絵好きな日本人

 江戸の人たちはよく本を読んだ。とはいっても、本は高価なものなので、なかなか個人では買うことができない。そこで、庶民は貸本屋から借りるのが一般的だった。「一目でわかる江戸時代」((小学館)によれば、江戸市中の貸本屋は、文化5年(1808)には656件を超えるくらいあったらしい。だから、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」のような大ベストセラーでも、発行部数は1万部程度(それでも十分すごいと思う)だが、実際に読んだ人はかなりの人数に上ったのだろう。
 さて、その江戸庶民によく読まれた読み本の中でも、作家と挿絵画家の名コンビとして賞賛された二人、滝沢馬琴と葛飾北斎だが、このコンビは「椿説弓張月」でのスタートから4、5年続いたあと、突然解消された。
 原因は?
 馬琴は自分の小説が面白いからだと主張し、北斎は挿絵がいいから売れているんだと主張、互いに譲らず大げんかとなったからだという。
 このことからもわかるように、当時の流行本の挿絵は文章の添え物などではなく、同格のものだった。さらに黄表紙となると、絵の方が主で、文はその説明にすぎない。

浮世絵つれづれに戻る

私設ギャラリーへ

トップページへ

 
ところで、左の絵は明治時代の新聞錦絵と呼ばれるものである。絵師は落合芳幾。
 初期の新聞は活字ばかりで、政治中心の内容が多く、取っつきにくいものだった。そこで面白い記事をピックアップして作ったものがこの新聞錦絵である。
 ちなみにこの事件は、浮気をした奥さんに巨大な熨斗をつけ、浮気相手に突きつけたというものだ。

 
 絵を使って内容をわかりやすく伝えるということは、日本人が昔から好んで使った手段である。古くは平安時代からある絵巻もそうだろう。そして江戸時代の黄表紙は、当時の人にとって見れば、現代の漫画に近い感覚であった。江戸時代の庶民の識字率は世界一だったと言われる。ひらがな、カタカナ、漢字の三通りを使い分ける日本語というのは、かなり難しいものだと思うのだが、日本人はそれを受け入れて、特に支障を感じていない。その識字率の高さというのは、教育意識が高かったこともあるだろうが、それ以外にも、情報をわかりやすく絵で表現する手段が、常にあったということも理由の一つではないかと思う。

 日本人にとって絵は身近にあった。江戸時代に庶民の美術としての浮世絵が発展したというのは、あるいは必然的なことだったのかもしれない。現代においても、日本の漫画やアニメの技術が、世界でも高い評価を与えられているのは、絵とともに文字や情報を受け取るという日本の伝統を、受け継いでいるからではないだろうか。 

2006年5月14日