判じ絵を解いてみよう

 前回、「絵好きな日本人」という文の中で、江戸時代の庶民の識字率は世界一であった理由に、教育意識が高かったということもあるが、情報をわかりやすく絵で伝えるという手段があったからではないかと書いた。前言を翻すわけではないが、今回は「わかりやすく」ではなく、「考えなければわかりにくい」という絵を紹介したい。「判じ絵」。言ってみれば一種のなぞなぞである。

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 右の絵は歌麿の一見単なる美人画。まあ、「高名美人六歌仙」という美人画であることには間違いないのだが、この絵の右上に何か他の絵が描いてある。絵が小さくて申し訳ないのだが、上から龍、蛇、舟をこぐ櫓、線香で、「辰巳路考」と読ませる。つまり当時評判の美人、辰巳路考を描いているのだと、絵で知らせているわけである。

 このような「判じ絵」という、絵から推理して考えるものには、いくつかの種類があり、絵の説明に入れたものもあれば、絵一面に判じ絵を並べた、言ってみればなぞなぞ集もある。判じ絵は江戸ばかりではなく、上方において判じ絵を題材にした出版物なども刊行されていて、むしろ当初は、どうやら京・大坂がその流行の中核だったようだ。

 さて、今回はややこしい話はやめて、作品をもう一つ紹介したい。
 国芳の「伊達模様血気競 判物の喜兵衛」。仁義に厚く伊達な着物に判じ物を染め、それを見せながら他人のもめ事に割って入る喜兵衛なる愛嬌のある男の紹介が上部に記されている。
 着物の絵柄は右上から碁盤の絵、琴に使う琴柱(ことじ)、鎧の半分、つまり、ここまで「ばん(盤)、じ、よろ」。

 以下、訳していくと、しい(子供の小便)、よ(夜)、う(鰻の半分、あるいは鵜)、に(荷物)、おたのみ(お狸)、も(藻)、うし(牛)、ます(升)、と(戸)、かく(角)、かん(寒)、にん(人魚の半分)、と(砥石)、りょう(龍)、けん(剣)。「万事よろしいように、お頼み申します。とかく、堪忍と料簡」となる。

 喧嘩の最中に、こんな男に「待った」と割って入られれば、おそらく喧嘩も収まっただろう。おそらく国芳の想像上の人物だろうが、実際にこのような人物がいてもおかしくないような雰囲気が、江戸というところにはある。こういうアイデアを見て楽しんでいた人たちなのだから。

2007年2月18日