飛行機旅行では狭い機内に何百人もの乗客が何時間も閉じ込められます。小さなコミュニティーが出来上がると言っても過言ではないでしょう。乗務員とのコミュニケーションが上手く取れるとフライトが楽しくなります。そんな体験を綴ってみました。
飛行機に乗り始めたころは、毎回搭乗する機体の下手な絵を描いたカードを持参していました。そこに乗務員のサインを貰うためです。これが良いコミュニケーションをとるきっかけとなっていました。ちょっとカードを見せただけで歓声を上げる方もいましたし、色々と質問してくる方もいました。カードにサインだけでなく、ちょっとしたメッセージを付け加えてくれる時もありました。機内サーヴィスでは評判の芳しくなかったソヴィエト時代のアエロフロートでも、下のようにメッセージを入れてくれました。左は1986年3月ストックホルムからコペンハーゲン経由でレニングラード(当時)へ飛んだときのものです。「わが国での楽しい休暇をお過ごしください」と機長のメッセージが記されています。右は同年4月モスクワからストックホルムへ戻った時のものです。機長、副操縦士、航法士、機関士の連名で、「ロシアのパイロットよりご多幸をお祈りします」とあります。仕事で飛ぶようになってからは、事前準備ができなくなり1989年7月を最後にサインを貰うことはなくなりました。
外国の航空会社を利用するときは、挨拶とありがとうはその国の言葉で言うようにしています。すると乗務員の対応が非常によくなるように思えます。これはKLM、SAS、マレブ、チェコスロヴァキア航空、タイ国際航空での体験です。特にSASでは、スウェーデン語ができる(正確には「できた」)ので話しかけてみると、乗務員のほうでびっくりして、かなり色々と気を遣ってもらいました。ただしこれは日本線での事で、欧州内ではあまり変化はありません。また、その時一番気を遣ってくれたのは日本人クルーでした。
先の例は皆、少数派の言語の国です。残念ながら、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語ではこうは行きませんでした。ただ、1986年6月にイベリア航空でバルセロナからコペンハーゲンへ飛んだときは少し様相が違っていました。ちょうどイベリア航空が日本路線への就航を間近に控えていた時期でした。アントニオと名乗る乗務員が日本語で話し掛けて来ました。びっくりして話してみると日本路線に乗務することになったので日本語を勉強しているとの事。話が弾み、あっという間のフライトでした。
マニアにとって嬉しいのは、乗務員は飛行機に精通していると言う事です。飛行機について、航空会社について等よく知っています。技術的なことについてはパイロットに訊いてくれる事もあります。
何でも良いからきっかけを掴むことが大切です。また、言葉の壁など問題ありません。知っている単語の羅列だけでも結構通じるものです。いろいろ工夫して通じたときの感激は、苦労せず通じた時に比べて何百倍も大きなものです。度胸と図々しさが肝要です。