機上の空論

機体を読む  TU144−コンコルドからの視点

 

 航空機が歴史に登場して以来、音速を超える旅客機は2機種しかない。周知のとおり、英仏共同開発のコンコルドと当時のソヴィエト連邦が開発したTu144である。両機共、国家の威信をかけて開発されたのだが、先に進空したTu144は1977年11月から僅か7ヶ月、102回の有償飛行を行っただけで旅客輸送を停止した。(1975年暮れから貨物/郵便輸送を行い、旅客輸送停止後も郵便輸送は続けられていたようである。郵便輸送が停止された時期は不明であるが、全機退役したことが、1984年に西側筋によって確認された。)コンコルドも環境問題について問われ、華やかではあるが、細々とした飛行に甘んじていた。2000年7月のパリにおける事故で、全機飛行が停止され、この稿を書いている2001年9月上旬現在、飛行は再開されていない。

 前置きが長くなったが、ここではTu144の機体を読んで行く。この考察のそもそものきっかけは、某テレビ番組でNASAによるTu144の試験飛行時の映像を見たことである。離陸したTu144がその直後、不意に機首を上げたように見えた。この現象に考察を重ね、その結果浮かび上がったのが、コンコルドにおける素晴らしい工夫、引き込み式コックピットヴァイザーである。この工夫の有無が、コンコルドとTu144の姿を異なったものにしている一因であると考えられる。

 周知のように、超音速の両機は流線型を保つため長くとがった機首をしている。空気抵抗を抑えるためである。また、デルタ(三角)翼の特性として、着陸は大きく機首を上げた状態でなされる。これではパイロットの視界が妨げられる。自動車のボンネットが非常に長く、しかも上向きに反っている状態を想像していただければよいだろう。そこでなされた工夫が、機首を折り曲げ視界を確保する方法である。両機共、12度ほど機首を折り曲げることができる。では、離陸時はどうであろうか。やはり、滑走中に前方の視界が確保されなければならないが、機体が水平に保たれるので、視界確保の為だけなら機首を着陸時ほど深く曲げる必要はない。また、離陸時に機首を大きく曲げれば、それだけ抵抗が増えるとともに機首下げの作用を起こす。しかも機体重心/空力中心(機体を糸で吊ったとして、つりあったときに糸を附けたところと考えれば分り易い)よりかなり前方に作用するので、大きな働きをする。(親子がシーソーで遊ぶ光景を思い出して欲しい。子供は板の端に、親は中心に近いところに座る。そうすることで軽い子供が、重い親とでもつりあうことができる。)そこで、コンコルドではコックピットの風防に近い部分(ヴァイザー)を機首部分に引き込み、5度の折り曲げだけで離陸時の視界を確保できるようにしている。上の図はコンコルドの機首で、赤い部分がヴァイザーである。上げた位置を輪郭で、引き込みの位置は塗潰して示している。後述の通り、これはコンコルドの性能を大きく引き出す大発明である。

 さて、いよいよTu144である。右は機首部分である。コンコルドのような引き込み式ヴァイザーはない。従って、離陸時にも、視界確保の為に機首を最大限の12度まで折り曲げなければならないと思われる。その結果、コンコルドにはない工夫がちりばめられている。その一つが、コックピット後方にある引き込み式のカナード翼である。図で犬の耳のように見える部分がそれである。

 このカナード翼については、離着陸時に揚力を空力中心のかなり前方で発生させることにより、機首上げさせ、後方のエレボン(操縦をつかさどる舵。縦方向を制御するエレヴェーター/昇降舵と、横方向を制御するエルロン/補助翼を兼ねる。名称もその合成。)をフラップとして使える(もしカナードがなければ、この操作は機首下げに働く。)との説明がなされてきた。確かにその効果は非常に重要であリ否定することはできない。

 しかし、機首の折り曲げ具合から考えると、離陸時にそこから生じる機首下げ効果を相殺する効果も狙っていると言えよう。また、離陸後、機首を戻すとき機首下げ効果が機首上げ効果に転じる。(先述したテレビでの光景はこれが原因ではないかと思いこの考察を始めた。)機首を戻す事と連動させてカナードを引き込めば(または前縁と後縁についたフラップを上げれば)、機体の安定を維持できる。そんな効果も狙っていると思えるのだが、識者諸氏の御批判を仰ごうと思う。

 引き込み式ヴァイザーがないためになされたと思われる工夫がもう一つある。下は横から見たTu144の全体図である。接地状態で機首上げに傾いている。これも離陸時に折り曲げた機首の影響を抑えることを狙っているものと言えよう。すなわち、水平面に対する折り曲げ角度が小さくなり、機首下げ効果が緩和されるとともに、迎角をつけて揚力増加を図っている。これに対して、コンコルドは写真等を見る限り、接地した状態で機体は水平である。

 最後に機体とは関係ないが、Tu144が就航していた路線について。モスクワ−アルマアタ(現アルマトイ)が、主に活躍した舞台であったが、では何故アルマアタであったのか。ここに一人の男の存在が浮んでくる。ジンムハメド・A・クナーエフ。カザフ共産党第一書記。1971年4月よりソヴィエト共産党中央委員会政治局員。政治局とは、同共産党の最高意思決定機関であり、そのメンバーである政治局員(13名程度で構成)は、ソ連の実質上の支配者である。彼は1986年11月ゴルバチョフ政権下で解任されるまで、モスクワから最も離れて住む政治局員であった。緊急時にクナーエフ自身を、また重要書類等をいち早くモスクワへ運ぶために、用意された路線と考えられる。

 

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