だって絵である。最初から飾られることだけを目的にして作られたものもあった。
 その一つが掛物絵と呼ばれるものである。大判というサイズのものを上下に二つつなげ、さながら掛け軸のように縦に長くしたものだ。絵双紙屋なんかで頼めば安い手間賃で雑木や紙でごく簡単に表装してもらえたらしい。当然これは掛け軸みたいに飾られた。肉筆の立派な掛け軸なんて高くてとうてい買えない。そんな人たちのニーズに応えたものだ。
 また、左の絵も縦に長いが、これは掛物絵ではなくて、柱絵と呼ばれるものである。絵師は鳥居清長。柱絵というものは、柱等に貼り、節穴を隠すために考案されたと伝えられている。実際には、このままぺたっと柱に貼って使ったとは思いにくいが、サイズといい、図案といい、タンスの中にしまっておくものとは思えないので、飾られたものだろう。現に簡単に表具して紐が付けられたものが今に残っている。

 当時の人たちは、こんな絵を買って家に飾った。買って帰った先は広い家ばかりではない。当時は一間しかない家に家族が住んでいるのが当たり前の時代である。そんな人たちも、いや、そんな人たちだからこそ、こういう絵を求めたのだろう。狭いながらも絵が飾ってある家。当時、世界のどこに庶民までもが普通に絵を飾ってある国があっただろうか?
 江戸時代というのは、封建社会で身分制度があり、何となく暗い時代だというイメージがある。しかし、江戸の人たちは、毎日の生活の中で、思っていたよりずっと心豊かに暮らしていたのではないか。浮世絵を見ていて僕はそう思う。

2006年5月6日

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